第2話:陽炎一族

 一体なんなんだ、この男は――


 教会を覆っていた結界が破られたことも驚きだが、わざわざこちらの領域にまで自ら乗り込んでくる無謀な吸血鬼が、“自分が待ち望んでいる相手”以外に存在するとは想定していなかった。

 たいていの吸血鬼は、確実に天敵が待ち受けている協会になんて、近づこうとすらしない。それが普通である。

 協会内には、境界をずらす結界を張り巡らしているため、いくらここで物を破壊しようが、現実には支障ないのだけれども、やりにくい。なぜか、この男相手の戦闘に、ユリウスはやりにくさを覚える。

 、この教会を借り受けたユリウスだが、まさか本命がくる前に別の化け物退治をここでするはめになるとは。

 今の自分は“神父”ではなく“祓魔師”であるから、化け物退治が第一優先事項ではあるのだが――


 蹴り飛ばされ、椅子の残骸に沈んでいた身を起こしたユリウスは、懐にしまった眼鏡が割れたかもしれないな、と頭の片隅で考えながら、再び剣を構えた。

 手足は問題なく動く、折れてはいない、ただ唇の端が切れ、口の中も多少切ったようでじわじわ痛み、鉄錆のような血の味が広がり、思わず顔をしかめた。

 前方には、夜の空を溶かしたような髪色の男が気だるげに佇んでいる。ろうそくの灯火色をした瞳は爛々と輝き、彼から放たれる圧倒的な威圧感と隠しきれない闘争心に、ユリウスは久しぶりの強敵との遭遇だなと内心で呟く。

 間違いない、この男はユリウスを付け狙う本命の吸血鬼と同じレベル、最高ランクに値する純血種の吸血鬼だ。

 そして、先日に教会近くの森で寝ていた男――ユリウスの手を噛んだ吸血鬼だ。

 やはりとどめを刺さなかったのがまずかったのか。まさかここまで追いかけてくるとは誤算であった。

「……化け物が」

 思わず呟いた言葉に、相手は皮肉気に唇の端をつりあげた。


 ***


 久々に本気で戦える相手が現れたことに、アイザックは高揚していた。

 しかも相手は、同胞ではなく人間である。なかなか骨のあるヤツがいたもんだと驚きながらも、いまいち全力を出し切れない自分に若干腹が立つ。先日にわずかながら(本人無自覚の行為で)生き血を得てはいたが、それは空腹を満たすほどではなかった。空腹の状態では、力が万全とはいえない。

 けれどもそのことが、逆にアイザックが戦いに没頭することに歯止めをかけた。

 アイザックは、目的があってこの教会を訪れたのだ。戦いは楽しいが、いつまでも遊んではいられないし、無駄に疲れて空腹が増すだけである。

 ちょっと様子を見るつもりで教会を訪れたのだが、周囲に張られていた吸血鬼除けの結界のせいで近づくことができず、無駄足で帰るのもしゃくだったので無理やり通ろうとしたら結界をぶち壊す結果となり、そして教会の中へ入った瞬間、祓魔師に出迎えられたというのが現状だ。

 正直、聖域と言える、清浄すぎる空気に包まれた教会という場所は、自分たち異形の化け物には居心地が悪い。用さえなければ、絶対に足を運んだりなどしない。

 だからアイザックはできれば、早く目的を果たして帰りたいところだったが、そういえばルークが言っていた神父というのがどんな人物なのかちゃんと聞いてなかったな、といまさらながら思い当る。

 まぁ、それは目の前にいるコイツに聞けばいいか、とのんきに考えた。ここにいるとうことは、教会の関係者だろうし、前に祓魔師と教会同士のつながりは深いとオスカーが言っていたような気がする。

 詰襟の黒い神父服に、首から下げたロザリオ。肩先で揺れる白銀の髪に薄氷のような瞳、やや細身で長身、白い肌に細い顎、整った鼻梁、どこか陰のある静かな面持ち、人間の中でも容姿端麗の部類に入るといえるだろう。ただ、目の下に残る濃い隈が青白い顔と相まって不健康そうに見えるのがもったいない。

 吸血鬼であるアイザック相手に、これだけの立ち回りができるのだから、相当腕の立つ祓魔師であるのだろうが、見覚えはない。

 アイザックもさすがに祓魔師組織【野薔薇】全員の顔を覚えているわけではないが、さすがに一族と協定を結んでいる相手組織なので、何度か会ったことがある人間の顔くらいは覚えている。

 だが、この男の顔は初めて見るような気がする。確信を持って言い切れはしないが。少し気になる点があるとしたら、彼が【野薔薇】の目印とでもいえる制服と薔薇のピアスを身に着けていないところだ。潜入任務かなにかで、ここにいるためだろうか。

 何はともあれ、まずはこちらの言い分に聞く耳を持たず、いきなり斬りかかってきたこの祓魔師を黙らせるのが先決だ。

 確かに強いが所詮は人間、身体能力も体力も人並み外れたこちらのほうが有利である。

 空腹のために力の抑制が上手く調節できなかったが、まぁ、祓魔師ならこのくらいで死ぬこともないだろうと遠慮容赦なく相手をした。

 派手に教会を壊して後でオスカーに怒られないかと一瞬ヒヤッとしたが、まぁなんとかなるだろう、たぶん大丈夫なはずだと思いたい。

 身を起こした相手が、すぐさま距離を詰めてくる。

 この男、身のこなしが軽く、動きに一切の無駄がない。

 躊躇しない素早い動作、そして迷いなく心臓を狙って放たれる刺突。

 凛とした空気を纏い戦う彼の姿は、洗練され研ぎ澄まされた鋭利な刃物のようにぞっとするほど美しい。

 ギリギリでかわしているつもりだが、アイザックの体にはよけ切れていない無数の浅い切り傷が刻まれる。

「ハッ……容赦ねぇな」

 無駄に長く争うつもりはない。

 アイザックは、ひとまず相手を無力化しようと、頭を狙って突き出された剣を体勢を低くしてかわし、剣の柄を狙って鋭い蹴りを放つ。躱せないと判断した相手は、手首への衝撃を緩和するためか、即座に剣を手放し、蹴り上げられた剣には見向きもせず、袖の中に隠し持っていた銃でアイザックを狙う。

 そのまま距離を詰めようとしていたアイザックは、間髪入れずに飛んできた銃弾を、身をよじって転がることで回避する。

 床に落ちた剣が、背後でカランと音を立てる。

「……あんた、ここの神父か?」

 時間稼ぎのつもりで話しかけたが、返答は無言の弾丸で返ってきた。

 相手におしゃべりをする気はないらしい。

 仕方ない、と呟いたアイザックは、この短時間での戦いで、見え隠れしていた相手の良心を利用することにした。

 舐められているわけでも、手加減されているわけでもないが、洗練された彼の動作をわずかに乱す、ほんの些細な揺らぎ。

 この男、アイザック相手にいまいち本気になれていないのだ。

 それは何故か。

 アイザックは、飛んでくる銃弾を壁を走り抜けながら躱し、相手の背後に回り込むと低い体勢で地を駆け抜け、振り向いた相手との距離を詰める。

 そして、ゼロ距離の近さで銃口の前に身を晒したアイザックは、そこで抵抗するのをやめ、やれ降参だというように、両手を広げてみせると全身の力を抜いた。

 引き金を引けば確実に仕留められる近さで、ほぼ反射的に引き金を引こうとした男の指が、一瞬ピクリと躊躇う。

 思った通り、この男は見境なく相手を殺すような人間ではない。

 少なくとも、己に対して敵意のない相手をすぐには殺さない。

 その一瞬の隙をアイザックは見逃さず、素早く男の銃を奪い放り捨て、右手を後ろ手に拘束し、左手を掴み上げながら、足払いをかけて膝をつかせ、拘束した腕の上からのしかかるように背中を踏みつけ頭を垂れさせる。

「くっ……」

 とりあえず武器さえなければ、少しは話を聞いてくれるかと考えたところで、アイザックは初めて気が付いた。

「この感じ……」

 知っている。どうして気が付かなかったのか。

 苦悶に歪む相手の横顔を覗き込む。残念ながら顔に覚えはない、けれども気配、彼が纏う空気が、おぼろげな記憶の中の人物と重なる。

 こいつだ。先日森で遭遇したのは、おそらくこの男だ。

 さらに、対面してわかった違和感は、この男自身にかけられている、何か感覚を阻害するような術だ。自己防衛のためだろうか。この男、人間としてあるべき匂いがまったくしない。

 不自然なほど無臭なのである。

「――ッ」

 アイザックは、掴んでいた男の左手を覆っていた包帯を裂いた。

 白く滑らかな手の甲に二つの牙痕が残っている。間違いない、自分の噛み痕だ。

「……あんたか」

 見つけた。まさか、こんな再会になるとは予想外ではあったが。だったら話ははやい。

 アイザックは、気になっていたもう一つのことを確認する。身体能力は高いが、男が吸血鬼化しているようすはない。

 まどろっこしいのは嫌いだし、面倒ごとはもっと嫌いである。アイザックは掴んでいる左手のシャツの袖をまくり手首を晒した。もし、本当にこの男が、ルークと同じ“貴重なレアブラッド”であるとするのなら、実際に味を確かめた方が早い。

 アイザックが脈打つ手首に顔を近づけ、牙を突き立てようとした時、男の指が動いた。


 ***


 自分の手首に吸血鬼の吐息がかすめた瞬間、ぞくりと背筋が震えた。

 ユリウスは、後ろ手に拘束された右手の指が自由に動くことを確認し、中指にはめている指輪を外すと親指で宙にはじく。

「“解錠”」

 そう短く唱え、指輪に刻んでいた術を発動する。

 刹那、眼が眩むほど強烈な閃光が協会内に満ちる。

 舌打ちした男が、拘束を解き背後から離れるのを感じながら、ユリウスは袖口に隠し持っていた聖水を右手首のスナップだけで相手に投げる。当たらなくてもいい、ただの牽制だ。

 立ち上がり素早く距離を取ったユリウスは、カツンと床を踏み鳴らして協会内のあらゆる所に仕掛けている罠の一つを発動させる。

「“捕縛”」

 床を踏んだ足元から魔法陣が広がると、茨の蔓が敵を捕まえようと襲い掛かる。

 しなる茨の蔓から逃げ回る男は、壁を駆け上がり天井高く跳躍すると、絡みつく茨を物ともせず力任せに引きちぎりながら、落下の勢いをのせた拳で、床を粉砕し魔法陣を崩した。

 想定内だ。罠そのものを囮にし、相手の視覚の外側から接近したユリウスは、剣の鞘を相手のみぞおちに叩き込み、追撃の勢いを乗せたまま横殴りに蹴り飛ばす。

 反撃の暇を与えないよう、勢いよく床に転がった相手に跨り、追撃の最中に拾い上げた剣を両手に、相手の心臓部に剣先をピタリと押し当てたユリウスは――突き刺すのを躊躇した。

 床に転がった男は、抵抗する気がないのか、ただ気怠そうにもういいか、とでも言いたげにだらりと身体の力を抜いている。

 まったく反撃の意思が感じられない。

 何にためらっているのか、自分でもわからないまま、ユリウスは気が付いた疑問を口にしていた。

「それほどの力が、ありながら……どうして、そんなに衰弱しているのですか」

 対峙したときに覚えた違和感。この男の力はきっとこんなものではない、ということは経験でわかる。

「貴方が本来の力を発揮していたら、おそらく私は負けていたかもしれません」

「……そうだな」

 劣勢にあるというのに、余裕の表情を浮かべている男に、ユリウスはいつでも迎撃できるように警戒心を強くする。

 わからないのはもうひとつ。この男からは敵意を感じないのだ。悪意も、そして殺意も感じられない。まるで遊んでいるかのような、いや訓練での本気の手合わせに近い感覚。

 だから、相手の動作に対するユリウスの反応は遅れがちになり、やりにくかったのだ。敵意もない、殺意もない、悪意もない、ではこの男は教会に何をしに来たのか。ここは吸血鬼がわざわざ足を運ぶような場所ではない。吸血鬼が教会を訪れるなど、敵地に乗り込むにも久しい行為なのだから。

 ユリウスは、男の灯火色の瞳を直視しないように気を付けながら、相手に問いかける。

「目的は、何ですか」

「あんた、レアブラッドか?」

 やはり狙いはそれか、とユリウスは心の内で呟く。

「……だとしたら?」

「あんたの血が、欲しい」

 即座に返された答えに、急速に胸の内が冷えた。

 理性を失っているようには見えないが、この男も血の欲求に抗えない、他の吸血鬼と同じだったか。

 ならば、祓うしかない。この血にとらわれた吸血鬼を生かしておくわけにはいかない。

「お断りします」

 深い悲しみを瞳に宿して呟かれたユリウスの言葉に、男が鼻で笑った。

「……だろうな」

 ふいに、上空から飛来した蝙蝠が鋭い鳴き声をあげて、ユリウスの視界を遮った。

 どこかで見たことがある蝙蝠に、迎撃すべきか躊躇したユリウスの耳になじみのある声が聞こえた。


「神父! 何してるんすか!」


 駆け寄ってくる足音が一息に距離を詰め、ユリウスが振り向く前に、腕を掴まれて男から引き離された。

「ツバキくん……」

「この人祓ったらダメですよ!」

「えっ?」

 珍しく慌てたようなツバキの言葉に、ユリウスは目をしばたかせた。言われた言葉の意味がすぐには理解できなかった。

 困惑しているユリウスに、ツバキも眉をひそめて補足の言葉を紡ぐ。

「この人は、敵じゃないんですよ。……てゆーか、アイリスさんから資料もらいませんでした?」

「資料?」

「この吸血鬼には手をだすな的な、顔イラスト付きの陽炎一族の吸血鬼リスト見ませんでした?」

「……記憶にはありませんが」

「チッ……アイリスさん、多忙とはいえ渡し忘れるとかありえねぇ。おかげで大惨事になるとこだろうが」

 ツバキが舌打ちとともに、ここにはいない相手へ向かって毒づいた。それから、ユリウスに向き直ると、若干めんどくさそうにしながら言った。

「ちょっと、神父。そこ座ってください」

 突然の指示になんだろうと思いつつ、はいと頷いて、剣を収めると、ユリウスは言われるがままに大人しく床に正座した。

「陽炎一族っていう、吸血鬼集団がいるのは知ってますよね?」

「はい。協会と協力関係にある、人間と共存を望んでいる吸血鬼たちのことですね」

「この人は、アイザック=カプリッチオ。陽炎一族の吸血鬼で、一族の中でも王族付き騎士長です」

 ツバキは、だるそうに床に寝そべったままの男――アイザックを指差して告げる。

 ユリウスにとっては衝撃の事実だ。驚きのあまり絶句してしまう。

「まぁ、元ですけどね。今はただの、町の用心棒でしたっけ? ……とりあえず、この人を祓うと、俺たち【野薔薇】と陽炎一族の協定が崩れるんで困ります」

 以上、説明終わりとでもいうようにツバキがユリウスを見た。

 ユリウスはツバキを見やってから、次に今聞いた事実を確認するかのように床に大の字になっているアイザックを見やった。

 この男は、吸血鬼で、人間との共存を望む吸血鬼集団である陽炎一族で、元王族付きの騎士長で、今はただの用心棒という。

 それはいい。それはわかった。だが、そんな男が一体ここに何しにきたのだろうか? 先の問答は本当か? それとも嘘なのか?

 上空を旋回していた蝙蝠が、ユリウスの目の前で小柄な少年の姿をとってアイザックの傍に降り立った。

「アイザックさん! 大丈夫っすか……?」

「あぁ。ジョシュアか」

 どうやら知り合いのようだ。

 いや、待て。あれは、ツバキの肩にとまっていた蝙蝠で間違いないはずだ。蝙蝠が人間になった。

「あー、あの蝙蝠、実はジョシュアっていう、陽炎一族の吸血鬼です。ここに来てから俺の仕事手伝ってもらってて……説明めんどうだったので、黙ってました。スミマセン」

 あまり反省の色のない口調で追加説明するツバキの言葉を聞き流しつつ、次々と起こる事態にユリウスは頭が混乱してきた。

 それにしても、目の前にいるアイザックの落ち着いた態度が納得いかない。

 置いてけぼりをくらっているのは自分だけなのかと、ユリウスはやや抗議するようにアイザックの方をチラリと見やってから、ツバキに申告する。

「……私、先日彼に襲われかけたのですが?」

 ユリウスの言葉にツバキが呆れたような、合点が言ったというような表情でアイザックを見下ろすと問う。

「あー……神父の手を噛んだの、まさかアイザックさんですか」

 ツバキに視線をやったアイザックが、高い天井を見つめながら答える。

「あぁ。その確認に来た」

「確認?」

「寝ぼけてうっかり、ってやつだ」

「何やってんすか……故意でも事故でも、先に仕掛けたなら、それで祓われても文句言えませんよ」

「やられるつもりなんざ毛頭ねぇよ」

「…………いや、あと少しジョシュアが遅かったら確実に刺されてただろ」

 アイザックの呟きに、ツバキは聞こえないようにボソリと毒づいた。

 天井を見つめていたアイザックは、首を巡らしてユリウスに視線をやるとだるそうに問いかけてきた。

「あんた、神父じゃねぇのか」

「今は、祓魔師です」

「今?」

 首をかしげたアイザックに、ツバキが簡潔に答えたユリウスを示して、補足説明をする。

「この人は、ユリウス神父。普段はこの教会で神父やってますが、必要があれば特別に、夜間だけ祓魔師として、吸血鬼討伐に協力してもらうこともあります。ちなみに、この人【白薔薇の門】の元幹部ですから」

「なるほどな……どうりで人間にしてはなかなかの強さだ」

「褒め言葉として受け取っておきます」

 アイザックの言葉に、ユリウスが律儀に会釈する。

「……で、アイザックさん。うっかりとはいえ、何で神父に手出したんすか」

 呆れたようなツバキの問いに、アイザックの答えはシンプルだった。

「腹減ってたから」

「アイザックさん……確かに神父は、【野薔薇】を脱退してますが、一応まだ協会関係者と見なされてるのでそれ、アウトです」

「今知った」

「今後気を付けてください」

「そいつは約束できねぇな」

「はい?」

 アイザックはツバキから視線を外すと、隣にいるユリウスの目を見据えてハッキリと告げる。

「俺は、あんたの血が欲しい」

 あまりにも堂々と宣告された言葉に、ツバキもジョシュアもユリウスもしばらく言葉を失う。

 いち早く我を取り戻したユリウスが、確認するように聞く。

「…………貴方は、私の血が……レアブラッドだから欲している、んですよね?」

 けれども、アイザックは不服そうな表情を浮かべると、ユリウスの予想とはかけ離れた言葉を放った。

「それもある。だから確認したい。俺が欲しいのは、レアブラッドか、あんたの血なのか」

「いえ、ですから、それはつまり……結局、レアブラッドが目当てということでは?」

 真顔で告げられたその言葉の意味の違いが、ユリウスには理解できなかった。

「アイザックさん。神父は、ルークさんと同じレアなんですよ。おいそれと吸血鬼に血を与えるわけにはいきません」

 諦めて下さい、とツバキが助け舟を出せば、アイザックが気だるげに言う。

「血に狂うから?」

「それもありますけど、神父の場合――」

「あの……ルーク、さん、とはどなたです?」

 アイザックとツバキの対話に、聞き逃せない言葉があったユリウスの困惑した声が割って入った。

「えっ? あぁ……そういえば紹介していませんでしたね」

「あー……ウチにも同じのがいんだよ」

「はい?」

「ウチの店にいるんだよ。レアブラッドの人間」

 言われた言葉の意味が信じられなくて、ユリウスは己の耳を疑った。

 瞠目したままツバキを見やった。知っている情報があったら教えてほしいとの意味を込めて凝視すれば、ツバキが答えを返す。

「……本当ですよ。陽炎一族に、ルーク=マーチっていう人間がいるんすけど、その人も神父と同じ、レアブラッドです」

 あっさりと肯定されたが、やはり信じられず、呟いてしまう。

「まさか…………ありえない」

「ありえないんすけどねー……事実なんで」

 事実、そう言われてもどうしても素直に信じることができない。それほどまでにユリウスが受けた衝撃は大きい。今までこの血を持つ人間はこの世で自分だけだと思っていたのだから。一般には認知されていない血液型レア――“貴重なレアブラッド”はとても珍しいモノなのだ。

「信じられねぇんなら。ウチに来て確かめればいい」

「“BARカゲロウ”が、この人たちの拠点です。町に降りればわかりますよ」

 そんな簡単に言われても、思考が上手く働かない。

 懐に入れていた眼鏡はやはりひび割れていて、ユリウスは眼鏡をかけるのを諦める。

 疲れているのか、いろいろな情報が一気に入り過ぎて脳がパンク状態だ。

「…………ツバキくん。少し考えをまとめる時間を頂きたいのですが」

「どうぞどうぞ。あとで、陽炎一族の資料渡しますね」

「ありがとうございます」

 安堵したような笑みを共に、ユリウスは礼を言う。

 今や緊張感をはらんでいた空気は霧散し、ユリウスも警戒心を解いた、普段の穏和な神父としての雰囲気に戻っていたのでツバキは安堵する。

 到着時はどうなることかと、眼前の驚きの光景に本気で焦ったが、一大事にはならなかったので一安心だ。

 これにて一件落着とでもいうように、なぜかそのまま解散のような流れになってきたのをアイザックが不機嫌そうにとめる。

「ちょっと待て。まだ終わってねぇ」

「……あ。そうでした。すみません。知らなかったとはいえ、あやうく貴方を祓うところでした……後日改めてお詫び――」

 申し訳なさそうな表情で言うユリウスの言葉を、アイザックはむず痒そうに遮る。

「詫びとか、そんなめんどくさいもんはどうでもいい」

 そもそも、非礼があるのはどう考えてもアイザックのほうだろう。寝ぼけて吸血したうえ、結界を破壊して協会に侵入、そして戦闘。

「いえ、そういうわけには参りません」

 律儀に、けれどもキッパリと意志の強い瞳を向けて告げるユリウスを見て、アイザックはしばし逡巡した後言った。

「なら、あんた、ちょっとこっちにこい」

「はい?」

 手招きされたユリウスは、首をかしげながら言われるがままに近づいた。

 と、腕を掴まれ引き寄せられる。警戒心を解いていたユリウスは完全に不意を打たれた。

 驚いて目を見開くと、目の前に迫った、灯火色から濃く赤い輝きを帯び始めた瞳を直視してしまい、瞳の魔力に魅入られ、体が硬直する。

 身動きがとれなくなり、あっと思った時には唇を塞がれた。

「――ッ」

 腰に腕を回され、もう片方の手で逃げられないようにか後頭部を抑えられる。

 切れた唇に凝固した血を舐められ、驚いて薄く開いた隙間を逃さず滑り込んできた舌の感触に、ゾクリと背筋に震えが走る。

 ユリウスは何が起こっているのか理解できない。けれども、無防備に近づいたことに対して深く反省した。


 ――神父は、もっと警戒心を持ったほうがいいです


 つい先日、ツバキに言われた言葉が今さら思い出されたが、もはや手遅れである。

「――ッ……」

 口内に残る血をすべて貪るかのように吸い上げられ、そういえば放浪生活をしていた時、日常挨拶にキスやハグをする風習の町があったなと脳が現実逃避しかけた頃、ようやく解放される。

「――これでチャラでいい」

 ペロリと舌で唇を舐め、満足気な笑みを浮かべるアイザックの顔色が、先ほどよりも生気にあふれ、さらに血色もよくなったような気がするのははたして気のせいか。

 ユリウスは一瞬本当に気が遠くなりかけた。口内に充満していた不快な血の味が見事に消え去ったのはいいが、今自分が目の前の男に何をされたのかを考えるとよくない。

 解放されるや否や、倒れそうになったユリウスをアイザックが片腕で支えた。

 片腕で口元を覆いかくし、見上げてくるユリウスは、戸惑いをにじませた瞳で精一杯睨み付けてきた。

 直後、顎を狙って繰り出されたユリウスの拳を、アイザックは片手で力強く受け止める。

「……一応確認ですが、私が男だと、分かったうえでの行為ですか……」

「あ? 当たり前だろ。女だとヤバイだろうが。野郎なら別にいいだろ、減るもんじゃねぇし」

「……いや、マジあんた、祓われても文句言えないっすよ」

 吸血したわけじゃなく体外に出た血を貰っただけだと、悪びれることなく言い放ったアイザックに、ジョシュアの目を手で隠すように覆っていたツバキは、げんなりして呟いた。

「……せめて、そーいうことは他の人が見てないとこでやってくださーい」

 もう、あの二人は放って巡回行こう、とツバキはクルリと踵を返し、教会の出口へと足を進めながら、ついでに心の中で神父にため息。

 アイザックに害はないので、あえて助けはしない。もう、これは無防備すぎる神父が悪い。それにこれは神父の心に、良い刺激になるかもしれないとも思った。

「……とんでもない人に目をつけられましたねー神父」

 ボソリと呟いた言葉に、隣にいたジョシュアが小さく首をかしげる。

 でも、これはいいことかもしれない、とツバキはひそかに思う。

 神父が他者を巻き込みたくないと思っているのは、わかっている。

 それでもツバキは、彼を救えるのなら、彼を解放できるのなら、どんな手でも使いたい。

 陽炎一族を神父の味方にできれば、今度こそを祓えるかもしれない。

 この人なら、もしかして神父を救うことができるかもしれない、と心の内でツバキはひっそり呟いた。

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