つながれるもの
伊島糸雨
つながれるもの
繋がらない橋、というものがある。
この世界の末端に存在する、唯一外に向かって伸びる橋だ。
「天国に繋がってるって噂だ」
中央展望塔から都市を見渡しながら、アナイは言った。手すりに両腕を乗せ、その上に顎を置いている。
「誰も帰ってこないから?」
僕が言うと、彼は神妙な面持ちで頷いた。「姉ちゃんも、お前の父親も帰らなかった」
そうだね、と今度は僕が相槌を打った。
彼は、遠く黒い鋼鉄の道を睨みつけている。半分から先が、ずっと霧に霞んでいる橋を。彼は常日頃から、橋が憎いという旨のことを言っていて、その視線には暗い熱がある。復讐すべきは橋だと言わんばかりだった。
彼と違って、僕はあの橋に対してそこまでの思いは抱いていない。誰か大切な人を奪われるのはみんな一緒のことで、僕たちが特別なわけでもなかったからだ。
誰しもが橋に呼ばれる可能性を持っている。そして呼ばれた人は意識もなくふらふらと橋に向かって霧に消え、二度と戻らない。
僕も彼に倣って、手の上に腕と顎を重ねる。そのまま横を向いて、図書館のデータベースにあった情報を思い出す。
「昔は、隔離都市同士の接続部だったとか」
隔離都市というのは、終末汚染を生き延びるために建設された移動都市のことだ。安全な土地を探りながら移動し、時々他の都市と遭遇してはあの橋を通して物資の交換などを行っていたという。
「何年前の話だよ。もうとっくのとうに、他の都市なんてありやしないだろうが」
アナイは呆れたように溜息をついた。確かに、彼の言う通りではあった。僕だって、今もその機能が残っているとは思わない。何せ、およそ二百年前の話だ。
「まぁ、俺にとってはあの先がなんだろうが、別にどうだっていい。いつかぶっ壊してやる」
そっか、と僕は呟いた。アナイのお姉さんには僕もよく遊んでもらったし、アナイはたぶん、お姉さんのことが好きだった。僕が父さんを好きでいたのよりもずっと、特別に好きだったのだと思う。
だから、僕にはアナイを止められない。彼の想いは想像できるから。
「じゃあ僕は、あの先を確かめるよ」
「意識もないのにか? 無理だろ」
「アナイが叩き起こしてくれればいい」
同じ一点を、天国への架け橋を見つめながら、僕は言った。父さんがどこへ行ったのかは、ずっと気になっていた。だから、やってみたいと思う。この目で確かめられるのなら。
「まぁ、僕が先に呼ばれなくちゃだけど」
「杜撰すぎるんだよ」
アナイは僕を小突くと、薄く笑った。
十代の僕たちは、橋の向こうに思いを馳せた。普通に考えて、都市の外に繋がるのなら先は地獄だったけれど、僕は誰かが言った天国の存在を信じていた。橋を隔てて、ここではない別の世界があるのだと空想した。
父さんがいなくなって何も思わなかったわけじゃない。ただそれは当たり前なのだと我慢していただけで、僕自身がどうなってしまうのかと言う不安は残り続けた。だから、橋について考えるアナイとの日々は、その不安を解消するための儀式だったのかもしれない。
「橋が爆破されたそうよ」
ドアに凭れかかって、その人は言った。僕は椅子に座ったまま彼女を見上げる。
「アナイだね。復讐を果たしたんだ」
「何が復讐よ」
彼女は怒っているようだった。
「私、ずっと待ってた……なのに、これじゃ、あの子はこっちに来れないじゃない」
「彼が選んだんだ。神の国で姉と再会することよりも、天国と決別することをね」
彼女は僕を睨みつけていたけれど、しばらくすると部屋を出て行った。
首を曲げて、真っ白な天井を仰ぎ見る。押し寄せる放射状の光は、物語で見た天の光のようだ。僕は苦笑して、そっと瞼を閉じた。
アナイ。君が聞いた噂は、ある意味本当だった。橋を渡った先は天国だった。決して楽園というわけじゃないけれど、確かに神はいた。お姉さんもいたよ。だからここはきっと、天国なんだろうと僕は思う。
天国へ続く唯一の道を壊した君は、お姉さんの言うように、罰としてここに来ることを許されないだろう。僕たちは望みを果たした。僕は真実を知り、君は空想を破壊した。
アナイ。橋の先を、今の僕は知っている。橋が結ぶのは“こちら”と“あちら”。でもそれは、此岸と彼岸ではなかった。当たり前のことだ。そんなのは、小説の中でしか出てこない虚像だった。
君は知っている。橋が結ぶのは岸と岸だと。
君は知らない。それはどこまでいっても、現実と現実しか繋ぎえないのだと。
つながれるもの 伊島糸雨 @shiu_itoh
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