返り点の位置

韮崎旭

返り点の位置

 凶鳥、ときいてカラスよりホトトギスが浮かぶ。カラスは死肉を食らうというが、ホトトギスが何を食うのか、私は知らない。いまだに知らないが花の蜜なんてお上品なもの食いそうにないからあれはそういう鳴き声だ、多分虫だろうか。絶食しているか、消化器がないまたは機能しないつくり(ある種の虫の成虫のように)か、または虫でもネズミでも食うか、そういう想像をさせる声に思う。大体カラスが怖くて生活ができるかというくらい、カラスの声は聴いてきたし、死肉なんて話聞く前から、カラスの声は聴いてきた。奴らは毎朝勤勉なことにごみあさりをしていたから、墓地の鳥、死のアレゴリー、そういう言ってしまえばある種ロマンチックな肩書よりも、ごみあさりをしてゴミ出しを面倒にし、ごみ置き場の工夫を人間に余儀なくさせる面倒な害鳥、という、しみったれたイメージが先に立つ。死のような概念的で清浄なものを象徴するには、カラスにはあまりに生活感が染みついている。それに嫌というほど姿を見た。ごみあさりをしている姿を。よりによって生活廃棄物(そんな単語があるか知らない)。生ごみ。昨日特売で買った肉で作られた雑な炒め物の残飯とか、そういうものを漁っているのだ、奴らは。それが死の使者だと?そうは思えない。かわいい同僚。無気味な同胞。せいぜいそれくらい。カラスの、死のイメージを後天的に、西洋から輸入されたものとして半ば、知る前から私はごみあさりをし、工業団地の電線に夕方に集合するカラスを見すぎた。それに、そう、見る、と度々書いてきたが、カラスは街ん酉であり生活の鳥であり、目に見える鳥だ。いわばミクロコスモスに住み着いている印象すらある、我々の生活の内側に。一方で私は、教科書か、図鑑か、国語の資料集で見るまでホトトギスの姿を知らなかった。「なんだかわからないが、夕方から夜明けにかけて(夜を含む)季節的に鳴き声がする、何処にいるかわからない鳥」。それが不如帰であり郭公だった。そういえば今年はカッコウの声を聴かないが、あいつらまだこのあたりに生息しているのだろうか。開発で森が整地されたからいないのか、それに比べてホトトギスはずいぶんしぶといな。そういえるくらい、今の私はいわゆる大人だ。声から反射的に感じる恐怖を、あれはただの動物の鳴き声で、繁殖期だから求愛として変わった鳴き方をしているのだ、という知識で上書きできる。しかしそのようないわば自然科学的な、身もふたもない(求愛なんてずいぶん身も蓋もある言い方だが、まあ自然科学になじまないものにわからせるにはそれがいいのだろう生殖のためというよりかは、生々しさが薄いものな)説明より先に私は国語の資料集でホトトギスと、またはカッコウと、もしくは児童向けの柔らかな説明がある図鑑で、出会ってしまったからこの鳥たちとのセカンドコンタクトは最悪だった。「森林の方から、暗いときに聞こえてくる、なんだかわからない鳥の、不気味な鳴き声」の正体が特定の鳥のものであることは写真付きでわかったが、「托卵」「血を吐いてなく」「正岡子規が結核にかかったから文名を血を吐いて鳴くとの伝承があるホトトギスのある記法にした」「冥府と現世を行き来する」がその説明文どもに含まれていた。やってられるか!! もちろんのちに、つまりサードコンタクトかフィフスコンタクトあたりであれは単なる繁殖のための鳥の一般的な行動であり、繁殖方法には不可解な点もあるが、要するに「ただの鳥」であることは知った。しかし、それ以前に「血を吐いてなく、ほの暗く後ろ暗い鳥」のイメージが私には刷り込まれてしまった。それにただの鳥というには、姿が見えない。だからより神話的な存在になってしまった。最悪だ。「ホトトギスの鳴き声が暗いうちにする(大抵寝付かれないときか早すぎる目ざめに伴った)」「血を吐く鳥なので恐い」「そもそも鳴き声が怖い」「いいや、あれはただの鳥だ、繁殖のために歌っているだけだ」このような順序で想像がなされるので、もしくは感想が沸くので、ホトトギスは私にとって、今まで続く凶鳥のイメージである。

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