終 章 約束は離する二人を結ぶもの



「はああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ…………」

「ため息がデカいし長いです先生」


 神和が次に目を覚ましたのは病院だった。贅沢にも個室が与えられており、今はベッドの上で体だけ起こした状態だ。話しているのは病院の医者ではなく、学園の保険医であるアルスロンガ先生だが、ここでも平然と医者面できるということはそれだけ顔が利くのだろう。

「確かに二度と来んなとは言ったけどさ、学園ごと吹っ飛ばすとか正気か? 朝起きた時に『学園が街ごと無くなったので再建するまで病院で勤務してください』ってメッセ見た時は季節外れのエイプリルフールかと思ったんだが? 何、そこまでしてナースに会いたかった? ここまで欲望に正直だともう恐怖しか無いんだけど???」

「いや別にそういうわけじゃ……でもそうか! 入院ってことはそういうことになるのか……っ!」

 アホなことに思考が持ってかれる少年の頭を、カルテで軽く叩いて引きずり戻す。

「にしても……」

 身の丈以上の白衣を着ている保険医……もとい医者は棒付きキャンディを咥えながら、カルテを軽く見直した。その顔には困惑の色が全面に浮かんでいる。

「擦り傷切り傷打撲骨折火傷脱臼その他諸々……。わーすごい、外傷のコンプリートだ。思わずトロフィーを贈りたくなるね。……しっかし、よく担ぎ込まれるまで命があったな。いやまぁここまでズタボロなくせして内臓が全部無事だったのを知った時には久方ぶりに人体の神秘を知ったけど」

 神和の体には包帯が巻き付けられている。しかもいつもと違って全身だ。その上よく分からないチューブなんかが体から何本も伸びている。ここまで来るとミイラ男とかよりもどこぞの国で錬金術によって生み出された何とかの怪物や人造人間ホムンクルスに近い。

 自分に付けられている医療機材を困惑げに眺める神和に、その担当医は肩をすくめた。

「今回はあの『薬』でも追いつかなくて……っていうか、在庫が学園ごとふっ飛ばされたから間に合わなかったんだ。それは、その追いつかなかった部分を埋めるための補助機材。まぁ、『薬』無しならもっとごちゃごちゃして身動きが取れなくなっていたと思うよ?」

 アルスロンガ先生の顔は至って大真面目だ。多少なりとも無茶してる自覚はあったが、そこまで限界が来てるとは思わなかった。大人になったら過労死だけは注意しようと一人密かに心に誓う。

「あ、そんなことより陽依は!? あと雉郷先生はどうだったんですか!? それに街の人たちも!!」

「はいはい、質問は一つずつね。まず大神くんは捻挫以外特に問題なし、入院することもなく今日も元気に登校してるよ。比良坂先生は普通に死に体だったけど日常生活に影響が出ない程度には回復してる。まぁ全快にはあと数日はかかるだろう。街の住人も死傷者は無し。精神衰弱に陥った人も全員回復している。よって、未だに入院しているのは君だけだ」

「よ、良かった……」

「うんそうだね。人の被害はね?」

「?」

 頭の上にはてなマークを浮かべる目の前の少年に再び呆れ、小柄な医者はそこそこ大きなため息をつく。

「まず学園は全焼を通り越して更地……いや、旧校舎だけは残ってたっけか。多分外れにあることが幸いしたんだろうな。街に関しては原形がない。被害範囲が街一つで収まっていたとはいえ大半は焼け野原だ。それに加え、本来はあるはずのない山やら海やらが地形を丸ごと塗り替えた。……そんな顔をしなくても良いよ。壊滅したとはいえ九割以上は復旧済みだし、後回しにされてるのは娯楽施設くらいさ」

 あれだけ天照大神に街を蹂躙されてもすぐに元通りになるというのはなかなか異常である。学園の修復速度や特注設備の話を聞いた時にも冗談半分で疑っていたが、もしかしたら本当にオーバーテクノロジーを抱えまくる秘密組織と繋がっているのかもしれない。

 そして、気になるものと言えばもう一つ。

「にしても何で笹があるんだ……」

「君のお友達からだよ。ほら、ダンボールとか被ってるあの」

 大佐の仕業であった。おそらく七夕が近いからだろう。ご丁寧に短冊もぶら下がってるし。

『早く目を覚ませよ。あとナースと会えたからって、上機嫌でその報告をされても反応に困るからそこはNGの方向で』

 やかましいわ。

 とはいえ心配させたのは事実なため、後で連絡を入れておこうとは思った。

 その時だ。病室の扉が軽く叩かれた。返事をすると一人の少女が入ってくる。学生服を着ている幼馴染、大神陽依だった。

 時刻は定かではないが、まだ日は高い。部活が終わる時間帯でもないはずだし、学校自体は午前授業で終わったのだろう。となると、陽依は学校が終わってからすぐにこちらへ来てくれたのかもしれない。

 嬉しい反面、少し情けない気持ちもあった。

 一方、アルスロンガ先生は陽依の来訪を確認すると引き時だと感じたのか、カルテをパタンと閉じる。

「基本的な治療は終わってる。点滴はまだ必要だし、医者としては絶対安静を言い渡したいところだけど……まぁ、君なら大丈夫だろ。散歩程度なら許可しよう。但し、無茶な運動とかはしないこと」

 それと、と少女に聞こえないように、その医者はこう注釈した。

「(彼女、君が眠っている間ずっと看病してくれてたんだ。その礼も忘れないようにしろよ?)」

 言うだけ言うと、アルスロンガ先生は点滴用のスタンド以外の機材を回収する。

「───それじゃ、おれはこれで。二度とここに顔を見せるなよ不良生徒ども」

 彼はいつもの調子で適当に手を振ると、そのまま出ていってしまった。陽依と顔を合わせ、どちらからともなく苦笑いをしてしまう。彼女は病室の入り口からベッドの脇まで移動し、来客用のパイプ椅子に腰を下ろした。

「おはよう、調子はどう?」

「まだちょっと痛むけどもう平気だよ。……っていうか、もしかして俺結構寝てた?」

「うーん、だいたい三日くらい?」

「……………………………………………………」

 思わず絶句した。

 七夕が近いどころではない。あの夜から三日が過ぎたとなると、日付きょうはもう七月七日とうじつだ。

「めっちゃ寝てるな……」

「ホント、とんだお寝坊さんよ」

 くすりと陽依が笑う。どこにも陰りなんてない、いつもよりもスッキリとした笑顔だった。

「俺が寝ている間面倒見てくれたんだってな、ありがとう」

「良いのよ、そのくらい。だいたい、お礼を言わなきゃいけないのは私の方でしょう?」

「そうかな……そうかもな……。……いややっぱりお礼を言わなきゃいけないの俺じゃない?」

「なんか強情ね、いつもみたいに素直に受け取っときなさいよ」

 おちゃらけてみると、彼女は笑ってくれた。取り戻せたのだと、やっと実感する。

「あの後、改めて雉郷先生に謝ってきたわ。あとは……えーっと……」

「?」

「なんか、いつもの不良たちにあねさんって呼ばれて、その……」

「???」



 首を傾げる神和を見て、どう話そうか逡巡する。

 正直、恥ずかしかったということしか覚えていない。

 先日のことだ。大佐と一緒に神和の見舞いに来たのか、例の不良五人組と病室で偶然居合わせた。こちらの顔を見た瞬間歓声をあげ、感涙する彼らの話の断片を繋ぎ合わせると、どうやら大佐が要らんことを言ったらしい。ムッとして当人を見ると睨んだ判定になってしまったようで、立ったまま魂が抜けていた。

 それはもう、病院の人がてんやわんやするくらいの阿鼻叫喚だったのだ。

 恥ずかしい。しかも相手が神和であるなら尚更。

「ほらっ、笹にもあるでしょ? あの不良たちの短冊」

「えっ……あ、ホントだ。……何か『爆発しろ』だの『元気になったら殴らせろ』だの恨み言しか書いてないんだけど……」

 苦笑いを返すしかなかった。

「でも良かった。軋轢が残ったまま終わりにならなくて」

「それもそうね」

 今考えたら、それが大佐の目的だったのかもしれない。

 少年はこちらの様子を見て安堵していたようだが、その表情に少しだけ影が差した。

「あの『大神陽依』は、まだ続けるつもりなのか?」

「……うん。みんな優しいから、きっと本当の私を見せても受け入れてくれるとは思うんだけどね。それでも、あんな私でも頼ってくれる人がいるんだったら続けてみようかなって。もう少し頑張ってみようと思う」

『誰からも頼れる自分』という仮面。偽りの自分は、正直もう投げ捨てても良いものだ。一番バレたくなかった人に、あそこまで情けなく明かしてしまったのだ。特に拘る理由もない。

 でも、あんな自分でも誰かの力になれるなら、それはそれで良いとも思う。

 人間はそう簡単には変わらない。だから、理想の自分を演じ続けてみよう。

 そしていつか。本当の自分が、理想の自分になれたなら。それが自分らしいと、胸を張って言えるようになったなら。きっと、それは誇らしいことだと思うから。

 もう少しだけ、自分を好きになれるかもしれないと思えるから。

「……そっか」

 僅かに、少年の頬が綻んだ気がした。

 この戦いはこれで終わり。

 天照大神の暴走は神和終耶の手によって終息し、その力は陽依の元へ還っていった。

 あの場で自分の想いに向き合ったことが原因なのか、力の制御も前より上達した。

 陽依にとっては、納得できる結末だった。

 でも。

「なぁ、陽依。一つだけ、聞いても良いかな」

 その少年は、まだ納得できていないらしい。

「なに?」

「はっきり答えてくれ。遠慮とか、そういうのは要らないから」

 今まで見たどんな顔よりも深刻で。

 その瞳は大きく揺れていて。

 戦いを終えて、平穏を取り戻した少年は口を開く。

 ポツリと、呟くように。


「───俺は、きみと交わした約束をちゃんと守れているのかな」


 息を呑むのが自分でも分かった。

 頬が緩むのが、嫌でも分かった。

 ずっと、忘れていないのは自分だけだと思っていた。天照大神に人格を塗り潰される直前まで残り続けているほど、いつまでも忘れられないのは自分だけだと思っていた。

 でも違ったのだ。

 覚えていてくれたのだ。ずっと昔に交わした、あの約束を。もう一〇年は経って、忘れてもおかしくないはずなのに。

「陽依……?」

「あ、ううん。何でもない」

 少し少年から顔を逸らして、緩んだ頬と涙腺を引き締める。

「私と交わした約束が守れているか、だったわよね」

 彼は小さく頷く。

「どう、なんだ……」

 自信が無いのだろう。

 そもそも、人を助けるということ自体曖昧なことだ。命の危機から救ったとしても、心まで救われたかどうかは当人にしか分からない。

 神和終耶は心を読むことを望まない。あくまで対等に、相手と向き合いたいのだろう。だとすれば、あの悪魔の手を借りようとしないのも頷ける。

 だから、ちゃんと言葉で確かめたかったのかもしれない。

 神和終耶は、大神陽依を救うことが出来たのか。

「……やっぱり馬鹿ね」

 そう、どこまでいってもこの少年は馬鹿なのだ。

 救われたかどうかなんて、誰が見ても分かるだろうに。それでも本人に確認を取らなければ、自信を持って口に出来ない。きっと、そこには救えた気になっているだけで、実は不幸にしていただけだったという事実が横たわることへの恐怖心がある。

 だから、そんな彼を安心させるために。

 馬鹿という呟きに、虚を付かれた少年を軽く小突いて。

「私を救ってくれて、助けてくれてありがとう」

「……あぁ、どういたしまして」

 安堵の表情を浮かべ、神和は一度窓の外を見る。

 夏の季節に相応しい、雲一つない青空が広がっていた。

「……外、出たいんだ。良いかな」

「えぇ、もちろん。無理はしないでね」

 立ち上がろうとする少年を支える。

 密着した部分から彼の温もりが伝わって、少し鼓動が早くなった。

 三日間眠っていたとはいえ、彼は自分の足で歩けるだろう。

 でも、どうしても離れがたい。

 だから、怪我人に無理をさせてはいけないからと自分に言い訳をして、傍らの少年に寄り添い続けることにした。

「……私ね、やっぱり『あの時』のあなたが怖い」

 少年は一言、そうかとだけ返事をして、その言葉を受け止めていた。

 彼が点滴スタンドを掴んだことを確認して歩を進める。

 ベッドが窓際にあるとはいえ病室だ。扉までの距離は長くない。簡単な会話程度しか出来ないけれど、宣言するには丁度良い。

 彼は自身の怯えを晒してくれた。だから今度はこちらの番だ。

「きっと時間の流れが薄めてはくれるけど、この先もどこかで、『あの時』のあなたを怖がり続けると思う」

 消えることはない。傷は残り続ける。ある日唐突にぱっくりと開いて、奥底に眠っていたものを湧き上がらせる。

 恐怖とは、いつだってそういうものだ。

「でも、今度はちゃんと向き合うわ。『怖い』っていう感情は何も怯えるためだけにあるわけじゃないもの」

 扉を開ける。

 足を出せば、いつだって外に出ることが出来る。

 だが、その前に。

「もう、あなたを『鬼』になんてさせない。私が引っ叩いてでも必ず元に戻してあげる。あなたが私にしてくれたように、絶対にあなたを引きずりあげてみせる」

 これは誓いの言葉。

 もし、その時が来たとしたら。もう二度と、あんな失意と絶望を抱かなくても良いように。

 今度こそ、完全無欠のハッピーエンドに繋げよう。


「だから、これからもよろしくね。私のヒーローさん」


 どちらからともなく笑い合って前を向く。

 窓から差し込む太陽が、その先を照らしてくれていた。

 先を往くわけでも、後から追いかけるわけでもなく。

 今度は、肩を並べて。

 二人で一緒に、新たな一歩を踏み出した。

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虚構世界の夢現境門 千珠沢煌也 @Estrela

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