第四章 英雄は悲劇の結末を許さない Ⅳ
12
神はその冒涜者に鉄槌を下す。
一投。
手にしていた槍をこちらにまっすぐ投擲する。一瞬で死の気配を色濃く感じたが、転がってその場を離れるだけで回避できた。その後といえば、穂先が地面に深く突き刺さったくらいで何か起きる気配はない。
目を離した隙に、緑の光が瞬いた。その瞬間に、先程の投擲がただの目眩ましにすぎないことを再認識する。
周囲から気配は消え去り、校庭のあらゆるところから多種多様な木々が生え始めた。時間は一〇秒もかからず、空は晴れているのに薄暗いと感じる樹海が完成する。
「なんだこれ……森?」
『
ただの樹海と侮ってはいけない。日本一高い山の周囲にある、富士の樹海と俗称が付く樹海は、たとえ時間が昼間であっても下手に奥へ行ってしまえば戻ってこられないと言われている。
そして、それだけではなかった。地面から生えてきた蔓や根っこが、次々と神和の四肢に絡みついてきたのだ。
「な……ッ」
『何を立ち止まっているのだ。手をこまねいていると直に身動きが取れなくなるぞ。天照大神はまだ移動していない。方向を見失う前に走れ』
「ち、くしょう……ッ!!」
刀で植物を斬り、ただ一目散に走り抜ける。
森といっても天照大神への距離だけを考えれば規模は学園内に収まる程度であるはずだ。しつこくこちらの体を拘束しようとする植物を斬り捨てながらも、最短距離で出口まで辿り着く。
だが天照大神を認識した瞬間、複数の色が瞬いた。
色は、青と黄色か。
音源は背後からだった。
地面に突き刺さった巨大な槍。そこから真っ黒な淀が渦を巻いて出現する。それらは山や海に姿を変え、元々あった都市の形をあっという間に塗り潰していった。地上全てを洗い流さんとするほどの激流が、神和を変化の中心に押し流していく。
構成されたのは島のように点在する陸地と、周囲を取り囲む海だった。逃げ場など無い、狩り場のような場所。
赤い空は面影すら残っていない。ただ厚い灰色の雲が、天を覆い尽くしていたのだ。
それが、瞬く。
「……ッ!?」
直後に閃光が落ちてきた。体の中心を貫き、思考をショートさせる。視界はチカチカと火花が散り、全身から力を奪っていった。
「ッ!!」
倒れそうになる体を、咄嗟に足を出すことで踏みとどまる。
安定することはない。重心は定まらず、視界も霞み、思考すらまともに行えない。
不可思議な色が瞬いた。
突如として心臓が跳ねる。まるで心臓に杭でも打ち込まれたかのような感覚。直接恐怖を注射されたかのような悪寒が背中を走る。
(こ、の……感覚、は……ッ)
知っている。これは禍津鬼の時と同じものだ。この場合は、そのモデルとなった厄神か。
空間を疾駆する色はもう認識できない。
ただ足元の地面が割れた。流れ落ちる新しい『海水』が、少年の体を奈落に落とそうとする。反射的に断崖へ刀を突き刺して持ちこたえるが、追い打ちをかけるように、割れた暗闇が真っ赤に染まっていった。
その正体は炎であった。紅蓮の炎はその形を剣に変え、神和を真下から空へ突き飛ばす。
マンションよりも高く打ち上げられた格好の獲物を、天照大神が見逃すはずがない。
一つの流星が飛来した。
禍津神の隕石が可愛く思えるくらいの大きさだった。正確なサイズなど分からない。気付いた時には視界全体を隕石が染めていた。
接触する寸前に、日本刀を自分の前で構えていたが受け流せるわけがない。
衝突は破壊を生む。地面を砕き、校庭だけでなく校舎まで巻き込んで一つの巨大なクレーターが出来ていた。
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「……………………………………………………………………………………………………ぁ」
それを、目の前で見てしまった者がいた。
新しい『海』から頭を出す家だった物を伝い、ギリギリのところで隕石の暴力に巻き込まれなかった場所で。
嘘だ、という言葉だけが頭を満たす。
あの後ろ姿を見た陽依は、少年に希望を託した。天照大神に勝利するという、不可能を可能にするヒーロー。心のどこかで、成し遂げられると根拠もなく信じていたのだ。
では、アレは何だ?
今目の前で、ボロ雑巾のように打ちのめされた少年は誰なんだ?
「……っ!!」
神和の元に駆け寄るが、あまりの凄惨さに、思わず手で口を覆ってしまった。
制服は焼け落ちて形を保っていない。ワイシャツも真っ赤になっており、肌の大部分は火傷していた。切り傷や擦り傷も目立つ。出血も激しく、今も校庭だった場所に鮮血を広げていく。
「…………ぅ、あ……」
ピクリと指先が動いた。止める間もなく、その少年は体を起こして日本刀の切っ先を天照大神に向ける。
(……気付いて、ない……?)
陽依の存在に気付けないほど消耗しているのか。しかし、その目から戦意は消えていない。体の力も、少しずつ戻ってきているように見える。
「ねぇ、ねぇちょっと……っ!」
「ひよ、り……?」
ようやく、神和が陽依の存在を認識した。
「……ここはきけん、だ……にげて、くれ……」
それで察する。神和は陽依を認識しているが、認識しただけだったのだ。
どうしてここに。逃げた方が良い。そんな、飛んでこなければいけない疑問の声は出てこなかった。明らかに記憶の接続が出来ていない。認識しても、前後の出来事を思い出せないほどのダメージが蓄積しているのだろう。
目の前に敵がいて、ここはそんな奴が大暴れする戦場で、何故か大神陽依が隣にいる。
神和の認識は、きっとそこまでなのだ。
天照大神に派手な動きはない。皮肉にも陽依が傍にいるせいで、無闇に力を振るえないのだろう。静かに見下ろしたまま、おそらく次の一手を計算している。
「……ぜったいに、おまえをたすける」
一時の静寂に、その言葉を告げられる。摩耗した意識でも、その想いは失っていなかったのだ。朦朧としていても、ただそれだけを目的に立ち上がっているのだ。
一歩前に出た神和に、天照大神が矢を向ける。
止まらない。誰かを助けると決意した少年は、絶対に諦めることはなく成し遂げようとする。それをずっと傍で見てきたから、陽依も嫌というほど身に沁みていた。
だからこそ、陽依も譲れないものがある。
「お願い、私の話を聞いて」
ピタリと、少年の動きが止まった。返事の声も、振り向くこともしないが、それでも陽依の言葉を待っている。
今の陽依に特別な力はない。天照大神の能力は使えない。今までならともかく、今の陽依にが神和の力になれる要素はどこにもない。
それでも吼えるように続ける。自分の想いが、きちんと彼に届くように。
「一度だけで良い。失敗したら今度こそ自分の身を優先する。だからお願い。私にもう一度、挽回のチャンスをちょうだい!!」
沈黙は一瞬。
直後に返答があった。
「───きみが、それを望むなら」
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演算を終えた天照大神が動く。
色彩は黄金。
右手を掲げると、巨大な槍が回転しながらその手に収まった。
湧き出したのは黄泉醜女。最初から八人がかりで、神和をすり潰しにかかる。
大神陽依は動かない。神和も陽依を庇うように刀を構え、襲いかかる鬼を迎え撃つ。
その最中に、凛とした声が地上を走っていた。
「五大の素、五行の元。秘匿されし七大神秘、人が束ねし奇跡をここに」
多勢に無勢であるはずだった。一度敗北を喫しているのだから、それが繰り返されるはずだった。
しかし倒れない。神和の動きは洗練され、黄泉醜女の攻撃を次々に受け流す。
「此は万象の理を解くもの。個は万物の礎を築くもの。杯の探索、石の創造、聖なる祈り。終わりなき旅の涯、深淵に潜む獣を見つめよ」
防戦は終わり。少年はそう告げたかのようだった。突然姿勢を低くすると、動きは攻撃に転化する。
足を振り抜いて次の動きに移るその刹那、刀を振り上げて片腕を切断する。黄泉醜女が再生しようとしているところで次は足を斬り落とし、バランスを崩した胴体を蹴り飛ばした。
「首に鎖を、手足に枷を。虚ろなる影は頭を垂れよ」
そして戦闘スタイルは二刀流へ。二人目の正拳突きを支柱に使い、パルクールの要領で黄泉醜女の上を取った。
黄泉醜女は怪力だ。それは、上から抑えつけたところでピクリとも動かないほど。だが、強すぎるこそ支柱に出来る。力を緩められたら地面に叩き落されるのはこちらであるため、利用するのはあくまで一瞬。
そのまま黄泉醜女の背中を回転しながら斬り刻む。着地と同時、神和の頭目掛けて回し蹴りが迫った。
しかし遅い。僅かなワンテンポの遅れが決定打となった。
先に振るっていた刀が足を斬り、続いたもう一振りが首を撥ねた。黄泉醜女は地面に倒れ伏し、溶けるように消えていく。
「我は天の恵みに叛逆し、迫る災禍に反骨す」
色彩が散った。天照大神はどうやら陽依を抑えることを優先したらしい。二人の黄泉醜女が陽依の方へ向かっていく。
降ろした神は先程の久久能智か。地面から伸びた木の根が神和の足を絡め、そのまま全身を拘束していく。
だが止まらない。次に起こした神和の行動は三つ。
刀を投げ、新たに象ったやたらと刃幅が広い両刃刀で木の根諸共地面に突き刺し、もう一度刀を投げる。
一振り目の刀が黄泉醜女の脇腹を貫き、重心を崩された黄泉醜女は陽依に回避された。二振り目の刀は陽依に伸びた腕に突き刺さり、標的を掴むことなく虚空を切る。
しかし陽依の守りに徹しすぎた。
残った黄泉醜女の一人が神和を蹴り上げたのだ。咄嗟に近くの両刃刀で防御するが、黄泉醜女の怪力はその場限りの刀を簡単に砕く。いくらか威力は削いでくれたものの、鬼と揶揄される化け物の一撃は少年の体を容易く宙に浮かせた。それを合図に、残りの三人も必殺の一撃を繰り出す。
傍から見ればただの拳とキック。だが当たれば人間なんて簡単に挽き肉に出来る化け物の攻撃が迫る。
「其は夢幻の郷にて顕界を瞰む者───」
それが当たれば神和は死ぬ。瞬く間に肉塊へ姿を変える。
それでも陽依は唱え続ける。詠唱しているのは召喚魔術だ。
この状態で土地の力を使えるかは分からない。召喚に必要な魔法陣も無い。公表されている召喚魔術の発動条件は何も満たしていない。
これは賭けだ。成功と失敗の割合がどの程度なのかも分からない、分の悪い賭け。
それでも少年は少女の想いに応えると誓ったのだ。
『これは私の机上の空論。成功するか分からないただの賭けよ。どうせ聞いてるんでしょ? ルシウス。答え合わせがしたいの。アンタの知識を借りれないかしら』
『契約に則れば貴様の言葉など従う義理は無いのだが、まぁ、良いだろう。言ってみろ』
『ありがと。することは単純よ。私がここで、召喚魔術を発動させるだけ』
概要はこれだけだ。ゲームみたいに隠された特攻武器があるわけでも、都合よく天照大神に弱点があるわけでもない。
ただ、それで全容を知るのは難しい。根拠と一緒に、陽依は作戦を補足する。
『召喚魔術は超常的存在をこことは違う世界から「門」を通じてこの世界に降ろし、契約によって縛る術。でも今の天照大御神様は、私が心を乱したせいでそういった縛鎖から解き放たれて顕現なされている状態、だったわよね』
『そうだ』
陽依が天照大神を止められない理由はこれだ。リードから手を放したら、飼い犬であっても行く先を完璧に制御できないのと同じように。
『だからもう一度召喚して契約を結び直す。これで天照大御神様を無力化できなくても、力を削ぐくらいは出来るはずよ』
記紀───日本神話の原典である『古事記』と『日本書紀』で語られる天照大神は、総じて絶対神として描かれているわけではない。
だが太陽神であり巫女である天照大神は数多の神をその身に降ろし、八百万の力を振るう事が出来る。
まさに、森羅万象の化身ともいえる絶対性。
陽依の狙いは、天照大神からその『絶対性』を奪うことだった。
天照大神と力を共有して能力を使えるようになるか、或いは天照大神の行動に横槍を入れられるようになるか。どちらにしても、天照大神の力を削げる可能性がある。
だが、あくまで可能性止まり。最初に言ったように、机上の空論であることに違いはない。
『……ほう。限られた情報の中でも自分なりに精査してその解法に辿り着いたのか。───そうか』
『?』
『ククク、良いだろう。結論から告げる』
淡々と悪魔は言った。
『貴様の理論に誤りはない。成功すれば、間違いなく天照大神は衰退する』
それだけでは終わらない。
悪魔もどこか期待しているのかもしれない。人間がどこまで神に足掻けるか。天上から世界を見下ろし、ただ裁定を下す『絶対者』を相手にどこまで抗えるのかを。
『しかし、ただ召喚魔術を唱えるだけでは味気ないだろう。呪文は対象との対話と契約文を担うモノ。そこに、貴様の望みを組み込むと良い。神の意思など容易く捻じ伏せる、人間としての意志をな』
『人間としての……』
短く反芻すると、今度は神和と向き直る。
『召喚魔術の効力がどこまで及ぶか分からない。確実を取るなら、術者は天照大御神様の傍にいた方が良いと思う。でも、そうしたら召喚魔術を完成させるまで私は無防備になる。あなたは、それまで私を守ってほしいの』
陽依が少年に求めたものは至極明快であった。しかし、叶えるにはハードルが高すぎるものだったはずだ。先程まで蹂躙されるしかなかった神様を相手に、自分を守りながら戦ってほしいだなんて。
だが、それでも。少年の目に宿る光は強く輝いていた。
摩耗した精神も、蓄積したダメージも感じられないほどはっきりとした声だった。
『了解』
たった一言。そのたった一言が、少年の再起を告げる。
そう、だからこそ。
「───しかれどそれは現界に
希望は潰えない。
輝ける未来は奪えない。
たとえ、神が相手であったとしても。
「魂の輪より出ずる門、和する現身を標とし、この呼び声に今一度応え給え!!」
神に一泡吹かせてやる。
そんな、人間の意地と執念が形を作る。
完璧なシステムにバグを生み、円滑なプログラムを錆びつかせていく。
陽依の詠唱が完了し、召喚魔術が成立する。それは、天照大神に大きな
「汝の名は天照大御神! 流出せし原初の神威、我が法を以て統率せん!!」
公表されている情報が正しければ発動するはずがない。だが、ルシウスは既に正解を教えてくれていた。
つまり。
つまりは。
15
大神陽依は、決して優れた人間ではない。
失敗もするし、勘違いもする。間違うことだって珍しくない。だけど、それでも欠点がないように取り繕って、余裕のある人間に見せていただけなのだ。
本心も当然、それほど高潔なものではない。
ただ、とある少年を恐れないために臆病な自分を誤魔化したかった。
誰が何と言おうと、それが真実であり、偽りの始点であることに変わりはない。
それでも。それを分かった上でも。
あの少年は言ってくれたのだ。
神和終耶を想い、気遣い、力になろうとした大神陽依が確かにいた。気付かなかっただけでちゃんと生きていて、それに感謝していたのだと。
大馬鹿者だと思う。性善説を盲信しすぎだとも思う。
だが、それでもだ。
その言葉を嘘にしたくない。
自信を持って、胸を張って、もう一度あの日々を歩みたい。
一人の人間として、あの少年の幼馴染として。確かに、そう思えたのだ。
だから
だから
だから
そんな、臆病な自分を二度も認めてくれた少年を奪おうとする神様という分からず屋を。
誰に何を言われようとも、今まで何があろうとも。この胸に秘めた想いは、決して嘘ではないのだから。
自己を見定め、宿業を知り、真我に目覚めることで始まりに回帰せよ。
そう、今も昔も変わらない。抱く望みはただ一つ。
大切な人と、ずっと一緒にいたい。
自分の生き方に悩んでも、過ちから目を背けていた時も、自分を見失ったとしても。
決して、それがブレることはなかったのだ。
女々しくて、子どもっぽくて、それでいてなんだか小っ恥ずかしい。
だがもう見失うことはない。
覚悟しろと
真我はここに示された。
故に。
少女の想いに呼応して、召喚魔術は完成する。
16
天照大神が歪む。
点滅し、ノイズが走り、動きが鈍る。体を吊るす糸が千切れたかのように、今まで空中にいた
膨大な力が拡散して、世界に溶けていくのが分かる。
黄泉醜女の体は崩れていき、今まで場を支配していた重圧も解けていった。
直後、学園の中心に君臨していた天照大神が慟哭する。
地面を捲り、潰れかけていた校舎を完全に倒壊させる。
空間そのものを揺るがす咆哮であった。
神和たちもその場に立っていられず、空中に投げ出される。神和は咄嗟に陽依を庇い、その勢いのまま滑空していった。学園から少し離れた、もはや住宅の面影すらない瓦礫の山が二人を受け止める。
「ぐ、がッ!? っはぁ……っ、平気、か……っ?」
「もう! 私よりも自分の心配をしなさいよ!! 庇ってくれてありがとう!!」
陽依が立ち上がろうとすると体がふらつく。慌てて神和は彼女の体を抱きとめた。
「っ、ごめん。今ので捻ったみたい」
「無理すんな。あとのことは任せてくれ」
学園の敷地内からは追い出されたが、それでも距離としては一キロあるか無いか。走って戻れば間に合うはずだ。
『天照大神も限界だ。今は急激な力の減衰で動けなくなっているが、次に動き出した時は形振り構っていられないだろう。それこそ、人間相手に本気を出すだろうな。嘆かわしい。神の身でありながらここまで落ちぶれるとは』
周囲の地形を瓦解させるほどの咆哮。
今まで荘厳ながらも圧倒的な力を振りかざしてきた神の行いとは思えないその異常こそが、もう時間が残されていないことを証明していた。
少年と少女は、どちらも好戦的な笑みをその顔に浮かべる。
「頼んだわよ」
「頼まれた」
それだけ交わして、神和は学園へ全力で駆けていく。
天照大神も再起動を果たした。
色彩が瞬く。
その色は黒。
悪魔が嫌悪の感情を舌打ちとともに表へ出す。
『
因幡の白兎と呼ばれるウサギに正しい治療法を教えたことや、少彦名命という神と共に国を作ったという逸話に由来して、大国主神は国造りや医術の神として知られている。
しかし、その神に本来は縁結びの逸話など存在しない。それでも大国主神は全国で縁結びの神として祀られているのだ。
諸説あるものの、それは旧暦一〇月──神無月と呼ばれる期間に全国の神々が集結し、出雲にて男女の縁結びの相談をしたという逸話に起因する。
神の在り方は後世の人間によって様々な属性が追加される。史実には縁結びの逸話などなくても、たとえ本来とは別の形に歪んでしまっているとしても、その信仰は神々に力を与えるのだ。
そうあってほしいと願い、夢と希望を神という存在に委ねたから、大国主神は縁結びの神として成立した。
『心に綻びを入れる算段か。姑息だが、確かにその手法であれば人間に止める手立てはない。人間相手であれば有効打になる会心の一手だろう』
「な、縁結びの神なのにそんなことが出来るのか!?」
『縁結びは何も結ぶだけが神性ではない。結合と切断は表裏一体。結び方を知っているのであれば、断ち方も知っていることに他ならん』
その口元が三日月型に歪む。
しかし、それは神和に向けたものではなかった。
『このままではこれと二度と出会えなくなる。いや、そもそも出会えたという事実すら消え去るかもしれんな。それを良しとするのであればそこで見ているが良い。だが否と断ずるのであればその意志を見せてみろ。この縁を生かすも殺すも、貴様次第だ』
見ていた方向は神和にも覚えがある。
そこにいる少女を試すように、悪魔は嗤う。
『さぁ、どうする?』
17
陽依も、それを聞いていた。
ルシウスの声が大きかったわけではない。距離でいえば確実に聞き取れない位置にいた。だが、それはルシウス側が細工をしたのだろう。テレパシーか、音の伝播という現象を弄ったのか。ともかく天照大神がしようとしていることを耳にした。
させるものか。
させてなるものか。
確かに良いことばかりではなかった。喧嘩だってたくさんしたし、辛い経験だって一度や二度ではない。
でも、だからこそ神和終耶と大神陽依はここにいる。
それがあって、乗り越えてきたからこそ今があるのだ。
巡り合わせだとか、別の誰かが同じことをしたら、その位置にいるのはそいつだったかもしれないだとか、そんな細かいことはどうでも良い。
今、ここで、天照大神に挑んでいる二人の関係はこの二人だけのものだ。そこに手を施される筋合いは、神様にだってあるものか!!
だから告げる。
いいや、叫ぶ。
そんな、神様の
「我が意に反することを禁ずる! 此の命に従え、天照大御神!!」
それだけは許さない。
たとえ神様でも、そこに手を入れることだけは看過しない。
それが大神陽依の意志だった。
ここからでも分かる。天照大神に宿りかけていた何かが霧散した。
「進め。進め───」
天照大神が右手を掲げる。たったそれだけで、視界が闇に閉ざされた。
陽依の知識の中にもそれはある。おそらく、天照大神を語る上で最も有名な逸話の一つ。
それは、八百万の神が一度は頭を抱えた日本神話最大の大異変。
人は、その事象を天岩戸異変と呼称する。
記紀において、天岩戸異変についてはこう綴られている。
曰く。
天照大神がその岩を閉じた瞬間に光は絶たれ、総ては暗黒に包まれた。
曰く。
様々な禍が発生し、世界はあらゆる厄災で満たされたと。
───人間は、夜に活動してはならない。
理由なんて決まっている。暗闇の恐怖に、人間が勝つことはできないからだ。
浄化の光が消えた途端、死の気配が鼻を突く。
元は黄泉の穢れから生まれしモノ。この世全ての災いを担う者。
今代では禍津鬼と名をつけられた、人間を死に至らせる『死』の形。
象り、増殖する。おそらくその数は今までの比ではない。
世界を滅ぼしてでも、たった一人の人間を殺す。神の怒りが人間の未来を跡形もなく叩き潰す。
それでも。
その手に新たな光が集う。目の端から緋色が散ったことに、少女は自分で気付けただろうか。
「大丈夫、あなたは進めるよ。たとえ世界が暗闇に包まれて、多くの災禍に怯えても」
何故か。決まっている。
「私が、あなたの道を照らすから」
太陽はここにもう一つ。神々のためではなく人のため。英雄の凱旋を祝うために暗黒を照らしていく───!!
18
その足は止まらない。止まることを考えていないのだ。先の見えない暗闇であっても、神和は進むことを恐れない。
禍津鬼も禍津神も、神和は一人で勝てていない。どちらも少女の力が無ければ善戦すら難しかったはずだ。
命あるものでは逃れられない『恐怖』に追われる。
体感的な時間がスローに移行した。
四方八方から『死』が迫る。爪が、牙が、一つの命を狩るために向けられる。
足元が熱い。体の節々が凍らされたことによって動きが鈍る。肌にピリピリとした、静電気のようなそれが這い回る。頭上で点滅する光源は、無数の隕石か。
「───ッ!!」
だが止まらなかった。
無数の『死』は無限の救いが淘汰する。
一筋の光が神和の頭上で弾け、幾多の矢が災厄の全てに降り注いだ。
それを合図に、認識が現実と合致する。
あれだけ街を脅かした火柱が暗闇を照らして道を示していく。
「───そうだ」
握った日本刀を構え直す。姿勢は低く、呼吸は浅く。
鼓動は一定に、しかし情熱は燃えたまま。
「俺は神和終耶」
呟き、見切る。
「闇を祓い、邪悪を穿ち、天理に背いて神威を断つ」
もう弱いままではいられない。
逆転劇はここからだ。
故に、少年はここに宣言する。
ピンチの時に駆けつけて、『悪』を斃してヒトを救う。そんな、夢物語に登場するような───、
「大神陽依の、ヒーローだ」
一息だった。
迫りくる災禍を潜り抜け、火柱を頼りに神和終耶は稲妻のごとく疾走する。
『──────ッ!』
天照大神は太陽を収縮すらしないまま槍へと変換した。斜めに降りしきる雨のような弾幕を少年は刀で軌道を逸らし、別の槍へと当てることで活路を開いていく。
そのまま、懐に飛び込んだ神和は天照大神を斬り上げた。
『──────ッッ!!!!』
合わせるように、天照大神も動いた。二振りの日本刀。そのうち、鞘しか無く、本来であれば柄がある部分を掴み取る。
紅蓮が走った。それは瞬く間に金色へ。収斂する莫大な力を、そのまま足元を薙ぐように振り抜いたのだ。
ゴォッッ!! と炎の壁が出現する。
「ち───ッ」
神和は僅かに後方へ跳ぶが、衝撃波で体は吹き飛ばされた。直撃だけは回避して距離を取るためであったが、それが追撃を許す仇となる。
炎の壁を突き破り、因果律を捻じ曲げて太陽の矢が神和の周囲を包囲する。
躱せない。防げない。空中に身を投げ出された状態では、まともな防御は不可能だ。
だから。
「ルシウス!!」
『私を顎で使役するな』
言葉とともに現れたルシウスは、吹き飛ばされた神和の体の先へ巨大な瓦礫を蹴り上げる。神和はそれを足場にし、足をバネのように使って天照大神へ勢いよく降下した。
未だに残っていた炎壁の残り火が少年の体を焼く。
(それでも───)
そのまま一太刀。天照大神が咆哮を上げるとともに、視界は元の景色に切り替わった。天岩戸異変の再現が消えたのだ。
やがて、逃げるように天照大神の体躯が上昇する。
届かない。召喚士になっても所詮は人間。人の身では神である天照大神に食らいつくのも限界がある。神和にとって、その地点がここだったのだ。
人間は空を飛べない。だから、あと一歩届かない。
(それでも!!)
ただ『来る』という確信があった。
瓦礫の上で身を屈める。その瞬間を信じて待つ。
そして。
「───来い!」
太陽の一閃が飛来する。
直線の先に、その少女はいた。
合図も打ち合わせもしていない。ルシウスもただ黙していた。
それでも届いた。
大神陽依の想いが、天を衝く火柱となって少年を
上がって、上がって、上がって。太陽の神すら置き去りにして、人は神の上を取る。
しかし、天照大神もこのままでは終わらない。
打ち出される獄炎の槍。続いて弓に番えた矢は、今まで見たこともないほど巨大であった。
ただ落ちるだけになった神和に回避する術は無い。受け流すのも限界で、無防備になった体へ逆向きの雨が次々と着弾した。
腕、肩、脇腹。足はどれだけ穿たれたのか分からない。
皮膚が焼ける音がする。四肢が持ってかれるのではないかと思うほどの力がかかる。肉を焦がす匂いが鼻腔をつく。
「でも、それだけで……この、程度……ッ!」
これくらいの苦痛、あの少女はとっくの昔に味わっている。一度ならず二度までも。しかもそれは、どちらも神和終耶がもたらしたものだというおまけ付きで。それを今まで、弱音一つ漏らすことなく、たった一人で懸命に乗り越えてきたのだ。
だから報いろ。それら全てを飲み込むことで、今までの努力が無駄ではなかったと証明しろ。
手足は千切れない。日本刀は手放さない。ボロボロの身体はまだ動く。
目と鼻の先にいる天照大神。その女神が番える矢を間近で見て神和は察した。
あぁ、あれは、紛れもなく本物の太陽なのだと。
世界を照らす太陽と同じ。比喩でもなんでもない、天照大神の代名詞。
直撃すれば骨すら残らない。それが放たれることは、神和終耶という人間が確実に焼失することを意味している。
(だから何だってんだッ。ここまで来て、そんなくだらない理由で!)
しかし、それを目にしても神和から戦意は消えなかった。何度も打ちのめされ、ヒビすら入る日本刀を握りしめる。
「折れて、たまるかァッッ!!」
刀身が輝く。刃こぼれは修復され、硬度と切れ味が増していく。
折れるな。
挫けるな。
諦めるな。
今ここで、もう一度。その刀に全てを込めろ。
あと少し。
それさえ乗り越えることが出来たなら、大神陽依は救われるのだ。
……きっと、この劣等感は消えてくれない。嫉妬や無力感に苛まれ続ける。そしてこれからも、自分を赦すことは出来ないのだろう。
それでも。
(それで誰かを傷つけるなんてこと、あってはいけないことなんだ! これは俺の罪だ。俺だけが抱えていく業なんだ! だから、だから!!)
あの日のように、また二人で笑い合うために。
まずはここからだ。
「もう何も失わない! これ以上、あいつに涙は流させない!!」
人間は神には勝てない。勝てる道理など存在しない。
そもそも、この戦いで重要なことは勝つことではなく、負けないことであるはずだった。
だが、それでも。
少年から、たった一つの宣言があったのだ。
「俺の勝ちだ!! 天照大御神ッッ!!!!」
直後だった。
至近距離で、人間と太陽神が激突した。
時間が圧縮され、空間は膨張した。
絡み合った二つの影は一筋の閃光となり、私立明星魔導学園の中心に突き刺さった。
天に立つ日の神は、人間の意志によって地に堕とされたのだ。
黎明と黄昏が共存する赤空は、満天の星が散りばめられた夜空に戻り。
学園全てを覆い尽くすほどの巨大な火柱が、星々が煌めく天空を貫いた。
それは、まるで。
離れ離れになった天と地を、再び繋ぐ楔のように。
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