第2話 籠の鳥は謳わない Ⅱ
綴るための道具は一つ 。
記すための道具は一つ 。
片方は既に手元にあった 。
だから私は、村に紙を要求した 。
「こんなの何に使うんだってさ」
あなたの次に食事係になったのは、この村の村長のお子だった 。
前のように、手頃な者を手に入れられなかっ たらしい 。毎日やってくるその子どもは、なんで俺が 、とぶつぶつ文句を言っていた 。
「あんた、変な気を起こすなよ。
あんたが何不自由なく、差別なく過ごせるのはここにいるからなんだ」
俺ならとっくにしたいようにしている、と何やら物騒なことをほざいていたがどうでもよかった。私は欲しいものを手に入れたのだ。
ざらり、と荒い製法が指に引っかかる。引っ掛けたのは、指先だけでない気がした。
お子の顔を見ないまま、私は紙を撫でて告げる。
「今後 、私が欲しいときに紙を届けよ」
お子は目を見開いた 。私のほうから要求する のは珍しかったろう。これまで一度としてなかった気さえする 。
「今まで通り、何も言わずこちらに干渉しなければここにいてやる」
けれど、と続きを口にする。傲慢に、この世のものとあらぬように。面をゆっくりと上げ、恐怖に慄く瞳をしかと見据える。
「 一度でも背いてみろ。その時はお前らが深く後悔する時だ」
神性なんてしらない。ただ、あなたがいないこの部屋で、生き延びるためにはしなくてはいけなかった。
お子はこくり、と震えた顔で頷いた。
虫よけの煙が細く、細く立ち昇る。何処からか羽虫がか細く劈く。こんな生き物でさえ飛びたいように飛ぶのに、私はこの窓辺から動けない 。
私はまだ、自分の物語とやらを知らないから。いつもの日々を白紙に重ねる 。
日々を綴る。
珍しい鳥の群生が通ったこと。
前に話した星の周期が近いこと 。
今夜は星の跡がよく見えること 。
言葉を綴る手は止まない 。
あなたを綴る言葉は、いつしか物語になって行く。
インクで埋まった紙はやがて束となる。物語は集えば本となる。
幾年月の世が過ぎて、鳥の羽ばたきが変わる頃には、もうそれがなくては自身を落ち着けさせることが出来なくなっていた 。
気づけば意思が、感情が、とおくとおくに行く様を思う。
ペン先を紙に引っ掻いて、
黒のインクが乾かぬ間に次の紙へ。
いつしか自身の爪さえ黒に染まった。
それでも気にはならなかった。
気づかないように。
見た目の生が続くように。
書いて書いて書いて書いて。
退屈が私を殺さないように。
あなたがいた時間が、どれ程のものか思い知らないように 。
万年筆が壊れてしまうのか、それとも私が壊れるほうが先か 。
絶壁の淵を歩くかのような心持で、私は今日も万年筆を手に取るのだ 。
今日は星の跡が降る日だ。新緑を透かした木漏れ日はさやさやと揺らめく。
最近はあなたのことが 、夢のように薄れていた 。声も、顔の輪郭も、鮮やかでお気に入りの琥珀の瞳さえも。そうなる度に、書き記した束を読み返す。
いつしかこの部屋と塔は紙で埋め尽くされていた。見る人が見れば、それを白い繭のようだとも、抜けた鳥の羽のようだとも言っただろう。
綴って、読み返して、また綴って。
忘れないように。
この記したものたちだけが、確かな証で。
揺らいでいく思い出の楔だった。
こんこん、と控えめなノックが突如部屋に響く。毎日のお決まりはすっかり今を見なくなった私を現実に戻した。
建付けの悪くなった扉を押しやって、今代の食事係がそろりと入ってきた。
いつもと同じ食事、同じ時間だというのに、何だか違和感が拭えなかった。
そう、年端もいかぬ小さなお子は、白い服を着ていたのだ。
普段、村では白い服を着ない。汚れてしまうし、特別な意味を持つからだ。
「なんだ、いつもと違うな」
私にしては珍しく、口を開いた。お子はびくついてこちらの顔を見ようとしない。
しばらくして、あの、とお子が口を開いた 。
「明日、お葬式があって。俺の爺様、なんですけど」
多分、あなたも知っている。
そう言われてもピンとこない。ここに来るのは食事係しかいないのだ。しかも何代も何代も交代している。
いちいち覚えていなかった。
「この村を出たという 、砂色の髪の人の次に来た人、です」
訝しんだ顔をしたのが気になったのか、お子はそう補足する。
「村長になった、自慢の爺様です。なんですけど」
これ 、と扉の向こうから差し出してきたのは、大きな籠だった。中にはシミや汚れだらけの手紙の束がいくつもいくつも入っていた。
「 爺様の部屋に、あったんです。気になって見てみたら、貴女のことが書いてありました」
一番上にある、切られた封の中を見る 。
そこには、ああ、そこには。
心臓がどくりどくりと浮きだって煩い。手が微かに震えてしまう。だって、そこに記されていたのは。
あなたがそこに、息づいていたのだ。
開いては、籠に残された手紙を次々と開いてゆく。
それらはすべて、封が切られていた。読まれていないものなど、一つもなかった。
「爺様が、隠していました。多分、これを読んで貴女がどこかに行ってしまわぬように」
怖かったのだ、とお子は言った。
どうでもいい内容に去来したのは、ただあなたへの想いのみだった。
「きらいになったのかと思ったのよ」
籠の底がつく。たくさんあった手紙は 、何年も前に止まっていた。
つまり、そういうことなのだろう。一番最後の手紙には、あなたがあの日に言っていたであろう言葉が綴られていた。
『いつか、向こう側へ一緒に行こう』
琥珀の瞳と砂色の髪が、確かな色味と質感を持って思い起こせた。
本当に、嫌いになったのかと思ったのだ 。
知ってるんだよ。初めは怖がっていたこと。 近づきたくなかったこと。
村の奴らは私を生かす。そうでなきゃ生きていけないから。
乾いたこの地では、水も植物も命と同じくらい大事だった。
私は村にとっての贄だった。
どうでもよかったから、むかしの私はそれに応じてしまった。
あなたもまた、私が生きるための贄だった。
私が生きていけるように。
「馬鹿だなぁ」
嘲りの言葉は、それさえも私という物語が綴じられた本を飾る一文に過ぎない。
代わり映えのない日々を変える為にくれたもの。私に本になると云ったあなた。
それが私の為だったろうことは、いい加減気づいていた。
けれど私は。私はね。
一緒なら、なんでもよかったのだ。
ああ、私もまた、あなたにとっての物語だったのだ。
「あの子、頑固なの」
危うかった記憶のかけらは 、案外するりと思い出せた。誰に聞かせるでもない言葉には、思わず甘さが含む。
「約束破っちゃあ、きっと拗ねるわ」
些細な景色を思い出して、ふと笑みが溢れた。心臓はこんなにも暖かく、私が大切なのはこれなのだ、と気付く。
『いつか、向こう側へ一緒に行こう』
すぐにでも手を伸ばせばよかった。
でもあの頃の私には、私がいる意味すらわからなかった。
やりたいことも、求めるということ自体が、どういったものなのか知らなかった。
私は人を知らなかった。
私は世界を知らなかった。
私は誰かと共有することを知らなかった。
私は、私を知らなかった。
だから、あなたがきっかけをくれたのだと、それすら知らないままだった。
あなたとの約束を確かにするために、まずはしなければいけないことがある。
「村の人たちに言っておいて」
窓辺に手をかける。高い、高い塔だ。
胸に抱いた手紙の束を胸元に強く押し付ける。あなたがくれた万年筆も忘れずに 。
「あとは自分らで頑張って、って」
もう、この窓からあの星空を見ることはない。
居場所を持たなかったいつかの私に、あなた は標を遺してくれた。
まずは海にいこう。空は果てしなく青い。
紙に記されたあなたをひとつひとつ辿って、あなたの物語を読みに行こう。
お子がとっさに手を伸ばした気がしたが、そんなの知ったこっちゃあない。
たん、と足元を蹴った。
何もなかった鳥に籠はもういらない。
鳥は羽ばたく。行きたい処へ飛んでいく。
風が髪を攫って靡く。トッと地につけば、足 元から草花が生まれた。
果てしない砂漠を進む、進む。
私の後ろに草路が出来る。
漸く私は、私を生きていく。
その人は自身を本だと云った。
私は人生を物語だと言った。
だから行こう、私とあなたの物語を謳いに。
まるで誰かが読む本のように。
Fin .
籠の鳥は謳わない 若槻きいろ @wakatukiiro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます