グラントール兄妹はもと水上兄妹である。ただし立場は逆

山吹弓美

グラントール兄妹はもと水上兄妹である。ただし立場は逆

 崖下に、馬車が横倒しになっている。からからと回る車輪の音と、馬の最後の吐息だけが谷底に響く。

 俺は何とか馬車の中から這い出して、草の上にぺたりと腰を下ろした。あー、出てくるときに壊れた馬車に引っ掛けて、スカートがびりびりだ。

 青年が、こちらを振り向いた。端正な金髪碧眼の王道それなりに美形青年に、なぜか黒髪黒目の中学生女子の顔が重なる。

 あ、何か名前、知ってる。金髪イケメンもだけど……つい、中学生の方で名前を呼んでしまった。


「……鳴霞メイカ?」

「……鳴火ナルヒおにーちゃん?」


 おい、イケメンがおにーちゃん、はないだろう……とは返せなかった。つまり、俺のこの理由のわからない幻覚は幻覚じゃなくて、お互いの前世だと理解できたから。

 事故現場で唐突に出てきた名前は、今は使っていないはずの名前だった。いや、さすがに自動車事故で使われなくなった名前を、馬車の事故で思い出すなんて思ってなかったしな、お互いに。

 雨で地面がゆるくなっていたせいで、馬車が山道から落ちた。馬と御者はかわいそうなことになったけれど、俺たち二人はとりあえず無事っぽい。私はちょっと肩と足首が痛いし、あっちはイケメン面に血が一筋つーっと滴ってる状態なんだけど。


「あ、えーと……ごめんっ」


 俺が鳴霞と呼んだ青年、今の名前はメイコール・グラントール。彼……んー、外見で行こう、彼は俺をひょいと抱き上げた。今の俺はナルハ・グラントール……メイコールの『妹』であるため、軽々とお姫様抱っこされた。

 そう、妹。れっきとした女の子、当年十五歳。ちなみに『兄』のメイコールは十八歳。なお中身は……えーと、最後に覚えてるのは鳴霞の十八の誕生日で……俺はその時二十三だったっけな。誕生日に家族で飯食いに行って、その帰りに事故って……うん。

 あーごちゃごちゃする、後で整理して考えよう。今はこの状況からの脱出が先決だ。


「ひとまず、急いで上がろう。近くに人家、あったよね?」

「結構大きな家の横通過したの覚えてるけど、馬車で五分くらいだったぞ」

「それなら、私が走れば同じくらいで着く」


 メイコールは、鳴霞と同じ口調でそう言ってのけて……俺をお姫様抱っこしたまま走り出した。いやちょっと待てい兄上が馬と同じ速度で走れることは前から知ってたけどいくら何でもこれは恥ずかしすぎるだろうがああああああ! いや人見てないけど!




 人一人抱えたまま本気で馬と同じ速度で山道をつっ走ったメイコールのおかげで、俺たちはひとまず山の麓の人家……地元のまとめ役、村長の家に落ち着くことができた。家主の部屋に案内してもらって湯で身体を拭き、着替え、温かいお茶を淹れてもらってふうと一息つく。多分今頃、今の家へ連絡の者が走ってるはずだ。

 家主が部屋を提供その他諸々してくれたのは、今の俺たちがここらへんの領主の子供だからである。グラントール伯爵の嫡男メイコールと、その妹ナルハ。この姿、この名前になってからの記憶はきっちり残ってるのが、助かったといえば助かった。

 で、だ。


「とりあえず」

「うん」


 お互いに、相手をガン見する。

 馬車が崖から落ちるまでは単なる『兄上』と『妹』だった、メイコール・グラントールとナルハ・グラントール。

 だがしかし、『思い出した』ことで影響を受けたその中身は。


水上みなかみ鳴霞、でいいんだよな?」

「間違いなく。その名前がするっと出てくるおにーちゃんは当然、水上鳴火おにーちゃんだよね」

「正解」


 この世界で『妹』である俺……ナルハは、前世では『兄』水上鳴火。なお一人称が俺なのは鳴火の影響で、ナルハとしてはわたし、である。

 この世界で『兄上』であるメイコールは、前世では『妹』水上鳴霞。こっちは前世も今も、一人称は私。


「……なんで前と今で立場が逆なんだ……」


 俺が頭を抱えこんでしまっても、これは許されるよな?

 せめてさー、前世と今で性別が一緒とか、上下関係が一緒とか、どっちかでも一致してれば何とかなったんだろうけど!

 で、俺はこうなのにメイコール兄上は平然としてるんだよなあ。いや、たしかに鳴霞でも平気な顔してるだろうけど。こいつは前世からそういうやつだった……というか。


「いやまあ、私はブラコンがシスコンに変わっただけだし特に問題は」

「それはそれで問題だ!」


 そう、ここだ。

 前世の鳴霞は何をどう間違えたのか、この俺に対してブラコンだったわけである。顔も中の下、成績普通、運動神経ちょっと鈍目のいまいちな馬鹿兄貴に対して。

 まあ、メイコールがナルハに対してシスコンなのは分からんでもない。転生してきたときにおまけしてもらえたのか顔は中の上、成績ちょっといい感じ、……運動神経は普通くらいだと推定される。ほら、いいとこのお嬢様なもんで運動とかあまりしないから。


「え、だって鳴火おにーちゃんもナルハも可愛いし」

「うわーお」


 真顔でそんな事を言うな、ガワ兄貴の中身妹。ナルハはともかく、鳴火に向けて可愛いとかいうんじゃない。

 鳴霞だろうがメイコールだろうが、どうやら俺に対する認識は同じもんらしい。いや、お前さんほんとーに鳴霞だわ。こっちの話、聞いちゃいるんだがほぼ右から左なあたりが。




 で、ひとまず転生だっつーことは隠しておくことにした。この世界、別世界から転生してきましたーなんて記録はメイコールの記憶にもないらしく、もしバレたりしたらどうなるかわからないからだ。変人扱いされるならまだいいけどさ、聖人に祀り上げられるとか逆に投獄されるとかになったら洒落にならないし。


「まあ、私はともかくナルハに何かされたら怒るし」

「自分の扱いで怒れよ……」

「いや、私自身はどーとでもなるもん」

「さいでっか」


 そういうことを言ったら、メイコールはしれっとそんなふうに返してきやがった。いや、たしかにお前さんは一人ならなんとかしやがるけどよ。

 人一人抱えて馬と同じ速度で走れるメイコール兄上は、頭の中身は程々だがとにかく体力が高い。剣や鈍器持たせたら、敵はほぼいないんじゃないかなーと言われるレベルだ。

 ……馬車が崖から落ちたときも結局、軽く額を切った切り傷一つで済んだらしい。それで鳴霞の記憶戻ってきたのはどうなんだ、お前。


「呼び方は、現在ので統一しよう。ガワと中身が逆とかバレてもめんどくさいことになるだろうし、そもそもややこしくてしょうがない」

「それもそうだね……ナルハ」

「メイコール、兄上」


 自分で言っといてあれだけど、『妹』なんだよなあ兄上は……いやまあ、思い出す前と同じように呼ぶしかないんだけど。


「あにうえ……」


 あ、メイコールがうっとりしてる。ブラコン妹転じてシスコン兄貴て、どんなもんだよこいつは。俺は前世でシスコンじゃなかったし、今も……ブラコンじゃねえ、と思うんだがな。周囲から見たらどうなんだろな?


「おっと。あ、そうそう」


 おお、兄上が現実に戻ってきやがった。ぽん、と手を打ってこっちを見つめてくる。……ほんと、イケメンなんだよなあ……元妹で現兄貴じゃなけりゃ、とか思うわけだ。俺の中のナルハの部分が。

 ……やっぱブラコンか? ナルハオンリーのときは全く自覚なかったんだが、鳴火の意識が入ってきたことで多少客観的に見られるようになったら、そう思えるようになった。やべえな、俺。


「ダニエルとの婚約は、このまま進めるから!」

「え、何で!」


 いきなり言われたセリフに、反射的に返す。

 ダニエル……ダニエル・クライズ。クライズ侯爵家嫡男、顔良し頭よし性格よし運動神経抜群と天はこいつに何物与えたんだテメー贔屓がすぎるだろ、レベルのとんでもイケメンである。

 ちなみにメイコールと同い年で、三年間通うことが義務付けられている国立学院での大親友だそうだ。何でだ……と思ったが確か、戦闘能力がほぼ互角で気が合ったとか何とか。こんなのが二人もいるこの国大丈夫か、いろんな意味で。何というか、国防方面は大丈夫な気がするけど。

 ついでにいうと、兄上と一緒に馬車乗って出かけた理由もダニエルである。なんだかんだである程度、俺とダニエルの婚約は進んでるんだよね。今日というか数日前にダニエルに誘われて、あちらの別荘に遊びに行ってたわけだ。

 いや、ダニエルはほんと良いやつだよ? ナルハとしてはあんな超絶イケメンの旦那様のところに嫁入りできるなんて頭ぼー、って感じだったし。その後別荘の庭とか案内されたけどどこまでも紳士でさ。いやもうやばいって。

 鳴火から見てもさ、こんなやつが友人にいたら絶対いい相手とくっついてほしいって思うし、友人面できるのが自慢になる。メイコール、本気でお前よく親友になれたなほんと。


「何でって、別に取りやめる理由はないよ?」

「いやあるだろ、俺の中身が」


 だが、ここなんだよな。うっかり、中身がめんどくせえ野郎になっちまったんだぞ。これを、あの全部良しイケメンとくっつけていいのか?


「けど、ダニエルもナルハのこと気に入ってたじゃんか。正直私がダニエルなら、中身関係なく嫁にもらうんだけど」

「それはお前がお前だからだ」

「うん。というか、鳴霞のときも鳴火おにーちゃんと既成事実に持ち込もうとか思ってたし」

「思うな! つか怖えよ!」

「逆の立場になって気がついた。確かに、実の妹とへんなことになっちゃったら妹に嫌われそうだよね?」

「元妹のくせにその立場離れてから気づくな!」


 何か話ずれたけど……もしかして転生して助かったのか俺! 実妹にのしかかられかけてたのか!

 勘弁してくれよ……今は逆の立場だから、そういう展開になったら確実に抵抗できん。改心……改心? いやまあ考え直してくれたのなら良かったけどさ。


「……まあお前の考え方はともかくだ、ダニエルだろ問題は」

「別に問題じゃないでしょ。問題、というならこの世界の方」


 きっぱりとメイコールに言われて、気がつく。いや、ナルハとしては常識として理解できてたことなんだけどな。


「私はグラントール家の跡取りだからいいけどさ、ナルハは私の妹なんだよ? いつまでも家にいてないで、どこかに嫁入りしないとだめな世界だってことくらい、分かってるでしょ?」

「いやまあ、それは分かってるんだけどさ……」


 要はそういう世界だってことだ。べったべたな貴族社会が幅を利かせてる、この世界。


「というわけで。次期当主としては、可愛い妹をできれば良いところに嫁がせたいわけ! 我が親友、何でもできる高スペックイケメンなダニエルの嫁になってくれたらおにーちゃん最高!」

「あがー」


 あ、こりゃだめだ。再び頭を抱えることにしよう。

 そりゃあさ、ナルハとしてはそっちの方がありがたいわけよ。

 メイコールが言う通り、こういう世界って女はどこかの家に嫁に行ってそこで子供生んで育てるのが役割だ。たまに、後継ぎの男がいない場合は婿もらって後継ぐこともあるんだけど。うちは伯爵家だから、まあ上でも下でもそれなりの貴族の家に行くことになるんだろうなー、というのがナルハとしての認識なわけだ。

 ああ、さすがに王様とか王子様のところは多分無理だろう。そっちは公爵家か侯爵家、あと外国の王族だったりだからな。

 そういう状況の中で、もうそろそろ結婚適齢期を迎える娘がそこそこの家柄で兄の親友な全部盛りイケメンと婚約できてるなら、将来はまあ安泰なわけだ。まあ、ダニエルが実は何かろくでもないやつだったりしたら、目も当てられないわけだが。


「……ダニエル、変な性癖とか持ってねえよな?」

「ないと思う……けど、もし何かあったら何とかして私に伝えて。それか、ダニエルが会わせないとか抜かしたらクライズの屋敷破壊してでも助け出すから」


 それは、ダニエルから逃げる分には良いがお前から逃げたくても逃げられないってことか。程々に頼むぞ、元ブラコン妹現シスコン兄上よ。前世より今のほうが力関係はお前に偏ってるんだからな!


「あとは、ナルハがうまく女の子を続けてくれればそれでいいから! たまにはおにーちゃん、親友の顔見るためにって理由で見に行ってあげるから!」

「いやマジ程々にな……」


 こうなりゃ何度でも頭抱えてやるよ。メイコールはさっきのセリフもあったし俺にそういう意味で手は出してこないだろうけど……ダニエル、頼むから中身も裏側も全力イケメンで頼むぞ!

 ……あー、何でこんな事になっちまったかなあ……?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

グラントール兄妹はもと水上兄妹である。ただし立場は逆 山吹弓美 @mayferia

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ