ではではまたね
「夏空はどこまでも広がる」
青がいいね。振り返りながら言った君の笑顔。いつも前を歩いていた君は闇に散ってしまったけれど、元気にしているだろうか。夏空は青々としているだけで、何の答えも出してくれなさそう。
ぼくは一人、喫茶「アネゴ」で時間を潰していた。
花火が上がるまでまだまだあるのに、浴衣姿の女子二人組が楽しそう。その隣の男性客は、目を細めてパンケーキの写真を撮っている。SNSに投稿するのだろうか。
「まぐさん」
久しぶりに名を呼ばれて、一度は反応できなかった。
「ん? まぐさん?」
「え、あ」
まぐです! と言う前に目も口も見開いて動けなかった。想定の何倍も美しい女性が目の前に立っていた。
「……あ、まぐです、合ってます」
挙動不審なぼくをカラカラ笑いながら、彼女は軽やかに歩く。彼女に導かれて喫茶店から広い原っぱに出る。空は青、大地は緑。自然に圧倒されぼーっとしていると、グローブとボールを押し付けられた。
「するって言ったよね、一緒に」
「昔の話じゃないですか。それに、キャッチボールって言葉のじゃないんですか」
「え? 当たり前じゃん(°▽°)」
と言いながらまたカラカラ笑うので、これは彼女なりのジョークなのかも。しかしキャッチボールはふつうに始まる。
パスンパスン、グローブの声は元気がない。二人とも肘をカクカクさせて投げるくせ、足元は棒のよう。へんてこなキャッチボールは、それでも続いた。
「おーい!」パスッ「なんです、か」パスンッ「ストレートってどうやって投げ、るの!」パスンッ「投げれない俺に聞くん、すか!」パスンッ「投げてるつもりなのに山なりになるん、だけど!」パシンッ「俺は捕りやすくて好きっ、すよ!」パシンッ
汗が一筋、顎をつたってすべり落ちた。彼女は肩で息をしながら、「私も好き、山なりストレート」と言った。夏空を見上げて。
「ねえ、本当にいっちゃうの?」パスンッ
「……うん」
パァンッ
あとなんか今のえろくないですか? とストレートを誤魔化したら、グローブで頭を小突かれた。
キャッチボールを終えたら、夏空が橙色に染まっていた。彼女はそろそろ行かなきゃ、と手を振った。ぼくもそろそろ行かなきゃ、と手を振った。
「山なりストレートの投げ合い、楽しかったよ」
と彼女は笑った。
聞きたいことは山のようにあったのに、突然のお別れ。
祭りが始まる前の夏の空気で、胸焼けしそう。いっそ胸が焼ける思いで屋台が並ぶ人混みへ切り込んでいった。せっかくだから、最後に人間を飽きるまで見たい。射的が得意な男性が、ドット絵のぬいぐるみを当てて、ワイワイ喜んでいる。隣には、出来ればあっちの乙ゲーの景品を当ててください、とせがむ女の子。喫煙所で中性的な人がふかす紫煙が風のなさを教えてくれている。
最近は紅茶の屋台なんかもあるらしい。目を細めながら、どうですか。という狐の面のお兄さんは案外声が低い。その隣で集客しているお兄さんは声が大きい。「どうですかー!」「おっ、お姉さん紅茶どうですか!」「今日は女子割引デーでさ」
声をかけられた背の高い女性はふっと笑みをこぼす。灰色のパーカーが似合っている。
「祭り今日だけだし」
スマホをコチコチさせて、どこかへふらふら行ってしまった。
カップルは随分と多いのだが、1組のカップルが目に付いた。女性は控えめなのに派手な浴衣のせいか、やけに目立つしかわいい。彼氏に嫉妬してしまうが、どうにもならない。好きな音楽の話をしていて、聞いたところ残念ながらあまり詳しくないバンドだったので、一人さめざめと泣いた。
そういえば、人間をやめると決める前は夏のアルバムが好きだった。ぼくは霊感が強かった。毎晩、音楽好きのおばけがぼくを驚かそうとやってくるのだが、気づけばスピーカーから部屋に充満する音楽に心地よくリズムを取っている。全然怖くない。朝まで何度もおばけと音楽を語った。
少し前には、「ワシもいれさせろ!」と女性の霊がぼくの部屋に語りに来ていた。面白い霊だった。
「一度成仏したけど、やっぱ霊やめられなかった!w」
とか言うのだから。ああそう、と笑うこともなく音楽の話を続ける音楽好きのおばけも場慣れしすぎてて怖い。
ぼくが部屋からいなくなっても、あのおばけたちは友達になったから、飽きずに語っているだろう。これでも成仏しない彼女たちは、一体何が心残りなのだろう。
カレー屋台「こっこ壱」の店主はレトロゲーの主人公のお面をつけて接客している。属性てんこ盛りだし、カレーは大盛りだった。おっと、気づいたら吸い込まれるように買っていた。
仕事帰りのサラリーマンの格好で、朱色を頬に付けて似顔絵を描いているお兄さん、「ハンドパワー」と呟きながら宙に浮かせたキュウリを売るお姉さん(ちょっと怖かったけど買ったら美味しかった)、桜色のカブを売るお姉さんは、頭に器用に黒猫を乗せている(すごい)、笑顔でトロピカルジュースを売る女性。裏メニューに焼きテントウムシ、あります! とか叫ぶもんだから周りのお客さんが引いている。多分隣のお兄さんの表情を見るに彼が焼かれるのだろう。
「サイコパスな料理だな……一つください」
と、好青年が颯爽と注文したけど、テントウムシは全力で逃げ出した。好青年はじゅるりとヨダレを垂らしていたようにも見えたけれど、気のせいだと信じたい。
「もうすぐステージが始まるんだって! 中田君来るかな!」
アイドルの名前を叫びながらステージへと走る女性につられて、ステージの方へ歩いていく。道すがら、迷子のお知らせがアナウンスされていた。
「子猫さま、子猫さま、ドスケベリザードン様がお探しです」
子猫がアナウンス通り行くわけないし、保護者の名前のクセがすごい! と千鳥化していたら、「はっ、つい夢中になり過ぎてしまいました」とかわいい子猫がトテトテ人混みをくぐり抜けていた。叫びたくなるような可愛さにつられて歩いていると、どんどんステージが遠くなっていく。
途中で子猫ちゃん、危ないですよ! ともっと危うげな、おっとりしたかわいい女性が抱きかかえて、懸命に人混みをすり抜けていく。ぼくを含む周り全員の頭上に(がんばれ)の吹き出しが見えている。
そんなぼくの背中をチョンチョンと叩いてきた緑髪の女性。
「なにか?」
「ダンスイベントの後に、野球選手が来るイベントがあるらしいんですけど、ステージの場所ってどこかわかります?」
ああ、ステージの方角へはさっき向かっていたのでわかります、案内しますよと向き直った。子猫と女性は、無事にドスケベリザードンのところへたどり着けるだろうか? 気になる結末は、きっとCMの後にも放送されない。
女性は贔屓にしている野球チームについて語っていた。ぼくに話しているのか、独り言なのかわからなかったので、適当にラジオ感覚で聞いていた。この距離感は正しいように思えた。彼女ものびのび語っているし。
ステージに着くと、ちょうどダンスステージが終盤で、情熱的な踊りを披露した女性が会場を盛り上げていた。
「ネクスト! 南海チームの選手が来るからお楽しみに!」
と、よく通る声で叫んだら、イケメンの野球選手が出てくるのと同時に、ぼくの鼓膜がしんだ。
「オギャー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ひがしはマンマー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
空が紫に焼けて、夜の訪れを感じていた。そろそろ準備に向かわないといけないんだけど、もう少し人間を堪能したかった。
「焼きショタ……! 焼きショタいずどこ!」
と叫ぶ女性に、多分トロピカルジュースの店のことですよね、ショタではないけどテントウムシは逃げ出しましたよと声をかけようか迷ったけど、近くにいた男性が彼女に声をかけた。
「焼きパンツならありましたよ」
そこに、と真っ白なパンツをハムハムさせながら言う彼は、警備員が来るのも時間の問題だろう。なぜあんなにも堂々としているのか、これがわからない。ちなみに焼きパンツ店の名前は『焼き下着純白一心革命屋台』というめちゃくちゃ長い名前だった。
そういえば今日はいくつか、懐かしいすれ違いをした気がする。中国風の服を着たメガネの男性、長い前髪で俯きながら、花火の野郎、蹴り飛ばしてやる! と毒づく男性、宝石が埋め込まれたような美しい白肌を露わにした女性、クノイチのコスプレをして楽しそうに笑っている女性は、こちらにウインクを飛ばしてきた気がする。なんだかとても懐かしい匂いがした。
「花火、もうすぐ始まるね」
またカップルだ……可愛らしい女性がたくましい腕にしがみついている。ああ、あんな腕ならもう少し強い生き方ができたのかもなぁ……一人落ち込む。懐かしんだり、悲しんだりするのは、きっと終わりが近いからだ。
ぼくらの町の祭りでは、神様に花火で祈りを捧げる。その際に、ぼくら人間を火薬に花火を打ち上げると、町に平和が訪れるとされる。そんなものはめいしんだ。ぼくはわかっている。だって、ぼくらの町はこう呼ばれている。自殺を正当化できる町。
ぼくはこの町の人間が好きだ。
でも町のシステムは好きじゃない。
この世で最も神に近いとされている村長に花火になることを告げると、まずは必死に説得される。やめないかと。それでもやめない意志のものは、村長の魔術で、町の人間からぼくの記憶を消す。村長は淡々と言った。
「その日が来るまで、なるべく家を出ないで。花火以外で死なれるのは、困りますから」
赤毛が美しい人だった。
とても村の長とは思えない佇まいと若さで、一体どれほどの死を見届けてきたのだろうか。この町の村長になると魔法を使える代わりに、人を葬らないといけなくなるというのは、めいしんではなかったみたいだ。実際に多くの人からぼくは忘れられた。
一人を除いて。
そんなことがあり得るだろうか?
それならば、あの人は人間を超えた何かなのか? 想像しがたい。
もしかしてぼくが見かけた全員……ぼくのことを忘れたフリをしていて……
思いかけてやめた。
火薬がしけると、綺麗な花火が打ち上がらないかもしれないじゃないか。
キャッチボールと夏空を思い出した。あれは山なりで投げたんじゃない、全力のストレートだったのかも。全然左手はヒリヒリしなかったけど、彼女はあれで全力投球だったのだろう。
そして夏空は夜空に変わる。
星は視線が集まって恥ずかしいのか、今日は控えめ。最後にギラギラした夜空が見たかったな、そこそこの都会に発展した町をうらんだ。
「そろそろですね」
いつのまにか村長が背後にいて、悲しげな目で言う。魔術師じゃない村長を目の前にして、ぼくも悲しくなった。
「最後に一つだけいいですか、村長」
頷く村長に言う。
「みんな無理をしていたんでしょうか?」
「……無理をしているものも、そんなに気にしていないものも、君がそうなることを知らないものもいる」
それだけです。村長は言った。赤毛が闇の中でも異様に光るから、最後に美しいものを見れてよかったと感謝した。
「では」
「では」
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