【短編】告白

@JacOR

告白

「お前も難儀な商売だな…」

そう言ってローランド氏はペンを納めた。


「明日中にでも正式に文書にし、確認にお持ちいたします」

私はあたりに散らばった膨大な資料を拾い集めカバンに詰め込んだ。


病室に張り巡らされたよくわからない管やコードをうっかり抜いてしまわないよう慎重に確かめながら回収する。

ふと、病室のドアあたりをぼんやり眺めていたローランド氏が大きなため息のあと呟いた。


「もうひとつだけ…聞いてくれるか」

「ええ、もちろん」

書類回収の手を止め、振り返ってローランド氏に答えた。


しばらくの沈黙のあと力無い笑顔でこう言った。

「これは遺言ではない、記録には残さなくていい」

そしてゆっくりと彼のこれまでの人生を語り始めた。


生まれは貧しい家柄だった。

エレメンタリースクールの頃から近所の御用聞きや便利屋みたいなことをして家計を助けてきた。親が行う詐欺のような行為の片棒を担がされたこともあったという。

今の彼を知る人にはおよそ想像もつかないような人生だ。

当時から大学をでることが社会的ステータスではあったが、貧しい家庭環境で育って「人が何を欲しているのか」が感覚的にわかっていた彼は、進学よりもハイスクール卒業と同時に起業するべきだと決めていた。

実際彼の立ち上げた会社は起業直後こそ苦労したが、3年目からは指数関数的な成長を続けこの国では知らぬものがいないほどの大企業とまでなった。


「生きるためにはなんでもやったし、起業したころはちょっとの悪さもしたさ…

もう時効だよな?」

と言って笑った。

彼の顧問弁護士になって2年になるが、こんなに彼を身近に感じたのは初めてだった。敏腕で厳粛で尊敬できる人ではあったが、決して脆さを見せたり感情を表に出すようなタイプではなかった。


「恥ずかしながら、私の家族は…いや、両親は、だな。お世辞にも『いい親』とは言えなくてね…壮絶な虐待をされたというわけではないが、なんというか…こう、子どもに愛情を注ぐタイプではなかった。物心ついたころには飯は与えられるものではなくて、自分で用意するものだった。いわゆるネグレクトというやつだな。だからというわけではないが、私は世の中で「愛」だのという感情が実のところあまり理解できていないのだよ。」


「え?でも奥様が…」


ローランド氏は人差し指を立てて言葉を遮った。最後まで聞けということらしい。


「リズと出会ったのは業界人のちょっとしたパーティーでな。当時ライバル企業と言われていた会社の会長の娘だ。まぁ、俗にいう政略結婚だな。器量もよく私に無い生まれ持っての気品があった。婚約の話が出たときにはすぐに飛びついたよ。野心に燃えていた当時の私には実に好都合だったわけだ」

ローランド氏はこちらをチラリと見つめこういった。

「私を軽蔑するかね?」

夫婦円満でどこいくにも連れ添っていた二人だっただけに、イメージからかけ離れた馴れ初めに驚き、返事が遅れてしまった。

「い、いえ、そのようなことは決して…」

ローランド氏は少し笑って言った。

「お前は優秀だが感情が顔に出やすい。弁護士はそれじゃいかんぞ、敵を食ってやるような悪い顔も練習したほうがいいな」

「は…、肝に銘じます…」


「まぁ、そんな私の思惑と裏腹に…というかリズはすべて理解していたと思う。私が必要なときに必要なことをし、多くを求めて騒ぎ立てることもなかった。富裕層との会合でもマナーを知らぬ私が恥をかかぬようサポートし、苦手な相手との交渉の時には世間話で相手を和ませたりしてな。献身的に努めてくれた。

だが、だからこそ私は懺悔しなければならんのだ。私は未だに『愛』がなんなのか理解していないのだ…献身的な妻をめとり、子どもを三人も授かってなお、『愛』というものを実感したことがない。きっとこれは家族にとって大きな裏切りだろう…

 こんな状態で遺言まで書いたのだからわかっているだろうが、私はもう長くはない。誰かに懺悔したかったのだろうな…神父でもないお前にこんな告白をすることを許してくれ」

見たことも無いような弱々しい顔でローランド氏は嘆いた。


「いえ、正直あなたのそういう感情的な部分を見せてくれてうれしく思いますよ。私でよければお聞きします。でもあなた自身は奥様のことをどう思っているのです?」

私は興味からローランド氏に問いかけた。


「私は…」


ローランド氏はゆっくりと語り始めた。


「結婚してから2年目の感謝祭の時だったか…、当時リズは長男を妊娠中だった。私はというと相も変わらず仕事に明け暮れ、感謝祭も忘れ家にも帰らなかった。大きな案件を抱えていて、3日ほど会社に籠り切りだったが携帯電話もないような時代でな、音信不通のまま家に帰ったら誰も居ない、いよいよ愛想をつかされたかと思い途方に暮れていると彼女の両親がうちに来てね。感謝祭で彼女の家族が集まっていた夜に陣痛が来て今入院している、長男が生まれたんだと説明され、祝福された後に彼女の母親から一発頂戴したよ。その後病院で長男を抱きかかえて彼女に平謝りさ。でもな、きっと普通の人間ならそこで歓喜に踊り、二人を抱きしめたりするのだろう?私は…ただ決心しただけだった」


「決心?」


「そう、決心だ。私は愛のない家庭で育ち、愛が何か分からぬまま家庭を持ってしまった。だからこの子にはそんな思いをさせてはいけない、と強く思ったのだ。だが愛が何かも解らない私がどうやって愛を注ぐ?きっと私には十分それができない。だが妻には…リズにはそれができるはずだ、と。

 そして私は決心し、実践した。

彼女が泣かぬよう、寂しい思いをせぬよう。


起きた時には「おはよう」を言う相手があること。帰ったときには「おかえり」というものがあること。楽しいことがあれば笑顔で聞くものがあること。悲しいことがあれば一緒に泣いてくれるものがあること。不安なときには何も言わず隣に居るものがあること。喧嘩してもいつでも帰ってこられるように玄関と食事の席はひとつあけておくこと。


そうすれば彼女は愛を知らない私に変わって十分に子供たちに愛を注いでくれるだろう…とね」



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「以上のお話までがローランド氏の遺言となります。これはオフレコにせよと言われておりまして、守秘義務に反しますが私の独断であなたに伝えるべきかと思いお話しました。書類はこちらですべてとなります。それではこれで…」


そう言って弁護士は大きな屋敷を後にした。


若かりし頃の美しさを残した老母は寂しげな笑みを浮かべ、窓から空を眺め一言だけ呟いた。

「ばかなひと。それを愛っていうのよ」





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