133.お祝い事はみんなで派手に

「ティア」


 聖女でも、リクニスの娘でもない。個人として私を見て。クナウティアの願いを受けて、シオンは彼女の名を口にした。ほわりと笑った彼女に、ふと気づいて尋ねる。


「ティアは余の名を呼んだことがない、な」


 ふわふわした薔薇色の髪は、今やさらりと流れる銀髪だ。以前より大人っぽく見える婚約者の髪を一房握り、若草色の瞳を覗き込んだ。


「だって知らないもの」


 きょとんとした顔で、当たり前のように言われた。少し考えてみるが、ネリネが呼んでいなかったか? そう問われて、クナウティアは「うーん」と唸ってしまう。


「シオンだ」


 呼んでみろ。そんな響きに、口の中で何度も音を転がしてから、クナウティアは笑顔で名を呼んだ。


「シオン、ね。今日からシオンと呼ぶわ」


 ずっと「魔王様」と地位で尊称してきた彼女にとって、初めての響きはどこか擽ったい。互いに見つめあった恋人達の後ろで、数人の魔族や人間が部屋を覗いていた。


「ねえ、書類を持ってきたんだけど、預けてっていいかしら」


「まずいだろ。それは急ぎか?」


「こっちは今日中だから、まだ平気」


 互いの書類の優先順位を確認し、この甘い空気が消えるまで待つことになった。廊下の外にずらりと並んだ人々の姿に、2人が慌てるのは少し先の話。





「っ、もう! わかったわよ」


 地団駄踏んだあと、根負けしたわと婚約を承諾したサルビアの前で膝をついたセージが「やった」と興奮した様子で彼女に抱きつく。言葉では突き放すサルビアだが、背中に回した手は少し震えていた。幸せな結婚なんて、誰かが求婚してくれるなんて。望んでも無理だと思っていたの。


 周囲が新しい恋人達の誕生を祝い、鱗人が軽く小突く。羨ましいだろと自慢するセージを、みんなが囲んで祝福した。


「弟のニームが婚約したし、一緒に結婚式するのもいいな」


「それを言うなら、妹さんもだろ?」


「ああ、ティアの相手は魔王様だから、一緒に結婚式なんてできるのか?」


 あれば別格だろ。国のトップだぞ。そんなセージの発言に、鱗人はきょとんとした。地位が高いから別という認識がないのだ。そのため心底不思議に思って問う。


「祝い事はみんな、一緒に派手にやるものではないのか?」


 人間と魔族の間に、沈黙が手足をはやして駆け抜けていく。その隙間を塞ぐように、魔族が騒ぎ始めた。


「おい、魔王様に知らせてこい」


「結婚式の準備だ!」


「お祭りだぞ。派手に行こう」


 新しい世界の新しい常識は、魔族主体になりそうだ。順応性が高い人間はすぐに馴染み、あちこちで別の恋人達も参加を表明する。


 世界は確かに変わり始めていた。

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