118.聖女様にお花を
夜になると竜の背に乗る聖女クナウティアは、与えられた自室で大きな欠伸をした。昼夜逆転生活もようやく慣れたが、今夜でそれも終わりだ。最後の夜を前に、彼女がゆっくり眠れるよう魔族は不用意に近づかない。
警護のために残ったセージが、クナウティアの部屋に訪れる魔族や人間の対応を行なっていた。バーベナが運んだ軽食を食べていると、何人目か数えるのも嫌になった貴族階級の男が現れる。
「一目会わせてもらえぬか」
「今は寝ているし、魔王様の婚約者だからな。勝手に許可は出せん」
クナウティアに会いたいと願う者の中には、他国の貴族も含まれる。新しい世界で、少しでも高い地位に就きたい。その願いが滲んだ男の懇願に、セージはぴしゃりと言い放った。
「魔王様の婚約者の部屋に、家族でもない男が入れば……どうなるか。わかるだろう?」
この手の輩は脅せば引き下がった。善良な人間を助けたいと願った魔王や聖女の厚意を、歪めて利用する者はどうやっても紛れ込む。今後の対応は宰相ネリネに任せるか。あの男ならば、もっと上手に追い払うはずだ。
部屋に戻って、妹の様子を確認した。騒ぎで起こしてしまうのは申し訳ない。こういった時、魔法で音を遮断できればいいのだが。リクニスの血筋なのだし、この際魔法の勉強もしておこうか。可愛い妹や、未来の奥さんのためだ。セージは穏やかな表情で、ベッド脇の椅子に腰を落とした。
「あの……」
またか。そんな思いで立ち上がったセージの前にいたのは、1人の女性だった。まだ若いが、少し眠そうな様子の彼女は、数本の花を持っている。
「聖女様にお花を」
「あ、ああ。ありがとう、飾らせてもらうよ」
受け取ったのは、素朴な野の花だ。そのまま名乗らずに行こうとする女性に、慌てて声を掛けた。
「あの子を直接知っているんじゃないか?」
「……お会いしたことはあります」
戸惑いながら、知り合いではないと否定する。妹の交友関係は、リキマシアの城塞都市の中に限られていた。しかし顔を知らない彼女が出会っていたとしたら、それは聖女選定で王都に向かった時だ。教会かその周辺で出会ったのだろう。
貴族階級の傲慢さがない女性に、セージは微笑み掛けた。
「妹に花を渡すのに、あなたの名前を聞いていないと叱られてしまうよ。お名前を教えてくれないか」
「……サルビアと。忘れていてくれた方がいいのですけれど」
奇妙な言い回しをした女性は、そのまま行ってしまった。見送ったセージは「サルビア」と名を繰り返して、部屋にあるコップに水を入れて花を刺す。少し長い茎を切って調整し、ベッドサイドに置いた。
揺れる花の色はピンク。妹クナウティアのために摘んでくれた。まだ瑞々しい花は、近くに咲いていた野花かも知れない。
自分が知らない間に幼い妹の交友関係は広がり、世界を変革する一端を担っている。魔王の婚約者という地位が、クナウティアを縛る鎖ではなく、羽ばたく翼になるように。祈りながら、セージは揺れる花を見つめた。
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