105.当事者の知らない婚約

 聖女クナウティアの扱いについて、ネリネを始めとする魔族の重鎮は迷っていた。彼女は異世界の勇者を呼び寄せることができる。その能力は邪魔だった。だがネリネの報告で、治癒の加護が強いと知ったドラゴンの長老は唸る。


「治癒は欲しい」


 そこに他種族も異論はない。だが生かしておいて、人間側に彼女を奪還されたらどうするか。また異世界から勇者を呼び出し、魔王を殺害しようと試みるだろう。


「だが、あの子は魔族に好意を寄せている」


 獅子の獣人が告げた言葉に、ネリネは口を挟んだ。


「確かに現在はそうでしょう。しかしあの少女は素直すぎます。送り返した賢者に『魔族に同行した騎士が殺された』と嘘を吹き込まれたら? 国王に『魔族が攻め込んできた、助けてくれ』と懇願されたら? あの子は召喚に手を貸すかもしれません」


「「「確かに」」」


 その場に集まるほぼ全員が頷いた。素直と表現すれば聞こえはいいが、単純なのだ。他者が自分を傷つけたり、嘘を吹き込まれるなんて考えたこともない。無邪気な幼子と同じで、善悪の区別なく受け入れる器だった。


 何を満たすかで、彼女の立ち位置は変わる。目を細めたネリネが、ひとつの案を提示した。それは賛否でるが、最後は「少なくとも陛下は反対しないと思います」の一言で勝敗は決した。


 立ち去る確信犯の宰相ネリネを見送り、残された重鎮達は顔を見合わせた。だが反論しても封じ込まれる。何より魔王シオンの態度が、それを望んでいる気がした。


 誰にでも平等に優しく、慈悲深い王が……唯一己の感情を露わにして応対した者。今はまだ感情に振り回されているが、魔王が自覚する日も近い。断言したネリネの複雑そうな表情が、すべてを物語っていた。


 最高は望めなくても、程々の平穏と幸せを手に入れるために――。





 聖女に与えた部屋の前は、賑やかだった。口々にプレゼントした品を説明する魔族の表情は明るい。これならば、内々に話をするより公表した方が、逃げ道を防げるのでちょうどいいですね。


 ネリネの口角が持ち上がる。


「陛下、会議の結論が出ました。我々は陛下と聖女クナウティア嬢の婚約を承認いたします」


「……婚約の承認?」

 

 会議の内容は、人間への対応ではなかったか? ある程度の方向性が出たら報告しろと言ったが、大勢の民がいる前で婚約などという単語を出したら……引っ込みがつかなくなる。さっと血の気が引いた魔王の周囲は、湧き上がっていた。


「やった!」


「陛下の婚約者が決まったぞ」


「お祝いだ」


 興奮した魔族の声を、セージが一喝した。


「静かにしてくれ! ……どういうつもりだ?」


 唸るセージの隣で、ニームが青ざめる。兄がキレたら手がつけられないが、ことは大切な妹の婚約だ。自分も納得していない。しかし父母が留守の状態で、勝手に決められる問題ではなかった。


「ティア、魔王様と婚約するの?」


 驚いた顔で、喜んでいいのか迷う親友の声に、クナウティアは首を傾げたつもりだった。しかし垂れていたリボンに躓いた聖女を、近くにいた魔王シオンが受け止める。未婚女性が自ら男性の腕に飛び込んだ……ように見えた。


 わっと湧き立つ魔族は、今度こそ遠慮しない。大騒ぎの中で、当事者だけがきょとんとしていた。

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