100.繰り返された弊害による膿
魔王シオンを前に、宰相ネリネは淡々とした口調で言い聞かせた。
「お分かりですか? 彼らはずっと我らの領域を侵食しつつあるのです」
言われなくても理解していた。魔族や魔物が棲む場所はこの城を中心とした森のみ。外へ出れば、幼子であっても殺される。
互いを認めないのであれば、侵犯しなければよい。己の領地を守り、他者の領域を犯さない。さほど難しいことではなかった。そんな簡単なことですら、守られないのだと声を荒げるネリネに、シオンは穏やかな目で問うた。
「ならば奪い返すのか?」
「はい。我らの物を返してもらうだけです」
「この世界にいなかった我らは、元の世界に帰れない。ここは間借りした世界だぞ」
「だから、何だというのです。あれだけ攻撃的で野蛮な種族に、何度殺されたとお思いか!」
シオンは反論しなかった。何十回と味わった死の苦しみと痛み、仲間を傷つけられ、封じられた間に狭められる領地。ネリネの言い分はよくわかる。だが……ようやく自分達を理解する人々が生まれたというのに、崩してしまってよいのか。
「もしあの聖女のせいで悩んでられるなら、私が」
処分します――そう告げた瞬間、シオンの周囲の温度が上がった。触れたら溶けるような高温が、魔王を包み込む。長い紺の髪が舞い上がり、生き物のように踊った。
攻撃の意思を見せたシオンをじっと見据え、ネリネは目を逸さなかった。こうして懐に入れて守った小鳥に、何度目を突かれたのか。助けてやろうと伸ばした手を切り落とされ、駆けつけた足を貫かれる。もう殺される主君など見たくないだけだ。この方はもっと……ずるく逃げていいのに。
「手を出すな」
「……お約束できません」
怯まず言い返したネリネに、シオンは悲しそうな顔をした。怒りに任せて振るった魔力を散らし、机に肘をつく。
「そのくらいなら、領地を取り戻して構わん。だが必要以上の殺戮と領地の拡大は認めぬぞ」
「承知いたしました」
晴れた空は明るく、このまま何もなく暮らせたらと思う。それが叶うのなら、人間は魔族を殺しに来ないのだろう。恨んだ魔族が人間を襲うこともないのだ。
最初にずれてしまった輪は螺旋を描いて限りなく続く。どこまでも互いに触れることなく、距離を置いて睨み合うだけだ。繋ぐ場所があれば、何かが変わると思ったが。
そう簡単に物事は進まぬ。側近であるネリネが、どれだけ人間を嫌っているか。よく知るシオンは、己の首をさらりと指先で撫でた。前回はこの首を落とされたが、庇ったネリネには悪いことをした。
次はネリネの後に死んでやらねばならぬ。死ぬところなど見せたら、今度こそ壊れてしまうだろう。彼が魔王に向ける忠誠も、守ろうとする気持ちにも嘘はない。だからこそ、真面目な彼は悔やみ悩み苦しんだ。
なあ、女神よ。今度こそ、終わりにする方法を見つけたのか?
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