77.お騒がせ聖女の駆け落ち疑惑

 魔王シオンは眉を寄せる。外の派手な物音はともかく、魔王城から聖女が出たのだ。彼女は大切な捕虜であり、人質だった。逃がさないための監視はつけている。


 魔王城の敷地から聖女が出たら感知するよう、魔法陣を仕掛けた。その彼女が外へ出たのだ。一度出てしまえばシオンの魔法の対象から外れる。居場所が分からなくなる前に追わねばならなかった。


 目の前の使者をどう誤魔化すか。夫を迎えに行くと告げるリナリアを自由にさせれば、逃げた聖女と鉢合わせる可能性があった。リクニスの血族が人間と距離を置いて100年は経つが、聖女と知れば助けようと動くかも知れない。


 なんとか鉢合わせを避けなくては。ちらりと視線を向けた先で、ネリネは心得た様子で頷いた。すっと進み出て、照れるリナリアに声を掛ける。


「城門までご案内いたします。どうぞこちらへ」


 回り道をして時間を稼ぐ。小声でそう言い残し、ネリネはリナリアの前に立って歩き出した。背を向けるのは敵意や攻撃の意思がない証明だ。同時に、後ろから攻撃されても平気だと実力を示す行動でもあった。


 その辺りはリクニスの者ならば承知しているだろう。にっこり微笑んだリナリアは、貴族らしい所作で一礼した。


「では、御前を一度失礼いたしますわ」


 あとで戻って言霊を渡す。夫の無事が確認できるまで渡さない、そう匂わせる強気な使者にシオンは「好きにするがよい」と許可を出した。彼女も言霊を渡すのが使命だ。すぐに戻ってくるはずだった。


「誰か、聖女を追え。逃げたぞ」


 シオンの命令に、フェニックスの爺が慌てて窓を突き破る。砕けたガラスと炎が躍る窓枠に眉を寄せ、シオンは復元の魔法を使った。聖女クナウティアが城中を壊すので、最近はかなり上達した。時間を巻き戻すように砕けたガラスがくっつき、燃える窓枠が元の状態を取り戻す。


 燃え上がる炎の鳥を見送った数人の幹部も、各々に窓の外のテラスから空へ舞った。森の中に逃げ込むなら魔獣も使えるか。細くて人の耳に届かない波長の音で、シオンが捕獲命令を下す。返答となる遠吠えが響き、森はにわかに活気付いた。


 自らも短距離の転移を使い、シオンが出向いたのは聖女の部屋だ。すでに侍女のバーベナを含む城仕えの魔族が、聖女探しを始めていた。舌打ちして、城門へ転移する。


 遠回りしながら使者を惑わすネリネは、まだ城内を移動中だ。見回した城門の脇に、鱗人の槍が置いてあった。立て掛けてあるので、慌てて放り出した風ではない。


「まさか、駆け落ち?!」


「何だ、その駆け落ちとは?」


「恋仲の男女が手を取り合って逃げる儀式です」


 手に手を取り合い逃げたのか。唸る魔王と、微妙に間違った知識を披露した獣人が、同時に外の森へ目を向けた。


「儀式なら仕方ない」


 まったくもって、仕方なくない。ついでに儀式でもないのだが、魔族は人間の慣習や法に疎かった。ツッコミを入れ、訂正する者がいない誤解は、悲壮感のある呟きによって締められた。


「恋仲か……余も体験してみたい」

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