30.聖女やめて帰ります

 昼間から盛り上がる兵士を置き去りに、セージは足早に妹を連れて辺境伯の屋敷へ向かう。堂々としたセージの振る舞いに、すれ違った兵が敬礼して見送った。


 お兄様は本当に凄いわ。こんなに尊敬を集めているのね。間違ってはいないがズレた感想を抱くクナウティアは、にこにこと笑顔を振りまく。その姿がまた、兵達の誤解を呼んだ。アルカンサス辺境伯の客人だと思われていたのだ。


 帯剣したまま入れる限界は、辺境伯家の前庭まで。そこで足を止めたセージは、クナウティアに向き直った。妹の肩に手を置き、しっかり目を見て言い聞かせる。


「いいか? これから聖女だと報告するから、ティアは護衛に兄を付けてくれと強請るんだ。出来るかい?」


 心配そうに尋ねるセージへ、クナウティアは大きく頷いた。不安を顔に書いた兄を安心させたくて、言葉を繰り返す。


「聖女になるから、セージお兄様を護衛にして下さい。そうでなければ聖女はやりません。って言えばいいのよね」


「そうだ」


 頭を撫でてくれる兄の手に、クナウティアは頬を緩めた。さっきのセリフに嘘はないから、本心を語ればいいのだ。難しくない。あとは緊張せずに言えるかどうかだけ。


 どきどきしながら兄の行動を見守った。護身用の剣を鞘ごとベルトから外し、右手に持ったセージの空いた手を握った。体温が高い兄の指は温かく、手のひらは大きくて安心できる。深呼吸して辺境伯家の玄関へ向かった。


 使用人に取り次ぎを頼み、剣を預ける。役に立つだろうと父からもらった剣は、かなり高価な品だった。刻まれた紋章が身分証明代わりになったのか。あっさりと奥の応接室へ通される。


 紅茶が用意され、監視を兼ねた使用人が壁際に立った。落ち着いた様子でお茶に口をつけるセージの隣で、クナウティアは美しい焼き菓子に目を輝かせる。赤いジャムが飾られた1枚を手にとり、割ってみた。硬いのにさくっと割れる。ジャムの部分だけ、チーズのように伸びた。


 焼いた菓子にジャムを後から飾ったらしい。色鮮やかな理由を見つけて「なるほど」と感心するセージをよそに、クナウティアは割った菓子を口に運んだ。


「甘くて美味しい」


「そう、良かったね。たくさん食べてはいけないよ、お腹いっぱいになってご飯が入らなくなるからね」


「お母様みたい」


 くすくす笑う妹の声に、別の声が重なった。


「待たせたね。私がアルカンサス家当主だが……リクニスの使いの方か?」


 姿勢を正した兄を見習い、クナウティアも姿勢を正した。手に残っていた焼き菓子をポケットに放り込み、なかったことにする。


「あの剣は父に譲り受けました。リッピア男爵家嫡男セージと申します」


「クナウティアです」


 頭を下げたクナウティアは、セージの次の言葉を待つ。兄が聖女の話をしたら、兄も一緒がいいと強請る! 頭の中で繰り返しながら、タイミングを図った。


「お探しの聖女様ですが、うちのクナウティアなのです。昨日は私や父が旅先から帰宅する予定で、王太子殿下のご厚意を……」


 無碍にしたが悪気はなかった。そう告げる途中で、バコパは慌てて声を上げた。


「聖女様!? すぐに王宮に使いを出せ!」


「お兄様と一緒にできないなら、聖女やめて帰ります!」


 叫んだタイミングが悪かった。つっかえずに言えたと安堵するクナウティアを置き去りに、場が凍りついた。

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