10.蔑まれるなんて、知らなかった

「夜の商売って、初めてでもお手伝いできるかしら。手持ちのお金がないの」


 そうしたら泊めてもらえる。屋根がある部屋に泊めてもらう対価分を働けばいい。単純にそう考えたクナウティアの無邪気さに、サルビアは頭を抱えた。


 夜の商売の意味を理解していない彼女を汚してしまうのは簡単だが、サルビアは他者を同じ暗闇に引き摺り下ろそうとは思わない。女性であれば、好きな男を見つけて結婚するのが幸せだと思うから。


 この商売は必要悪だが、生活に困らないなら落ちて来ない方がいい奈落だと考えていた。同じ宿で仕事をする仲間も、止むに止まれぬ事情でこの夜の商売に足を踏み入れた娘達だ。


 指先は薄い紅で染めている。これは夜の仕事をする女の特徴だった。日に焼けないため、化粧前の肌は青ざめて白い。大きな溜め息をついてから、サルビアはクナウティアに言い聞かせた。


「無理だよ。あんた、お嬢さんだろ。嫁に行けなくなる。それにあたしらは『性女せいじょ』って蔑まれる存在だから、本当は口を聞いちゃダメなの」


 自分を卑下しながらも、サルビアは足首の手当てをしてくれた。身体中に擦り傷があることに眉をひそめながらも、何も聞かない。どこかから逃げたと察している様子だった。


 父や兄に愛情を注がれた末っ子なので、貧乏男爵家といえど、基本的には世間知らずのお嬢様育ちと言える。世間の汚れた部分や暗さをクナウティアは知らなかった。


「聖女って、蔑まれる仕事なの?」


 蔑まれる仕事で、嫁に行けなくなる。サルビアの言葉が恐ろしかった。震える声で繰り返し、自分が聖女に選ばれたことを思い出す。がくがくと震えるクナウティアに、気の毒そうにサルビアが頷いた。


「そうよ、今夜は物置ならタダで泊めてあげる。絶対に部屋から出ちゃダメ。それだけは約束して。声が聞こえても、人が近くを通っても、私が呼ぶまで扉を開けないと約束できる?」


「え、ええ」


 頷きながら、クナウティアは身を震わせた。聖女が蔑まれる職業だなんて、知らなかった。てっきり尊敬される役目なのだろうと想像していたのに。


 だから縛られたり、口を塞がれたのかも知れない。王太子殿下や騎士は優しくしてくれたけど、あれも理由があるんじゃないかしら。捕まったら、今度は彼らに縛られるかも知れない。


 不安に駆られて顔をあげ、クナウティアは失礼に気付いて焦る。助けてもらったのにお礼も言っていなかった。


「あの、ありがとうございます。お名前は」


「サルビアだよ。あんたは? ああ、愛称でいいよ」


 貴族のお嬢さんの本名など聞かない方がいい。家名なんてもっての外だ。知らなければ、誰かに喋る危険もない。貴族令嬢が、物置とはいえこんな宿に泊まるのは恥だからね。


 物知らずな彼女を傷つけないよう言葉を選んだサルビアへ、クナウティアは微笑んで頭を下げた。


「ティアと呼んでください。明日の朝の馬車で帰りますから、今夜だけよろしくお願いします」


「……きっと、愛されて育ったんだろうね」


 隠された髪色に気づかぬまま、サルビアはスカーフの上から頭を撫でた。軽食として小さなパンとチーズ、安いワインが入った瓶を分けてもらい、物置だという小部屋に閉じこもる。灯りは僅かだが、屋根と壁があり毛布も貸してもらえた。


 女神様に感謝して、クナウティアは物置の隅で丸まる。外から聞こえる女性の甲高い嬌声や、男達の騒ぎに耳を塞ぎ、目を閉じた。

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