4.聖女は騎士を誤解の渦へ突き飛ばす
結論から言えば――失敗した。
隣室のテラスの手摺りは無情にも遠く、目算を誤ったクナウティアの身体は素直に重力に従う。落ちる先に薔薇の茂みを確認し、咄嗟に身体を丸めて顔を庇った。お転婆でも女性である以上、嫁入り前の大切な財産だ。
「いったぁ」
左肩から落ちたため、背中を強打せずに済んだ。呼吸が詰まる激痛だが、肺が潰れなかっただけマシだろう。ずるずると這って、ひとまず茂みから抜け出した。転がり出た全身は傷だらけだ。お気に入りのドレスはあちこち切れて、もう使えそうになかった。
芝の上で少し痛みを誤魔化して移動するつもりだったが、当然ながら落下時の大きな音で発見されてしまう。失礼を承知で部屋に飛び込んだ神官は、周囲を見回してからテラスへ続くカーテンが揺れているのに気づいた。慌てて身を乗り出した階下の状況に大声を出した。
「大変だ! 聖女様が落ちたぞ」
「何ということだっ」
叫んで近づく足音に、慌てて身を起こす。しかし肩も背中も痛いし、立つまで気づかなかったけど足も痛めたらしい。諦めてその場にへたり込んだ。
女神様の御加護はどこへ行ったのよ。がくりと項垂れる少女は、集まった神官ではなく護衛の騎士によって室内へ運び込まれた。壊れ物を扱うように抱き上げられ、そっとソファに下ろされる。上質なソファは、背中越しでも最高の優しさで受け止めてくれた。薔薇の茂みとは大違いだ。
「あの……」
「痛みますか? ああ、骨折はしていないようですね」
聖女護衛のために急遽派遣された騎士に、手足の状態を確認される。緊急事態とはいえ、未婚の令嬢の手足を触るのは歓迎される事態ではない。神官達は顔を赤くして俯いた。
騎士は骨を確認した際、ドレスの裾から覗く足首や細い手首に残った拘束痕に気づいた。もっとも赤く擦れた痕なので、落ちた際の傷かも知れないと自分を誤魔化す。まさか聖女が捕縛されるはずがない。
浮かんだ疑いを慌てて消した。大切な聖女を、教会が拘束する理由はないはず。
「何とも運の良い方だ」
護衛の騎士は、単に部屋のテラスから落ちたと自分に言い聞かせた。骨折もなく、多少の切り傷や打撲だけの聖女ににっこり微笑む。
騎士は実力社会だ。そこに肩書きは必要とされず、平民でも歓迎された。代わりに実力がなければ解雇される。そんな騎士達は、結婚相手として優良物件だった。紳士的でマナーも身につけており、実力も収入もある未婚男性が多い。
男爵令嬢や子爵令嬢にとって、騎士は憧れの存在だった。そんな騎士にお姫様抱っこされ、優しくソファに横たえられたら、さすがのお転婆娘も照れる。
「あ、ありがとうございます」
状況を忘れて恥じらうクナウティアの、首や耳が赤くなった。ケガは自業自得だが、顔の良い騎士に心配された状況が嬉しいのと、身体を触られた羞恥から両手で顔を覆った。
「王宮へ向かう道は私がお守りします」
ご安心くださいと微笑む騎士に、クナウティアは頷きかけて止まった。そうだ、家に帰らなくてはならないのだ。もうすぐ兄や父が帰ってくる時刻だろう。急いで収穫し、夕食を作らなくては!
乱れたピンクブロンドの髪に絡まった薔薇の葉を取る、騎士の手を掴んだ。
「あ、あの……(私を家に)連れてってください」
一部を略したため、勘違いした騎士が固まる。新たな聖女を守る命令を受け駆けつければ、まだ幼く見える少女は落下してケガをしていた。助けた私に恋心でも抱いたのか。だが、彼女は21年間不在だった聖女の地位を継ぐ女性だ。
ぐっと拳を握って首を横に振った。女性として最高位である聖女様のお言葉であっても、従うことは国を裏切る行為だ。
「申し訳ございません。そのご命令には従えません」
若草色の大きな瞳を見開き、クナウティアは唇を噛んだ。どうしよう、この騎士様も私を閉じ込めるつもりだわ。何としても帰りたいのに。
「どうかお願いします。私はもう、縛られたり襲われるのは嫌です。(家族に会えないのも)怖い」
ストラで縛られ、上にのし掛かられたと訴えるクナウティアの言葉は、やはり足りなかった。前後の状況を知らない騎士には、刺激が強すぎる。先ほど見つけた手首の拘束痕に視線が向かった。
「なっ! そのような……神官が、まさか」
「誤解です! あれは」
彼女が暴れて危険だから縛っただけだ。そもそも襲おうとした事実はない。否定しようとする神官に対し、騎士は無言で立ち上がると剣を抜いた。
「私の仕事は聖女様をお守りし、無事に謁見を済ませるまで護衛すること。それ以上近づくならば、神官殿でも容赦はいたしません」
構えることはないが、剣を抜いて覚悟を示した騎士に、神官はがくりと肩を落とした。おそらく話は通じないだろう。神官の予想は、真面目すぎる騎士の性格を正しく読んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます