3.聖女が拘束されて逃亡っておかしいわ
掴まる場所を求める手を、神官達は引きつった笑顔で握った。そうじゃないわ、そこの部屋の扉のノブや大きな大理石の台に掴まりたいのよ! 内心の叫びは声にならない。騒ぐクナウティアの口に、神官が優しくストラを巻きつけていた。
ストラの使い方を間違ってるわ。これは聖職者の首にかかってる布だもの。塞がれた口で文句を叫ぶため、涎塗れになってしまった。外されても首に巻けそうもない。
薔薇色のストラは、女神の神殿に所属する聖職者すべてが日常使うものだ。長い布は聖職者の首にかけられ、足元まで届く長さがある。引き摺らない長さに調整されたそれは、聖女の口を塞ぐ目的で作られたわけじゃないのに。
神官の溜め息が漏れる。暴れまくる聖女の口を塞いでも、同僚は誰も咎めなかった。それが答えだ。この少女の手癖、口の達者さは呆れるものがある。ある意味逞しく、苦境に立ち向かう聖女として相応しい資質なのだろう。しかし、発揮される場面が間違ってる気がする。
「落ち着いてください、危害を加える気はありません」
上司にあたる枢機卿が説得にあたるが、もごもごと反論したクナウティアは首を横に振った。この国で聖女は女性の最高位だ。王妃殿下より上の地位であり、国王陛下と並んで『陛下』の称号をもって尊敬される存在だった。
何が不満なのか。呆れる神官達は、最初の彼女の言葉をすっかり忘れていた。そう、彼女は家に帰りたいだけなのだ。クナウティアにとって、家族が揃う晩餐より価値のある時間はなかった。
「ふご……ご、ぅう、おぅ、ぐ、ぅう」
帰らせて、お願い。必死に訴えるが、神官達は誰も聞いてくれない。それどころか口に続いて、両手両足を縛られてしまった。あまりに暴れる聖女クナウティアに手を焼いた神官達は、聖職者にあるまじき行動に打って出たのだ。
数本のストラを使い聖女の自由を奪った彼らは、聖女を客間のベッドに転がした。その際に勢い余ってベッド脇に両手をついた神官がいたが、疲れから溜め息をついて身を起こす。びくりと身を竦ませたクナウティアを気遣う余裕のある者はいなかった。
何なの? 自由を奪った私の上にのし掛かってきたわ。胸を掠めた手に溜め息をつくなんて、失礼じゃない? 平らで悪かったわね! それ以前に、女神を妻として婚姻を結んだ神官なのに、未婚の貴族令嬢をベッドに押し倒して……誰もそれを咎めない。
もしかして、ここは教会じゃないのかしら。偽物だった? 私は売られちゃうかも。部屋を出ていく神官を視線だけで見送り、心細さにクナウティアは身を丸めた。
幸いにして、縛られたのは手首と足首だけ。これなら緩めたら抜け出せるわ。彼らは素人なんだから、結び目も緩いはずよ。そうでなくちゃ、ネメシア様を恨むから。
罰当たりな聖女は女神を脅し、痺れる指先で必死に足の結び目を解き始めた。畑仕事はもちろん、普段から体を動かして家事全般をこなすクナウティアは身体が柔らかい。先ほど咄嗟に扉枠へ足をかけたように、身体能力は高かった。
「うごぉおお、ふぐぅ」
絶対に逃げてやる。平たい胸に固い決意を秘め、クナウティアは必死でストラを引っ張り続けた。高価な絹を使ったストラは、何度か引っ張ったり緩めたりを繰り返すと、するりと解ける。これが綿なら苦労させられただろう。
靴を脱いだクナウティアは、足の指で手首のストラに取り掛かる。急がないと誰か来るかもしれない。今度こそ偽物神官に襲われるかも! 身体的な魅力が足りなくても、幼女を相手にする変態もいると聞いたことがあるわ。
器用に足の指に引っ掛けたストラを解き、口を覆った最後の1本を外した頃には、クナウティアは肩で息をしていた。先ほど脱いだ靴を履き直して呼吸を整える。
ふかふかのベッドから降りて、扉に近づくと人の声が漏れ聞こえる。どうやら見張りがいるらしい。仕方なく、クナウティアは庭に面したテラスへ滑り出た。
部屋は2階だった。高さは大したことないが、下に生えている薔薇の茂みは痛そうだ。きょろきょろと見回し、クナウティアは安全な場所を見つけた。隣の部屋のテラスに飛び移れば、その下に薔薇はない。目を輝かせたお転婆娘は、テラスの手摺りに乗るために靴を庭へ放り投げた。
「ちょっと遠いけど、行けるわ。自分を信じるのよ、ティア」
気合を入れて、自らを鼓舞したクナウティアは勢いよく飛んだ。
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