5.王太子も大いに混乱する
男爵令嬢セントーレアは全力で走っていた。久しぶりのお洒落で施した薄化粧も、汗で溶けている。しかし親友の一大事と、街を全力で駆け抜けた。令嬢らしからぬ所作でスカートを膝まで捲った少女の疾走を、馬車から見つけた青年がいる。
「街の女の子は、何というか……すごいね」
今までに出会ったことのない人種だ。そう呟くのは、豪華な王家の馬車の窓から街を眺める王太子殿下である。聖女誕生の一報を受け、迎えに行く途中だった。
少し赤みがかった金髪の王太子は、青い瞳を瞬く。走る少女の手に握られた封筒に、見覚えのある封蝋がされていた……気がする。しかし現在の最優先事項は、聖女の迎えだ。多少興味を惹かれた程度で、馬車を遅らせるわけにいかなかった。
行きは自分一人の馬車だが、帰りは聖女に選ばれた少女が同乗する。使者の話では、彼女は幼くも愛らしい人らしい。愛と美の女神ネメシア様を象徴する薔薇色に似た、ピンクブロンドの髪をもっているとも。まさに愛されし聖女様だった。
21年前に身罷られた聖女様は、瞳の色が薔薇色だったが、今度は髪の色か。今後の聖女探しに役立つかも知れない。文官に統計を取らせる必要があるな。考えながら、流れる街並みをぼんやりと目で追った。
先行する騎士が先触れを終えて戻る頃だが、まだ姿が見えない。護衛騎士も送っているので、トラブルが起きているはずはなかった。彼らは強さも礼儀作法も身につけた最強の守護者だ。信頼できる部下を送った王太子リアトリスは、馬車に置かれたクッションに身を沈めた。
馬車の揺れが好きではない。乗馬と違い、揺れが不規則なのだ。街道の整えられた道はいいが、街中は轍が出来ており左右に大きく揺さぶられた。そこに馬の前後の動きが加わり、下から突き上げる振動も加わる。
早くついてくれ。リアトリスは真剣に願っていた。酔いそうな気持ち悪さを誤魔化す意味もあり、窓を開けていたのだが……ようやく教会の赤い屋根が見えた。門を潜る馬車の揺れが収まる。さすがに敷地内は整地が行き届いていた。
「リアトリス殿下、お待たせいたしました」
馬車の扉を開けた騎士に頷いて降りた王太子は、案内役の神官の後ろについて歩き出す。
「王太子殿下におかれましては、ご機嫌麗しく恐悦至極にございます。本日はめでたくも、愛と美を司る女神ネメシア様の聖女様が誕生なさいました。ただいま謁見の準備をしておりますゆえ、中でお待ちください」
「ご苦労」
神官にねぎらいの言葉を向け、足を踏み出したリアトリスの目に、テラスから転落する少女の姿が映った。白っぽいドレスの少女は、伝え聞いた聖女の特徴であるピンクブロンドの髪を風に靡かせ、薔薇の茂みに吸い込まれる。
「いま……」
僕の見間違いか? 眉をひそめる王太子はすぐに我に返った。あれが聖女様であっても、違ったとしても、少女が一人落下した事実は変わらない。
「少女が転落した! 急げ!」
助けに行けと命じる王太子の声と指差した方角を確認し、神官は青ざめた。しかし騎士は敬礼して走り出す。その後ろをついて走りながら、リアトリスは嫌な予感に身を震わせた。
「大丈夫か?!」
すでに少女は室内に移動しており、ソファの上に横たわっていた。背もたれでよく見えないが、肘掛けから覗く髪はピンクブロンドだ。銀髪にピンクを溶かしたような、輝く美しい色だった。この色の女の子が生まれると、街中が大騒ぎになる。女神ネメシア様の薔薇色を髪にもつ少女は、美人になることが多かった。
室内へ入ると、途端に暗く感じる。そこに広がる光景の異常さに、リアトリスは乾いた喉から声を絞り出した。
「……何があった」
礼儀を叩き込まれたはずの騎士が、神官に剣先を突きつける無礼を働く。その後ろでは怯えた様子の聖女らしき少女が、騎士の上着の裾を掴んでいた。
緊迫した現場で、問い質すリアトリスの声が人々を凍りつかせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます