1幕 開演

 学校終わりの夕方。

 今日もいつものメンバーで下校していたが、ケーコだけ様子がおかしい。

 エータやユーミも気づいていない訳ではないが、聞いても「何でもない」の一点張りで、何も言えなくなった。

 二手に分かれる道に差し掛かった所でケーコが口を開いた。

「明日から、もう2人には関わらない。

 だからユーミもエータも、もう俺に関わらないで。」

「……え?」

「どういうこと?」

 ユーミが聞くが、ケーコは顔を上げずに

「そのままの意味」

 突き放すようにそっけなく答える。

「今までみたいに一緒にいたら、迷惑になるから。」

 じゃあ。と足早に脇を通り抜けようとするが、エータに腕をつかまれる。

「意味が分からないよ。どうして?」

「……。」

 ユーミが顔をのぞき込もうとしても、ケーコは顔を背ける。

「私は、ケーコのこと迷惑だなんて思ったことないよ。」

「うるさいな!」

 ケーコが細い腕で二人を振り払った。

「今までそうじゃなくても、今からそうなる。

 2人とも、薄々迷惑だって思ってただろ!

 もういい、放っとけよ!」

「そんな事」と言い返す前に、ケーコは駆け出してしまった。

「ケーコ!?」

 ユーミが声を上げても、もつれそうになる足を止めない。

「私、追いかけてくる。

 2人とも、先帰ってて。」

 早口で言うと、ユーミもケーコを追って走った。

 エータも追いかけようとするが、直後、何を言えばいいのかわからないことに気付いて、足が前に出なかった。

 ずっと先で、ケーコに追いついたユーミを、取り残されてぼんやり眺めることしかできなかった。






 追いかけてくるユーミを振り切ろうと足を踏み出した時。目の前を影が横切った気がして、「ギャッ」と叫んで立ち止まる。

 とっさに探しても何も無く、幻覚だということに気付いた。

「ケーコ、どうしたの?」

 追いついたユーミが、息を切らしながら聞くが、

「何でもない。放っといて。」

 またケーコは距離を取るように速足で歩く。

 それについていくユーミ。

「そんな訳にはいかないよ。私たちずっと一緒だったもん。」

「だから、関わらないようにするって言った。」

「でも明日からって言ったよね。

 なら、今日は一緒に帰っていいでしょ。」

 無視して先を歩く。

「もし明日から一緒じゃないんだとしたら、曲はどうするの。」

 見せあいっこするように、ネット上にあげている曲。

「やめる。」

「えっ」

 驚きで一瞬立ち止まりかけるが、ケーコが止まらずにいくから、慌てて足を進める。

「なんで?」

「俺の曲を嫌いな人がいるから。」

「そんなことないよ。いるとしたら、ちょっと趣味が合わなかっただけで。」

 ケーコの足は止まらない。

「そんな人よりもたくさんの人が、ケーコの歌を待ってる。私だってその一人だよ。

 だから、やめなくったって、」

 ピタリとケーコの足が止まった。

「そんなわけない。」

 ケーコは、焦点が定まってないまま、ユーミを睨みつける。

「今まで好きだって言ってくれた人も、俺の曲が嫌いになった。そうでもなきゃ、「前の方が」なんてコメントしない!

 ユーミだってそうだ。

 すっと前からキチガイだって思ってたんだろ。裏でエータと二人で俺のことバカにしてんだろ。分かってんだよ。

 もう放っとけよ!」

 まくし立てた後、ハッと我に返る。

 目の前に立つユーミは、目を見開いて立ち尽くしている。

 呆れ、蔑み、失望しているのがはっきり分かる。

 あの目は幻覚? いや、違う。きっと本物。

 そう思うと、どっと後悔が押し寄せてきて、全身から血の気が引いていく。

 視界の隅の黒い目が、ユーミと同じ目でにらんでくる。

 倒れそうになるのをこらえて、ケーコは走って逃げた。

「あっ、ケーコ!」

 心配して、何とかしてあげたいというユーミの目を、それだけの真実を、ケーコの目は全く受け付けていなかった。






 翌朝、待ち合わせの時間になっても、ケーコは来なかった。

 待ち続けて、結局遅刻ギリギリで教室に入ると、背中を丸めて自分の席に座っているケーコがいた。

 エータが「おはよう」と声をかけても、机をじっと見つめたまま、少しも動かない。

 その日は一日、ユーミが話しかけても無視をしたり、エータが近づくとパッと離れてしまったり。

 明らかに距離をとられていた。

 何が原因かわからないために、なんと声をかければいいかわからなくて。

 結局そのまま数日が過ぎた。

「ケーコ、大丈夫かなあ。」

 ユーミがこの数日で何度目かになるつぶやきを口にする。

 大丈夫じゃないことは、分かりきっていた。

 エータとユーミ以外に話す相手がいないケーコは、自分の席から動かず縮こまって本を眺めている。

 クラスの子に声をかけられると、おびえたように目を泳がせて、「あの、えっと」と意味がない言葉を並べる。

 教室移動や昼食の時は、逃げるように教室を出る。

 その姿は、親友の前にいる時とは全く違っていて。

 あまりにも小さく、生きづらさを全身で表していた。

「でも、僕たちじゃ何もできないから……。」

 大丈夫じゃないって分かっていても、相手にされない。それでも気になって、それ以外の話題が出なかった。

「そうだけど……。

 あれ?」

 ユーミはエータを見て、声を上げる。

「どうしたの?」

 エータが聞くと、何かを探すように視線をただよわせてから、首をかしげた。

「もう一人は? 三人で話してたよね?」

 人数不一致。

「ケーコじゃないよね。トーヤは違うクラスだから元々いないし。

 あれ? 2人で話してたっけ。」

 不安そうに声が小さくなっていく。

 トーヤは、度々何も言わずにいなくなる。おまけに影が薄いから、本当に気づくといつの間にかいなくなっている。

 いなくなることで、気づくような存在。

 という設定だ。

 ユーミが人数不一致になった時、いなくなった存在として、存在している親友。

 人数不一致に悩まされるユーミのために、ケーコが作った、あくまで設定だけの存在。

「それは……。」

 何か言おうとするエータも、言いよどむ。

 少しの沈黙。

「あ、そろそろ授業始まるから。」

「ああ、うん。」

 気まずい空気のまま、2人はそれぞれの席に戻る。

 大丈夫じゃないのは、エータとユーミも一緒だった。

 今までずっと3人(+1人)でいた反動か、この数日でユーミの人数不一致症がひどくなっている。その上、ごまかしたりストッパーの役割をしたりしていたケーコがいないから、人数不一致を制御できなくなっていた。

 そのことはユーミだけではく、エータも負担になっていて。

 やっぱりケーコがいないと、“4人”じゃないと、僕らはやっていけない。

 数字と記号ばかり並ぶ黒板をぼんやり眺めながら、エータはケーコを呼び戻すことを決めた。




 放課後。

 ユーミに「教室で待ってて。」と言って、図書室に向かう。

 ケーコはユーミとエータに会わないように、放課後は図書室にいる。二人とも心配で、ケーコの後を追うので意味はないのだが。

 図書室に入ると、哲学のジャンルの隅っこで、ケーコがうずくまって本を読んでいるのを見つけた。

「ケーコ。」

 小声で呼ぶと、ケーコは「うわあ」と大きく肩を震わせた直後、慌てて口を塞いだ。

 一瞬乱れた図書室の空気が静かに戻る。

 この空気を壊すのは、目立つ。目立ったら、普通じゃないことがばれる。

 声をかけたのがエータだとわかると、また本に視線を戻して無表情を決め込む。

「話したいことがあるんだ。ちょっといいかな。」

 ケーコは本を顔の前に動かして、エータを受け付けない。

「移動したくないなら、ここで話すけどいい?」

 無反応。

 エータはケーコの前に正座する。

 図書室の空気はとても静かで張りつめている。

 小さな声でも、話すと目立つ。

 エータが話始めようと、すうと軽く息を吸うと、

「うあ、分かった。出るから。」

 うめくようなか細い声で、ケーコが制止した。

「ありがとう。ごめんね」

 エータが言うと、ケーコは恨めしそうにエータをにらむ。

 図書室を出て、人の少ない階段に向かう。

 エータの後ろを、ケーコはおとなしくついていく。

 踊り場につくと、エータはケーコを振り返る。

「なんで僕らと関わらないって言ったか、教えてくれるかな。

 理由が分からないと、僕らも納得できなくて。」

「……別に。」

 口をとがらせて答える。

「じゃあ、今からでも前みたいに一緒にいてくれる?」

「それは無理。」

「その理由を教えてくれないと、分からないよ。」

 ケーコは少し戸惑ってから、

「理由を言ったって、2人が俺のこと嫌いになるだけ。

 だから、言いたくない。」

 力なく首を振った。

 その言葉を聞いたエータは、小さく息を吐いた。

「僕は、何があってもケーコのことを嫌いにならないよ。それはユーミも一緒。

 今までずっと近くにいたんだから、知ってるでしょ?」

 エータがうなずくように微笑むのを見て。

 ぽつりぽつりと、ケーコは自分が幻覚持ちになってしまったこと、その原因の出来事を話した。

 エータは口を挟まず「うん、うん」と相づちを打っていた。

「今までエータとユーミが普通のふりを上手くしてるのに、俺も普通じゃなくなったら、俺は2人の邪魔にしかならないから。

 俺がいたら、2人が普通のふり出来なくなっちゃうから。」

「うん。」

「俺は2人の近くにいちゃいけない。

 だから、俺は2人と関わらないって決めた。」

 ケーコの話は、そこで終わった。

 エータは、うんうんと軽くうなずいて、微笑んだ。

「なんだ、そんなことだったんだ。

 いいんだよ、別に。僕の方が、ケーコとユーミに迷惑をかけっぱなしだったんだ。

 今度は僕がケーコを支えるよ。

 でも、僕ひとりじゃケーコのこと助けられないし、ユーミだって、支えられない。」

 エータは続ける。

「ケーコの言ったとおり、僕らはどんなに頑張っても普通じゃない。固まって普通のふりしてたんだ。

 ケーコが幻覚に陥ったら、僕はユーミで助けるよ。」

 ケーコは、驚いたように顔を上げた。

「本当にいいの?」

「もちろん。」

「幻覚が見えてるんだよ?」

「大丈夫、僕もユーミもちゃんといるから。」

「突然発狂するかもしれないよ?」

「それは、なるべく抑えてほしいかな。」

「分かった。」

「でもその時は、ちゃんとケーコのこと守るから。」

 エータの力強い笑顔で、一人で不安定な生活を送る恐怖から解放された、安心感と、安堵が沸き上がってきて。

 涙があふれた。

「あっ、ごめん。」

 乱暴に涙をふくと、エータがハンカチを差し出して、ケーコの背中をさする。

「いいよ。落ち着いたら、教室に戻ろう。ユーミが待ってる。」

「うん。」

 エータの言葉に、ケーコは流れる涙をそのままにした。

 踊り場の下。ケーコとエータから見えない位置。

「……やっぱり、エータにはかなわないなあ。」

 ユーミは壁にもたれて一部始終を聞いていた。

「それにしても、まるで私が問題児みたいな言い方して!」

 唇をとがらせた後、ふふっと吹き出す。

 迷惑をかけるのが当たり前の関係。

 それなら、文句の一つや二つ言ったってかまわないでしょ。

 階段を下りてくる気配を感じて、2人の前に出た。

「あれ、ユーミ、教室で待っててって言ってたよね。」

「そんなことより、3人とも私のこと世話のかかるやつみたいな言い方して!

 ってあれ、もう一人は?」

「トーヤはもう帰ったよ。」「そうだっけ。」「俺たちも帰ろ。」

 幻覚持ちのケーコと、人数不一致症のユーミと、性別のないエータと、存在しないトーヤ。

 普通じゃない4人の日常が戻った。






「2人とも、自分で曲を作ってネットにあげてるんだよね。

 ケーコに聞いたよ。

 そうして僕にも教えてくれなかったの。」

「ただの遊びだったから。俺はもうやめるけど。」

「本当にやめちゃうの? 私、ケーコの曲好きだったのに。」

「もういいんだ。作るのがもう怖くなったから。」

「そっか、じゃあしょうがないのかなあ……。

 そういえば、さっきからケーコが歌ってるのは、誰の曲?」

「え?」

 ユーミに言われてようやく、無意識でメロディを口ずさ

 んでいることに気付いた。

 誰のでもない、しいて言えば、自分の。

「誰だったかな……。

 忘れたけど、またきっと聞くことになると思うよ。」

 そういって、ケーコは心底幸せそうに笑った。











 4人で作った楽曲がネット上で人気を博したのはまた別の話

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AKUT ニョロニョロニョロ太 @nyorohossy

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