第35話 あとがき M社新聞記者:佐竹亮
M社新聞記者:佐竹亮
この事件は人形町の裏手にあるF坂で発生した。事件が起きたその場所は坂途中に楠が鬱蒼と茂る祠の苔むした石階段で、そこに東大阪N在住の里見夫婦の生首が転がっていた。
原因は現代を象徴するような高齢夫婦の介護共倒れで起きた事件で、その住居で腐乱した死体の肉をどこからか入り込んだカラスが喰い唾み、やがて生首と胴が離れてカラスが巣に運んだところ、それが下の坂に落ちて、結果として生首が転がって落ちていたことから、僕等記者の間では『生首坂事件』と呼ばれた。
唯、この坂の事を古くから知る古参達は、この事件を『新』と呼び(まぁそれははどうでもよい)、昭和の初めに起きた事件の事と比較して言った。ちなみに古参の記者曰く、その時生首を発見した時の医学生の事を知っており、なんでも性は小林といい、明治から昭和の初めに活躍した名探偵の助手をしていた人物だったという事だったので事件の事はよく覚えているという。その名探偵はその事件は警察に任せて、何も手をださなかったそうだ。
さてこの事件の背景と顛末を述べたい。簡単に述べたいが、紙面が足りるか甚だ不安である。
この事件は最初、冒頭にも述べた高齢者夫婦の介護共倒れで起きたと思ったが、実はその背後に三室魔鵬(みむろまほう)という昭和初めの名工とその『三つ鏡(みかがみ)』が関連した詐欺事件へと姿を変えた。
この『生首坂事件』には里見雄二、牧村佐代子(旧姓)、有馬春次という三人が出て来る。そう最後の人物は皆さんも知っての通り、あの有馬春次である(つい先日頃南港に掛かる赤い大橋で首を括って縊死してメディア等、世間を騒がせたあの人物である)
私がこの事件を現代の介護問題事件として取り上げて調べてゆくうちに、ある人物と出会うことになった。その人物はこの生首坂を警ら地区として担当していたT巡査である。取材したときは既に彼は警察を辞職した後で在り、国家公務員の秘密保持の範囲であればお答えするという事で、当時の様相を出来るだけ端的にかつ、詳細に教えていただいた。
警察では当初、勿論、介護に拠る不幸な事件として事件を処理しようとしていたが、有馬春次宛てに次々と被害届が出ていた。それはある美術品に対する詐欺にあったという被害届だった。それは東北地方に住む去る資産家の肩からでそちら方面の調査が進んで行くうちに、この三人とぶつかることになった。ぶつかることになった時はほぼ、この生首事件の発生後、やや時を同じくする頃で、何でも岡山をはじめ東北の資産家の方達で頻発する豪雨や東日本大震災でやっと蔵の整理ができたところ収取美術品の全てが被害を受け、破壊されていたのに、ある美術品だけが全然壊れていないと言う異常に接して驚き、困惑したことが有馬春次の『詐欺』に触れた瞬間だった。もう少し言うと、当初、取引の在ったのは二十年前で阪神大震災が起きる前だった。それは地震と前後していて良く覚えているという事だった。それで邸宅に訪れた有馬春次は当人達に、
「これは三室魔鵬(みむろまほう)がある内弟子に渡した『三つ鏡(みかがみ)』です。内弟子とは実は私の義理の兄、つまり姉の夫でしてね、そのことは良く美術関連の雑誌にも出ていることだからご存じでしょうから、余計なことは言いません。実は私は義理の兄にいくらか資金の融通をしていましてね、ええ、そうですよ。兄と言うのは里見です、二科展でも活躍している彫刻家の…ああそうですか、ご存じですか?いや、収集品として「Y処女像」もある、嗚呼それは結構です、それならば話は早いですね。芸術家はいつでも貧乏です。私たちのようなパトロンが居なけりゃ飲まず食わずの内に餓死です、だからその資金融資の代わりにこいつの処理する権利を頂いております。こいつがその証書で、こちらが三室魔鵬(みむろまほう)自筆の譲状です」
それはまるで当人の心を蕩かす様なとても心地よい音調で、いささか自分自身もそうした知識があり本物を見て興奮して聞いていたという事だった。それから有馬春次は秤を持ち出し、『三つ鏡(みかがみ)』を載せて重さを量り、それが資料通りであることを目視させて確認すると当人に言ったそうです。
「いかがでしょうか?お手持ちの金額でお買いになりませんか?勿論、美術館などから貸し出しがあれば、それはこちらで何とかします。何とかする?ええ、そうですね、実はこちらで上手くやりますよ…例えば精緻な模造品を貸し出しますとかね?バレませんかですか?心配ないですよ。それがこちら側の商売です。商売には光もあれば闇もある。今は光か闇の取引かわかりませんが、当代随一の名品、それも宮家が明治、大正、昭和と三時代に跨り褒められた名品ですよ、これは。その名品の価値、それは価値と『美』が分かる人に護られるのが本当の所でしょう。さぁ如何です?あなた様がうんといえば、これを今からここにおいて私はすぐにでも帰りますよ」
警察はこうした被害届を受けて事件の処理を進める一方で、有馬春次がこの『生首坂事件』の被害者である牧村佐代子と兄妹(戸籍上は別だが、幼いころに春次は生家の経済的な事情とかで早くに他家に養子に出されていた)という事が分かり、関連が無いか再度死亡解剖をして調べたところ、老夫婦の死体に微量ではあるが縊死した際にできる生理的反応が認められた。また住居の一部、特にカラスが来る庭方の居室に残る土足の乱雑する足跡が残っており、それらを自殺した有馬春次の橋上に残された遺品の靴底と合わせるとピタリであったことから、ここで何事か個人間で争いが起きたことが想像される。(あくまで想像である。なにせ既に事件をするべき当人たちは言葉の届かぬ黄泉に旅立っているからである)
Tさんは、実は警察内部でこうした事情を素早く調べることができたのは自分の秘密調査があったからだと言っている。勿論、それは自慢げとか得意げではない、それはある友人の推理と行動力のおかげだと言っている。そのおかげはついには自分の内面に潜む子供のような怖さと向き合わせ、細心と臆病である自分がいつまでもこうした警察の仕事をしていればメンタルを壊すことだったに違いないと思わせる未来に対するおかげである。(Tさんの為に言っておくが私が取材したところ当人は本当に気さくで心の広い青年である。彼の今後の将来を期待している)
それで私は彼に聞いた。その友人の彼とはどのようなかたですか?と。
すると彼は頭を掻くように言った。
――そう、
そうですね、丁度こんな感じにもじゃもじゃの縮れ毛のアフロヘアを掻くとぴしゃりと首を叩くんです。それだけじゃない、彼は劇団員でね、どうも発言やらとかに演技臭さや幾分か誇大さもありますが、どうも彼自身の人間の内面から湧き上がる優しさがあるのか…それらが醸し出されて悪い気がしないんです。それに加えて行動力がある、自分がこれだと思う事には執拗なくらい掘り下げるいい意味で物事に対する執着さがある。
そこまで言うと、Tさんは大きく息を吐いた。
――現実はひょっとすると動き続ける劇場で、そこに生きる人は劇場の演者なのかもしれませんね。人々は時にサラリーマン、主婦、子供、正義面した悪人、芸術家そんな様々な人々を演じる。そういう意味では彼は見事な演者でしたよ。そう、探偵という演者です。そういえば彼は最後に僕に言ってました。確か…僕の本当の名前は小林古聞(こばやしふるぶみ)と言って、なんでも遠い昔、活躍したある名探偵の助手をしていた方の遠縁だと。
Tさんはそこで再び大きな息を吐いていった。
――記者さん、あとの詳細は彼を訪ねてください。僕はこれからロードバイクで旅に出ようかと思います。その準備をこれからします。もし彼に会ったら伝えてください。私は君に出会えて自分の人生に嘘はつけなくなった、『嘘』と『真』の二つのうち僕は一つを選択して生きますと。それと彼に会ったらもう一つだけ、彼が僕に見せた動画があるんですが、あれ、警察を動かすための彼と役者仲間が作ったフェイク動画なんですよ、何というか彼の大胆さというか、感服したと。実際警察はそれで動いたんですからね。
そう言ってTさんは私の前から姿を消した。それから私はTさんが言った『彼』に会って取材して彼なる人物がいかように推理して事件を明るみにさせたのか取材することになるのだが、その『彼』についてその名をTさんの去り際に聞いた時、私は強く驚いた。
その人物こそ…、
私が別の事件で探し求めていた人物だったからである。
私が関連した別の事件で彼がどのように推理したかをここに書こうと思ったが、やはり紙面が足りなくなった。
しかし読者の方には簡略に伝えたい。その彼こそ、私が探し求める変な髪形をした人物、まるで浮雲を掴むように飄々と生きる『四天王寺ロダン』君。この大阪という難波の夢のようなどこかで泡抱く粒のように生きている聡明な人物である。やはり紙面が足りない。
それでは私が愛して求めてやまない君よ、もしこの小さな記事を見たら是非連絡を寄越してくれ。
いづれの時にお会いしたい。
尚、最後に『生首坂事件』についてだが、有馬春次は方々で同じような事をしていたことが画廊の帳簿で分かった。九州に行く、東北に行くなどの頻繁に出向いた費用が阪神大震災後の二十年前から、突如消えていた。
彼の死後、彼自身に対する同様の申し立てがいくつか行われたが、既に有馬春次は故人であり、全ては被疑者死亡のまま書類送検された。その被害者への支払いは彼等の生家であり今は大阪本町の道修町の製薬会社Gがそれらの弁済をすることになった。彼等は創業家として製薬会社の役員であったからである。
この『生首坂事件』について記者が知ることは以上である。
生首坂 (namakubizaka)/ 『嗤う田中』シリーズ 日南田 ウヲ @hinatauwo
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