契約後の初仕事は……③
……死んだかと思った。
川の向こう岸で、ひいばあちゃんがにこやかに手招きしていたのが見えた。
臨死体験談によくある話は真実だったのだと、俺は身をもって知ったのだ。
「のんちゃん、セクハラって知ってる?」
またも巨大化した海月が、正座をする俺のすぐ目の前にまで迫ってきている。
圧が強い……が、やらかしたのが分かっているので、素直に謝る。
「……ごめんなさい」
大好きな作家さんに会えたことで、興奮し過ぎて周りが見えなくなってしまっていたのだ。
まだ未成年とはいえ、男の俺が無許可で明日香を抱き締めて良い理由にはならない。
いくら外見は魔法少女の姿でも中身は男なんだから。
……最初?あれは良いんだ!……って、あれもダメだな。
「女の子には同意なく触らないこと!触るときは真綿で包むように優しく!――OK?」
「……すみませんでした」
俺は何度も明日香に頭を下げた。
「いやー……大丈夫だよ。役得だったし、寧ろ相手がこんなでごめんね」
明日香は笑って許してくれた。
「『こんな』って何だよ!?」
自分を卑下するような明日香の発言に、頭で考えるより先に言葉が反抗していた。
「二十五歳にもなるのに、まだ夢を追い掛けているし、地味で目立たなくて面白味もない。……君が言ってた通りだもん」
……だから、大人になれ。冷静になるんだ、俺。
海月の電撃で死んだかと思ったけど……俺のせいなんだ。
何度も深呼吸をし、次第に落ち着いてくると……ふと疑問が湧いてきた。
「……何であの後、違う作品を発表しなかったんですか?」
何も考えずにポロッと口から出た言葉。
あっ……。ヤバッ。
呆然としながら瞳を見開く明日香を見た俺は、それが失言だったことに気付いた。
「描けなかったんです」
明日香は静かに笑った。
痛みを堪えたように微笑む明日香の表情に、ズキンと胸が痛んだ。
傷を抉ってしまった……という罪悪感。
「で、でも……!あんなに楽しそうに次回作を話してたのに……!!」
どうにかしてフォローしようとするのに、俺の言葉は空回りするだけで明日香には響かない。
そんな辛そうな顔をさせるつもりじゃなかったのに……。
「お、俺は……!」
更に言葉を重ねようとした時……。
「のんちゃん、く・う・き!」
頬をプウッと膨らませた海月が俺と明日香の間に滑り込んで来た。
急に目の前に割り込んできた海月が邪魔だと思いながらも……俺は安心していた。
もう、どうして良いか分からなかったから。
俺は近すぎる海月の顔面を掴んで押し退けようとしながら……あの当時を思い出していた。
八歳だった俺は、明日香を見たことがあった。
今の暗くて黒い格好とは真逆で、ピンクのワンピースを着て瞳をキラキラと輝かせていた明日香を……。
だから、目の前の明日香と【ASUKA】が同一人物だとは気付かなかったんだ。変わりすぎていて結び付かなかった。(初対面で鼻息荒くはハアハアされたし!)
どうして……。どうしてこんな風に変わってしまったのだろうか?
「のんちゃんなら分かるはずなんだけどな」
俺の瞳をジッと見ている海月が言った。
俺なら……分かる?
海月の瞳に映り込んでいる
あの時よりも少しだけ大人びた顔で……。
……そうか。そうなのか。
ストンと腑に落ちた。
急に周囲からもてはやされ……期待に応えたいのに……期待が重くて応えきれずに……結局は自分で自分を潰してしまった。
そして残されたのは――――自信を失った自分。
「のんちゃんは鈍いよねぇー。そんなんじゃ、モテないよ?」
「だっ……!痛いって!!」
海月の顔面を押さえていた俺の右手の指が、ミチミチと数本の触手を使って広げられる。
「裂けるわ!!」
反動をつけて触手を思い切り振りほどいた俺は、痛む右手をそっと左手で包み込んだ。
「そもそも、
「そんなことないよ!好みは分かれるかもだけど私と明日香ちゃんは大好きだもーん!」
……ちょっと待て。明日香は『男の娘』のイラストが描きたいと言った。
俺の好みではないが、この殺風景で地味な部屋にも意味があった。
つまり――――。
「明日香ちゃんは逃げなかったよ。そして今も戦っている」
俺と目が合った瞬間に海月がニッコリ笑った。
「逃げなかった……」
俺は何もかもが嫌になって逃げたのに…………。
思わずギリッと唇を噛み締めた。
「『逃げなかった』なんて格好いいことじゃないですよ。私はバカだから、辛くても思い通りに描けなくなっても……止められなかった。それだけです」
逃げた俺と……逃げなかった明日香。
その
俺は……俺は…………。
「のんちゃん」
俺の頭の上にポンと触手が乗った。
「『逃げる』ことは悪くないよ」
「海月……?」
「心を守る為の本能だもん。弱さとは違う。辛い時はどんどん逃げちゃえ!我慢し続けたって良いことなんかないよ?」
ポンポンと優しく労るように頭の上で触手が跳ねる。
「疲れたら休む!そして、傷が癒えたならちょっとだけ向き合ってみる!駄目ならまた休めば良いだけ!」
妙に説得力のある海月の言葉に思わず頷くと、俺だけでなく明日香も頷いていた。
「ということで、お仕事しましょう♪」
「はっ……?」
「お・し・ご・と!」
「どうしてそうなるんだよ!」
今までの流れが台無しじゃないか!!
「えー?のんちゃんは過去と向き合えるし、明日香ちゃんは未来に向かって進めるなんてWin Winじゃない?」
海月は俺と明日香の肩に触手を乗せた。
「俺は別に過去に向き合いたくなんて……」
「大好きな【ASUKA】のモデルになれるんだよ? ファンなんでしょ? 嬉しいでしょ?」
顔を背けた俺の耳元に悪魔の囁きが聞こえてくる。
うっ……。
俺は【ASUKA】の新作イラストが見たいと思ってしまったのだ。
「……分かったよ!やるよ!」
俺は顔を逸らしたままで、ぶっきらぼうにそう答えた。
「でも、この真っ黒な部屋と服装をどうにかしないやらないからな!」
明日香は磨けば光る。
というか普通にしていればモテるだろうに……。
昔見た【ASUKA】に戻るのなら協力してやってもい――――
「ツンデレ!明日香ちゃん見た!?生ツンデレ!!」
「はい!男の娘のツンデレは最高です!」
「ふふふっ。一肌脱いだ甲斐があったね☆」
「が、頑張りました!」
「明日香ちゃん女優さんにもなれるよー!」
……待て。
「それはどういう……?」
まさか全部嘘だったのか……?
あんなに辛そうな顔をしたのも全部……?
「嘘じゃないよ?明日香ちゃんは今、プロの漫画家さんなんだ☆漫画の方に目覚めちゃったから、絵の方を発表してないだけ♪」
「はぁぁぁっ!?」
いやいやいや、結局騙してんじゃねえか!!
「のんちゃん……うるさい。後、言葉遣い! えいっ!」
一瞬だけ眉間にシワを寄せた海月は、俺に向かって触手を伸ばしながらニッコリ微笑んだ。
『シビビビビッ♪』
「うぎゃぁぁぁぁぁ!!」
――――俺はこの日、二回目の臨死体験をしたのだった。
「ひいばあちゃん!!」
魔法少女ですか? ゆなか @yunamayo
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