契約後の初仕事は……②

「で、依頼を断った理由は何?」

眼前には巨大化した海月が迫って来ている。


……怖ぇえ!

怯えた俺が、ギュッと腕に力を込めると――『んっ』と明日香が艶めいた声を漏らした。


……は!?

こんな恐ろしい状況で、どうしてそんな声が出せるんだ!?


しかも、また息が荒くなってきたし――


「か、か、可愛い……男の娘にすがり付かれるなんて……! 死んでも良い……!!」


――うん。

明日香の心情はさっぱり理解できない。


だけど今の状況で『死んでも良い』と言うならば……心置きなく道連れにさせてもらおう。


「のんちゃん。 り・ゆ・う!」

既に海月の額と俺の額が付く寸前だ。

バグったテレビの砂嵐に似た仄暗い瞳が怖いし、圧が凄い……。


早く答えなければ『シビビビビッ♪』と、攻撃される。

ゴクリと唾を飲み込んだ俺は、覚悟を決めた。俺は一人じゃない!


「……黒いから」

「へっ?」

仄暗かった海月の瞳が、呆気に取られたように丸くなった。


「明日香さんはイラストレーター志望なんだろ?……ヒッ!…………なんですよね?」

ユラリと揺れた触手に怯えながら、俺より少しだけ背の高い明日香を見た。


明日香も瞳も海月と同じように丸くなっていた。


「……えっ?……あ、はい!」

俺の質問に明日香は大きく頷く。


ざっと見た感じでは、明日香にはファッションセンスの欠片も見当たらないし、全てにおいて作業効率重視なのが見て取れる。


私服はどれも動きやすく汚れが目立たない暗色だし、仕事用だと思われるスーツは同色、同型。ジャケットとスカートを適当に合わせても、


確かに、寝起きで服装を考えるのは面倒くさいが、せめて中に着るブラウスをフリル付きの物にするとか、色を変えるだけでも印象が変わるだろうに……同じ白色の無難なタイプの物しかない。


これをモサッとした身なりの明日香が着ると…………ダサい。とてもダサい。

救いは、ピッシリとアイロン掛けされていることだろうか。


よく知らない相手を容姿や服装で判断するのは良くないと分かっているが……明日香と仕事をしてもと、どうしても感じてしまったのだ。


のイラストレーターでも、イラストレーターでも、仕事相手ならば区別はしない。

明日香がモノトーンを理想とするイラストレーターならばともかく……正義感の溢れる明るく元気なイメージの魔法少女が描きたいんだろ?


私生活が『奇抜であれ』とは言わない。


『男の娘』としてだが……プロのモデルとして活動していた俺として、私生活で色彩を自由自在に操れない相手との仕事は遠慮したいと思う。

俺は根っからの芸術家ではないが、様々な色味に刺激されるという感覚は、ファッションもイラストレーターも同じだと思うから。


「……ということで、嫌だ」

俺は海月からプイッと視線を逸らした。


いつ触手攻撃が来るのかと、ビクビクしているが……今のところは無事だ。

しかし、いつやってくるとも限らないので、警戒は怠れな――


「のんちゃん。コレなーんだ♪」

突然、目の前にカラフルな色彩が広がる。


「わっ……ちょっ!」

またどこから取り出したのか分からないが、海月は俺に長方形の大きなフレームをグリグリと強引に押し付けてくる。

電撃の次は――圧死でもさせる気か!?


「……こ、これ!?」

しかもこんな有名な作品で!


――浜辺でユニコーンと人魚が見つめ合うイラスト。

確か、作品名は『恋』だった。


いとこのお姉ちゃんの描いた絵が入賞したというので連れて行かれた展示会。

そこで当時八歳だった俺は『恋』から目が離せなくなった。

幼いながらに作品の世界観と描写に物凄い衝撃を受けたのだ。


「おい!雑に扱うなよ!!」

イラストの入ったフレームを奪い取った俺は、海月に文句を言いながら、改めてそのイラストをじっくりと見た。


淡いパステル調で描かれているというのに、ユニコーンのたくましい躍動感と愛らしい人魚が鮮明に描かれている。

ユニコーンと人魚という異種族が、恋に落ちた瞬間を想像させる幻想的な絵は、あれから七年の月日が経った今でも、感動を与えてくれる素晴らしい作品だった。


「のんちゃん、小さい頃から大好きだもんねぇー」


『どうして知っているんだ?』とは聞かない。……海月のことだから調査済みだろう。


「……悪いか」

ニヤニヤしながらこっちを見ている海月をジロリと睨み付ける。


恥ずかしさで頬が熱いが……男が可愛い物を好きで何が悪い。『良い物は良い』と思える感性だけは失くしたくない。


しかもこんな所で『恋』を見れるなんて夢にも思わなかった。

思いがけない遭遇に自然とテンションが上がる。


そういえば、この人の作品ってコレだけしか見なかったな。他の作品も見たかった。


作者名のサインを見ようと、右下の部分に視線を滑らせた俺は――


「【ASUKA】?」

そこから目を離せなくなった。


聞いた名前だ。……それも今日。


イラストレーター志望の女性と……にある『恋』。

作者は当時十七才の高校生だった。

あれから八年――作者は二十五歳になっているはずだ。


まさか…………。

呆然としながら、俺よりも少し背の高いその人を見上げると、自嘲気味に笑いながらが小さく頷いた。


「……マ、マジで!?マジであんたが『恋』の作者なの!?うわー!マジ本物!?……そうだ!サインくれ!あんたの作品が好きなんだ!」

今日一番の興奮だった。


俺は明日香の両手を掬い上げるようにし、その手を握った。


幼い頃の俺に衝撃をくれた人。

俺の感性を育ててくれたのは【ASUKA】と言っても過言ではない。

そのASUKAが目の前の……明日香だったなんて!


「あんたに会えて、すっごく嬉しい!」

「え……っ!?」

すっかり舞い上がってしまった俺は、勢いに任せて明日香を抱き締めた。


――そう、一緒にいる恐怖の存在をすっかり忘れて。


「のんちゃん」

不自然さを全く感じさせない自然な感じで、スルリと俺と明日香の間に割り込んできた海月は、ニコニコと笑いながら俺の両手を明日香から離させると、代わりに自らの触手を絡めた。しっかりと。


『シビビビビッ♪』


――ハッと気付いた時には遅かった。手遅れだった。



「うぎゃあぁぁぁぁぁ!!!!」

今までくらった電撃の中で、一番強力な衝撃が全身をくまなく駆け抜けた。

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