埋められない溝
「あの人ってさ、なんで秋人さんと一緒にいるのかな」
「付き合ってるからに決まってんでしょ」
紅葉が散る一〇月の中ごろ。
高校の通学路。その途中にある駐車場の隅。柵の内側で女子高生がたむろしていた。
「それはそうだけどさ、つり合ってないよね」
制服を着崩した女子生徒は、顔をしかめる。
「本人は気にしてないんだから、いいんじゃないの?」
「秋人さんはいいのよ。でも、女のほうは滑稽だよね。隣に立てば差が際立つだけなのに、惨めとか思わないのかな」
「そんなこと言わないの。また顔が醜くなるでしょ」
「誰の顔がブサイクだって!?」
眉をつり上げ、目を見開く。目玉が飛び出しそうな勢いだった。
一方、柵の外側に立つ美冬は、静かに顔を上げる。
後ろの会話は聞こえていた。
つり合っていない。
隣に立てば差が際立つだけ。
派手な女子生徒が発した言葉を否定はしない。事実だからだ。
秋人の差は美冬自身が最もよく、理解している。理解した気に、なっていた。
美冬は静かに歩き出す。陰口を聞かなかったことにして、駐車場から立ち去った。
彼女が足踏みを繰り返している間に秋人は評価を伸ばし、賞賛を受ける。
彼の絵が美術館に展示されると聞いて、美冬はそちらへ足を運んだ。通路を抜けて奥にやってくる。
クリーンな壁には映える黄金の額縁。その中に彼の絵は収まっていた。
秋らしい紅葉。茜色の情景。
見上げ、視界に入れた。
棒立ちになっていると、不意に視界を紅葉がチラついていることに気付く。
次の瞬間、現実が秋色に塗り替えられた。目の前には紅葉の木。凍てつく風が吹き付け、赤い葉が舞った。
肌寒さが身にしみる。手が赤くかじかんでいた。
すごい……。本当に絵画の中の世界に立っているみたい。
心の中でつぶやく。
その視線の先――何者かの姿を、垣間見る。
寂しそうな後ろ姿。涼しげで大人びた高校生。
彼の正体を悟ったとき、強風が吹き荒れる。紅葉が吹雪いて、彼を覆った。
ほどなくして吹雪は収まり、視界から茜色が消える。紅葉は落ち絨毯のように地面に広がった。今は木だけがそびえ立っている。
青年はいなくなった。
刹那、現実に戻る。美冬は美術館の奥で棒立ちになっていた。
先ほどの光景はなにだったのだろう。魔法が解けたような感覚にはっとなって、ようやく気づいた。心臓が早鐘を打っていることに。
彼の絵は完成度以外の魅力――魔力を持っている。そこには熱量があった。まるで魂そのものをぶつけられたような――
ただただ圧倒されて、心が震えている。
同時に実感した。秋人は普通の人間ではない。凡人では彼に手を伸ばすことすら困難。できることといえば、近くで見上げることくらい。
そして美冬はその境界線の上に立っている。最も彼の近くにいるのが彼女だ。
それなのに。
そのはずなのに。
彼を、遠く感じる。
このままでは本当に秋人が消えてしまいそうで、不安になった。
「あらあら、なんにも分かってなさそうな顔で見上げちゃって」
「一丁前に。芸術なんて知らない癖に」
「あんたも知らないでしょうが」
「別にいいじゃない。アレが悪いことに変わりはないもの」
黒く濁った声が耳に入った。
「ほんと、いい加減に解放してあげたっていいのに」
「どこまでしがみつく気でいるのかしら」
「甘えるのもいい加減にしてほしいわ」
四方の音が遠ざかる。彼女たちの言葉は理解できない。
目の前が真っ暗になる。まるで霧の覆う闇の中に取り残されて、立ちすくんでいるかのようだった。
ただ一つだけ、分かったことがある。
自分は彼にふさわしくない。
そばにいては、ならない。
胸中に潮の味が広がる。精神が暗い海の底へ沈んでいく。
蒼い感情を飲み込むように、息を深く吸い込んだ。
だけど、もう、耐えられない。
絵から目を離し、黄金の額縁に背を向け。
突き動かされるように、美術館を飛び出す。
今、彼女の中でなにかが崩れ去る音がした。
その後は何事もなかったかのように、秋人と接する。
平気。平気と自分に言い聞かせ、混沌とした気持ちをごまかすように、日々を消費していった。
けれども、小さな綻びは徐々に大きくなり、違和感が膨れ上がる。
足並みが揃わない。
ぎくしゃくと、ぎこちない。
彼がどんどん離れていく気配がした。
そして二ヶ月後、糸が切れたように全ては崩れ去る。
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