彼の絵が好きだった



 秋人は変な子どもだった。

 友だちは作らず小学校の休み時間も、常に一人。教室の隅っこで机に向かって、なにかをしている。

 本を読んだりノートを開いたり。予習をしていることもあれば、黙々と計算を問いていることもある。ときには方眼紙を漢字で埋めていることもあり、傍から見ると奇行だった。


 ひたすらに2Bの鉛筆を走らせる姿を見て、「勉強か?」と尋ねたことがある。

 彼は答えた、「趣味」だと。


 少年は周りの目を気にしないし、関心がなかった。

 見た目にも気を配らない。頭はボサボサで、地味な顔をしている。貧弱な体を覆うのはよれよれの服。ときには同じ服を着回すことすらある。靴下は裏表が逆だったり、左右が違う場合もあった。


 歯に衣着せぬ言い方をすれば、彼はダサい。成績も並で突出した部分もないため、優れた人物とは思われなかった。

 それでも美冬にとっては違う。

 彼には独特の雰囲気があった。一人だけ違う景色を見ているような、不思議な気配。マイペースに自分を貫く姿勢には意思を感じ、子どもではないようだった。


 好感度が上がるにつれて、容姿も脳内で美化される。涼しげな目元も寂しげな背中も、彼女の心を惹きつけて、離さなかった。


 友達を作らないところにも親近感が湧く。

 彼女も彼と同様に、一人だった。自身が落ちこぼれだと気づいてからというもの、他者との関わりを避けるようになったのだ。

 誰にも心を開かず理解されようともしない。ただ一人を除いては。

 それが秋人。幼馴染の少年だった。


 気がついたときから、そばにいた。

 彼といると緊張せずに済む。並んでも違和感がない。パズルのピースがかっちりとはまったように、しっくりくる。美冬と秋人は自然な関係だった。



 時は流れて、中学校に入学する。

 制服に袖を通すようになって、秋人の格好はまともになった。

 彼らの住む地域は人口が少ない。クラスの数も一つか二つ。二人は当たり前のように同じクラスになり、教室で彼を見ていた。


 ある秋の昼休み。

 秋人は雑に絵を描いていた。モチーフは紅葉。通学路に落ちてきたものを拾ってきたらしい。


 なんの気なしに描かれたそれに、美冬は目を奪われた。

 落書きとは思えないほどに完成度が高い。柔らかで細かい線と影が質感を表現し、モノクロなのに赤く色づいて見える。

 その瞬間、美冬は秋人の絵を好きになった。


 それからというもの、彼女は美術の授業で彼を注目するようになる。

 彼の絵は洗練されていた。学生の作品とは思えないほどに。デッサンは正確だし、絵画は鮮やか。色使いにはセンスがあり、思わず魅入ってしまう。


 美冬はことあるごとに秋人を褒めた。その度に彼は困った顔をする。


「からかってるわけじゃないのよ。私、あんたの絵が好きなの」

「スキ?」


 目をパチクリとさせて、聞き返す。


「好き」


 照れもせずまっすぐに、彼女は答えた。


「そうか」


 かすかに口元をほころばせて、少年は口を閉じる。

 それっきり。秋人は机と向き合った。



 以降、秋人は積極的に絵の練習に励んだ。作品を作るごとに評価は上がり、注目を集めた。


 中学校を卒業して、二人は別々の高校に入る。距離は離れはしたものの、登下校は一緒だ。

 学校から出ると真っ先に彼と合流。駐車場のあたりを歩いていると、後ろからキャーキャーと声が聞こえる。

 見ると女子高生たちが、秋人に熱い視線を送っていた。

 彼女たちはなにも知らない。ミステリアスな雰囲気に惹かれて集まった、ミーハーだ。

 気に入らない。彼を理解できるのは自分だけだ。美冬は黄色い歓声を耳に入れるたびに、眉間にシワを寄せ、恐い顔をする。



 二人は恋人になった。


 始まりは野原。絵を描くために天体観測に赴いた日のこと。


「ずっと一緒にいるならさ、付き合わないか?」


 星空の下でキャンパスを片手に、彼が切り出す。


「別にいいけど」


 軽いノリだった。

 なんの気なしに繰り出した返答。

 同時に壮大な物語の始まりを実感して、胸がドキドキと高鳴っていた。


 ともかく交際はスタートして、隙を見つけては逢瀬を重ねる。

 らしいイベントもたくさんこなした。


 バレンタインデーでは手作りのチョコを、ラッピングつきでプレゼント。

 デートでは喫茶店に赴き、パフェを食べた。

 クリスマスは二人だけの時間を過ごす。

 美冬が上品なワンピースで入店する中、秋人は普段のだらしない格好。夜景の見えるレストランには不釣り合いだが、彼らしい。


 食事の前にプレゼント交換。

 彼女が選んだのはマフラー。秋人に似合う紅葉色だ。

 お返しとして彼はペンダントを差し出した。キラキラとしたチェーンの先端で、ハートのチャームが揺れる。


 たちまちドキンと心臓が音を立てた。体が熱くなり、頬にピンクの色がにじむ。胸いっぱいに温かな感情が広がった。

 彼にとってはなにげない贈り物に過ぎないとは、分かっている。それなのに心が波立って、仕方がない。

 一生、大切にしよう。彼女は誓った。


 ロマンティックなムードになったところで、炭酸のジュースで乾杯する。グラスの中で泡立った淡黄色が揺れ、飲むと甘酸っぱい味が口に広がった。


 時計の針が時を刻む中、二人で笑い合う。心の晴れるような、幸せな一時。

 オレンジ色の日々は永遠に続き、特別な思い出を積み重ねるのだろう。

 そのころには彼と過ごすことが当たり前になっていた。離れることになるなんて、想像もつかない。

 その日は絶対に訪れないと、当たり前のように信じていた。

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