雪を溶く熱

白雪花房

雪の降る夜

 グレーがかった黒い空から、雪が淡々と降り注ぎ、地表を白く染める。

 やけに静かな夜だった。


「当分、桜は咲かないわね」


 美冬は小さく零して、白い息を吐く。

 温まらないまま乾いた室内。ストーブの稼働音。

 窓は結露。曇ったガラスに横顔が映り込む。赤みを失った白い肌。伸ばしっぱなしの黒髪が熱風で乱れる中、冷めた黒目が外を見つめる。

 闇に沈んだ町。おのれの暗く閉じた未来に似ていた。


 この地方ではよくあることだが、普通に考えると季節外れだ。

 あと数日で春だというのに、いまだに彼女は、冬という季節に閉じ込められたままでいる。


 そのとき何者かがドアを叩き、遅れてインターフォンが鳴った。

 渋々腰を上げ、玄関までやってきて、明かりをつける。

 扉を開けると見知った顔の青年が立っていた。

 栗色のコートが雪を被っている。まるで砂糖をまぶしたチョコレート菓子のようだった。

 彼は涼しい顔でこちらを伺う。おかしなことなどないというように、平然と。

 一方で青年を視界にとらえて、美冬はぽかんとする。


 彼を知っていた。名は秋人。

 面と向かって会うのは一年と数ヶ月振りだ。

 最後に見かけたときと比べて背が伸び、肩幅もがっしりとしている。薄い顔立ちの中に男らしさがにじみ出ていた。

 少し目を離しただけなのに、ずいぶんと雰囲気が変わっている。美冬にとっては、無限の間をこじ開けたような感覚だった。


「なんで来たの?」


 感慨を押し殺すように、ツンと問いかける。


「上京するって、言いにきた」


 秋人が端的に答えると、美冬はすぐに彼の言いたいことを、理解する。

 彼は東京の大学――秋人なら美術系だろうか――に受かって、春から通うことが決まった。

 すでに絵は極めただろうに、まだまだ勉強をし足りないらしい。


「止めても無駄だよ」

「止めるわけないでしょ。まさか、期待してたの?」


 ドライに切り捨てる。実際に止める気はなかった。彼ならば都会でも順応できるだろうし、不安はない。

 懸念があるとすれば青年がふたたび、一人になることだ。


 いいや。


 心に抱いた感情を否定するように。

 首を横に振って。


「今さらなによ」


 嘆くようにつぶやく。

 冷えた声は闇夜に薄れて、形を失った。

 青年は困ったようにはにかんで、おのれの気持ちを口に出す。


「君にだけは言わなきゃいけない。そう思ったんだ」


 真摯な目をしていた。


 以降は互いに口を開かず、静寂があたりを満たす。

 背景は暗く、雪だけが降り積もる。

 まるで滅んだ世界にたった二人だけが、取り残されたかのようだった。


「じゃあ行くよ」


 青年は背を向けた。

 階段を下りる。白いアスファルトの上に出た。傘を差して歩き出す。彼の姿は吹雪にかき消される形で、視界から消えた。


 追いかけなかった。

 美冬はたった一人、無機質なアパートに残された。



 部屋に戻ると窓際のベッドに、横になる。

 殺風景な空間に紅葉の匂いがちらついた。彼の気配を感じる。


 子どものころ秋人は何度も互いの家を訪れ、一緒に遊んだ。思い出すと懐かしさがこみ上げてくる。心が昔に引き戻されそうだ。


 それを皮切りに記憶の蓋が開く。


 頭をよぎった、こちらへ微笑みかける少年の顔。

 彼が遠く薄れて、消えていく。

 闇夜に紅葉が散った。


 二度と戻れない刹那の情景。

 急にむなしくなる。


 彼のせいだ。

 ベッドの上で眉間にシワを寄せて、曇った表情を隠すように、目の上に腕を横たえた。

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