一章 鉄の村 1

 半日ほど森をさまよって、僕達はようやく小さな村を見つけることが出来た。


 そこは猛毒の酸素から人々を守るためだろう、ドーム状の透明の天蓋に覆われていた。僕達が近づいていくと、やがてその内部から人が出てきた。防護服らしきものをまとった数人の男達だ。


「ケリフめ。もうこんなところまで来てるのか」


 彼らは忌々しそうにこちらをにらむと、銃を突きつけてきた。あの白い人々と同じだと思われたようだ。僕はびっくりして、あわてて何か言おうとした――が、当然声は出ない。


 すると、


「我々はケリフではない」


 ルカが男達に叫んだ。


「……本当か、それは?」


 男達は一瞬気を緩めたようだった。


 しかし、


「だが、こいつはどうだ。この髪と肌……ケリフそのものじゃないか」


 依然として僕のことを警戒しているようだった。僕はとりあえず、友好的な存在だとアピールするために、にこっと笑った。……ちょっと顔が引きつってしまったけど。


「これも私と同じだ。ケリフではない。そもそも、これは声を出すことが出来ない。歌えないのだ。無害だ」


 ルカは淡々と彼らに説明した。


 僕が口が聞けないということ、すなわち歌を歌えないということがどういうことを表すのかさっぱりわからなかったが、彼女がそう言うと、彼らは一応納得したようだった。銃を下げた。


「……わかった。詳しく話を聞こう」


 彼らは僕達を村に招き入れた。




 村のドームの出入り口は二重扉になっていた。そこをくぐり、なにやら得体の知れない白い粉を全身に浴びせられると、僕とルカは村の奥へ案内された。


 村はお世辞にも豊かなところではないようだった。建物はみな、平屋で、コンクリートの壁とトタンの屋根で作られていた。道は舗装されておらず、砂利道で、人や荷車などが無秩序に往来し、道端にはごみが積まれていた。建物と建物の間のごく狭い道では、子供達が錆びたバイクを囲んで遊んでいた。その身につけているものは、色あせたシャツや、擦り切れたオーバーオール、くたびれたゴムサンダルなどだった。


「小汚い村だろう?」


 やがて着いた一軒家で、一人の老婆が僕達に言った。そこはやはり、あまり立派でない作りの家のようだったが、清潔だった。そして、老婆はこの村の長のような存在らしかった。家の一番大きな広間に僕達を招くと、彼女は数人の男達を背後に従え、うやうやしく紅色のござの上に正座した。僕達もそれにならって、正面に並んで座った。


「さて、聞くところによると『外』をその格好で歩いてたそうだね? 話してくれないか、あんた達はいったい何者なんだい?」


 老婆は単刀直入という感じに尋ねてきた。もう七、八十くらいになるのだろうか。その頭髪はすっかり白く、頭皮が透けるほどに薄くなっていて、肌はシミと皺だらけだ。眼窩はくぼみ、鼻はかぎ状になっていて、口の下にたるんだ皮膚が垂れ下がっている。背はすっかり曲がっており、元々小柄らしい体がいっそう小さく見える。


「我々はケリフのなりそこないだ――おそらく」


 ルカは少し自信なさそうに答えた。彼女は素っ裸に僕のジャケットを羽織っただけの格好でござの上にあぐらをかいている。当然その太腿はむきだしで無防備で、この場の男達はみな目のやり場に困っているようだ。……もちろん僕も。


「なりそこない、かね。そりゃあまためずらしい」


 老婆は笑った。


「それで、またなんでこんな何もない村に?」

「我々は探している。我々のあるべきところを」

「はは。歳の割には難しいことを言うんだね、お嬢ちゃん」


 老婆はまた笑った。からりとした明るい表情だが、その眼窩の奥の瞳は鋭く光っている。僕達のことを訝しく思っているのだろう。無理もない。ルカも僕も変だ。僕は真っ白で、声もロクに出せない状態だし、ルカはルカで、おおよそ見た目のそぐわない話し方だし、下着も身につけてないような格好なのに、恥じらう様子もない。まるで、ごく普通の少女らしい感情を喪失しているかのようだ。


「あるべきところ、か。難し過ぎて、私らにもその答えはわからんよ。ただ、こんな辺鄙な村じゃないことは確かだと思うがね。ここにはろくな医者もいないし、大学や研究所といった立派な施設もない。あんた達を治療なり何なり、どうにかできる人間はいやしないんだよ」


「……そうか」


 ルカはその答えに首をかしげ、意見を求めるように僕の手を握ってきた。なら少しだけこの村で休ませてもらったら、と、僕はルカに伝えた。彼女はそれをそのまま老婆に話した。とたん、老婆は、ほうと息を漏らした。


「あんたは言葉がなくても、この男の考えてることがわかるのかい」


 老婆は、いや後ろの男達も、僕達の今のやりとりに目を丸くしているようだった。ルカはそんな彼らに無言でうなずいた。そして、きっと同じケリフのなりそこないというやつなのだから考えが自然と伝わるのだろう、と僕が考えると、それを読み取って口にした。


「そうかい。まあ不思議なことは一つや二つ重なってるもんだろうね」


 老婆はやけに楽しそうに笑った。


「じゃあ、通訳もいるようだし、せっかくだからそこの彼にも話を聞こうか。あんた達は、そもそもどこから来たんだい?」


 わからない、覚えてない、とルカを介して僕は答えた。


「記憶がないのかい。『外』の酸素に頭をやられたのかね? そりゃあ、不便なことだろう。何か知りたいことはあるかい? 婆あの年の功で答えられることなら、なんだって教えてあげるよ」


 老婆の瞳から警戒の色が消えた。僕のことを気遣ってくれているようだ。やさしい人なんだな、と、思うと、ルガがそれをまた臆面もなく口にした。老婆は「いやなに、婆あってのは、みんなこんなもんさ」と白い歯をむき出しにした。僕は照れ笑いを浮かべた。そして、ありがとう、と改めて伝え、ケリフのことを尋ねることにした。そう、あの白い人達、ケリフとはいったいなんなのか。この村の人はなぜ彼らのことをおそれているのか……。


 すると、


「人は死んでケリフになる。ケリフは歌ってケリフィンを成長させる。そういうことだ」


 ルカが答えた。


「そうさ。あれに歌われると、この村も終わりだからね。『外』のみどりを呼ばれちゃあ困る」


 老婆も補うように僕に説明した。


 この村も終わり、そう聞いて、僕のまぶたにあの街の幻影が浮かんだ。ケリフが歌うと、あんなふうにみどりがツルを伸ばして村を破壊しにくるということだろうか。


 しかし、それは一応納得がいくとしても、最初の答えだ。人が死んでケリフになるというのはいったいどういうことだ……?


「正確には、ケリフィンの胞子を吸った者は、死後ケリフになる、ということだ」


 と、ルカがまた勝手に僕の疑問を読み取って答えた。


 ケリフィンの胞子?


「そうだ。あれは葉状部から極小の胞子を放出している。それを人が吸った場合、生きている間は何も症状が出ないが、死後その者はケリフとなる」


「つまり、ケリフィンは人の死体に寄生するってことだね。そんで、自分に都合のいいもんに変えちまう」


 ルカに続いて老婆がまた補うように説明した。


 そうか、あの白い人達は一度死んで、あの森のみどりに体を乗っ取られた状態だったのか。少し理解できた気がした。


「まあ、知らないのも無理ないさ。あんたみたいな若造じゃね」


 老婆のその言葉に、僕ははっと顔を上げた。


 若造? そういえば、僕はいったいいくつくらいなんだろう? 僕は自分の年齢すら知らなかった。


「ああ、そうか。あんたは本当に何にも知らないんだね」


 老婆は僕の気持ちを察したようだった。後ろに立つ男の一人に目配せして、手鏡を持ってこさせ、それを僕に渡した。「ごらん、自分の顔を。結構な男前だよ」鏡をのぞくと、確かにそこには、よく整った、若い男の顔が映っている。年のころは十六、七くらいだろうか。びっくりするほど白い肌と髪に、切れ長の赤い瞳の、まだ少年らしい幼さをいくぶん残した男の顔だ。


 これが、僕か……。


 思わず、まじまじと見つめた。試しに片目をつむると、鏡の中の男も同じように片目だけつむった。うん、これは僕の顔に間違いないようだぞ。納得しうなずくと、やはり鏡の中の男もそれを真似した。老婆がくすりと笑う声が聞こえた。


「お嬢ちゃんも自分の顔を見てみるかい」


 さらに老婆はルカにその手鏡を渡した。


 しかし、それをのぞいた瞬間、


「……っ!」


 ルカは急に眉根を寄せて、それをつき返した。まるで何かとても不快なものを見てしまったかのように。


 どうしたんだい?


 僕はルカの手を握って尋ねた。彼女はうつむいたまま小さく首を振った。


「……お前は……何者にもなれない。ただ……涙を流すだけ……」


 え?


「銀色の……フクロウが……そう言ったのだ……」


 その声はひどく弱々しかった。






 それから村人達は僕達に部屋を用意してくれた。とある建物の地下にある、冷たい石壁で囲まれた狭く暗い部屋だった。


「悪いね。普通の宿にあんたたちを置いておくわけにはいかなくてね」


 老婆は毛布や着替えなどを男達に持って来させながら、僕達に話した。


「ケリフって名前を聞いただけで、おびえる連中もたくさんいるんだよ、この村には。だからまあ、ここで少しおとなしくしててくれないかね。ここならとりあえず、あんたたちがまかり間違って歌いだしても地上までは聞こえないし」


 老婆は石壁を骨ばった指で叩いた。相当分厚い壁のようで、それぐらいではほとんど何の音も鳴らなかった。


 なるほど、わかったよ。


 あまりいい気分ではなかったが、僕は老婆にうなずいた。彼女はそれからパンとスープを持ってこさせ、ランタンを置いて地下室を出て行った。その去り際、扉が閉まると同時に、外からガチャリと錠のかかる音が聞こえた。


 まるで囚人扱いだな。


「仕方のないことだ」


 ルカは特に何も感じてないようだった。部屋に灯りらしい灯りは老婆が残していったランタンしかなく、その頼りない光が彼女の美しい面をぼんやりと照らしている。


 とりあえず、食べようか。冷めないうちに。


「……ああ」


 僕達は用意されたパンとスープに手を伸ばした。僕達はここに来るまでの間、何も口にしてなかった。いわば、ここに来て、ようやく人間らしい食べものにありつけたと言える――が、


 うーん、これは……。


 僕はスープを一口ふくんで、思わず顔をしかめてしまった。それはしょっぱいだけで、お世辞にもおいしいと言えるものではなかった。具もやたらと筋張った肉が少し入っているばかりだし。


「ライム、どうした?」


 ルカが不思議そうにこちらの顔を覗き込んできた。いやあ、もうちょっとおいしいものが食べられたらよかったかなって、と、僕は彼女の手を握りながら答えた。


「……つまり、これはお前にとって好ましいものではないのか?」


 ルカはなぜだかますます不思議そうだった。その桜色の唇の端にはスープがほんの少しついている。


 ルカ、君はこのスープがイケると思うのかい?


 なんだかよくわからなくて、聞き返した。すると、彼女は少しうつむいて、


「私には、味、というものがよくわからないようだ」


 と困惑気味に答えた。


 味がわからない? 味覚がないってことかい?


「ああ、おそらく……」


 食べても何も感じない? このスープって全然おいしくない……っていうか、相当まずい部類に入ると思うんだけど。


 僕はこれみよがしにスープを口にふくんで、味わって、めいっぱい嫌な顔を作ってみせた。ルカも真似をするように続いてスープを口に運んで、味わった。しかし、その表情は何も変わらなかった。


「やはり、わからない」


 やがて彼女は首を振った。


 そうか。まあ、どうせまずいし、わからないほうがいいだろうね。


 僕は彼女の手を握り、こう伝えた。しかし、実のところはかなりショックだった。だってこんなにまずいスープなのに、それがわからないなんて。そばにいるはずなのに、ルカがすごく遠くにいるような気持ちになった。


「わからないことが、それほど重大か?」


 と、ルカが僕の心をまた勝手に読んだようだった。手を握ったまま考えごとをするんじゃないな。僕はあわてて首を降った。なんでもない、気にしないで。


「……しかし、お前には、これらの味はよくわかるのだろう?」


 そうだけど、わからなくても別に――。


「ならば、私にもわからないとおかしい。我等は同じケリフのなりそこないなのだからな」


 そう独り言のようにつぶやくと、ルカはふと何か思いついたようだった。自分の皿のスープをスプーンに取って、いきなり僕の口に突っ込んできた。


「よく味わえ」


 ?? い、いったい何事……?


「こうすれば私にも、あるいは……」


 と、今度は僕の顎を両手でつかんで自分のほうに引き寄せた。そして――キスしてきた。


「……!」


 僕はびっくりした。ルカの舌が口の中に入り込んできて、スープを絡めとるように吸い取っていく。その体はぴったりと僕のほうに寄せられて、小さな胸のふくらみの奥から規則正しい鼓動が伝わってくる。


 やがて、


「うむ、これは、まずいな」


 何か納得したようにルカはつぶやいた。僕の顔のすぐ前で。


 今ので味がわかったのかい? どぎまぎしながら尋ねると、「……おそらく」と、彼女はあいまいにうなずいた。


「お前の手を握れば、お前の考えていることはわかる。だから、こうすれば、お前の感じていることもわかると思ったのだ」


 そうか! なるほど……!


「というわけだ。お前は私の舌になれ」


 と、ルカはさらにスープを口に突っ込んできた。そしてまた唇を重ねてきた。僕はやはり、目を白黒させずにはいられなかった。ルカの体はあたたかく、ルカの濡れた唇はとてもやわらかかった。それが僕のそれと重なるたびに、眩暈にも似た恍惚とした感覚を覚えた。


 ルカはしばらくそうやって僕の口からスープを飲んだ。まるで雛鳥に食べ物を与える親鳥になったようだった。僕はルカが「まずいな」と言うたびにひたすらうなずいた。うん、これはまずいスープに違いないんだ、と。……じつのところは味なんてもう全然わからなかったし、おかわりがほしくてたまらなかったけれど。


 やがて、そうやってスープとパンを完食すると、ルカは僕の体にもたれかかってきた。なんだか眠いようだった。僕は毛布をその体にかけた。疲れてるんだろう、今は休んで、と、手を握って伝えながら。


「疲れて? 私が……?」


 ルカは自分の体の状態を把握してないようだった。いかにも眠たそうな目つきで聞き返してきた。僕はそうだよ、と念を押した。


「そうか。私は疲れているのか。お前が言うのだからそうなのだろうな……」


 ルカはそうつぶやくと、僕の肩にも毛布をかけてきた。


「お前と私は同じだ。私が疲れているのなら、お前も疲れているのだろう、違うか?」


 ああ、そうだね。


 僕は笑って、一緒に毛布にくるまった。


 少しして、隣から安らかな寝息が聞こえてきた。






 それからしばらくして、先程の老婆が戻ってきた。何の用だろう? 僕は顔を上げた。


 すると、


「なあに、今のうちに若いモンの精気を吸っておこうかと思ってね」


 歯を剥き出しにして、老婆はにたりと笑った。薄暗い地下室の中で、その顔はとても不気味にゆがんで見えた。僕はたちまち震え上がった。


 しかし、


「はは、そう怖がりなさんな。冗談だよ。少しあんたたちと話がしたかっただけさ」


 老婆は大きく笑った。僕はほっと胸をなでおろした。


 でも、この人と話すったって、どうやればいいんだろう? 通訳のルカは僕の隣で安らかに眠っている。


「難しいことじゃないさ。……読み書きはできるんだろう?」


 と、老婆は懐から紙の束とペンを取り出した。はっとした。そうか筆談か。それなら……。


「お嬢ちゃんは寝てるんだね。起こしちゃ悪いし、外に出ようか」


 老婆はそう言うと、自分の肩にかけていた革のマントを僕に放った。


「フードがついてるだろう? あんたの白い髪は目立つからね。それを頭に被ってるんだよ、いいね?」


 僕は『わかった』とメモ紙に書いて渡し、言われたとおりにマントを羽織ってフードを頭に被った。それは生暖かくて、ちょっぴり臭かった。


「じゃあ、おいで。軽く村を案内しよう」


 僕達はそのまま地下室を出た。

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