「ねえ、ライアー」

 


 学校は騒然となった。

 一体何があったのか。あの少年は、何を思ってあんなことをしたのか。少なくとも、このクラスに目的があったはずだと学校全体と警察まで巻き込んで、調査が行われた。誰かに怪我をさせたというわけではないが、小さな枠組みでは収まらない話だ。一人ひとり教室に呼び出されて、事情を尋ねられたときに、仕方がないと俺は事実を適当に湾曲させた。


 ――――彼がカンニングをしていると知ってしまった。そのことを黙れと脅されて断ったから、怒らせた。


 そう説明した。疑われはしたが、証拠はスマホのメール部分だ。まさかそれを消す暇はなかっただろう、と考えての言い訳だったが、その通りだったらしく、芋づる式でメールの送信者である少女まで調査は伸びて、主犯の今回の騒ぎを起こした王子は、実質停学に近い状態で、出席停止の処分になった。婚約者であった女はそれほどの重い処分はなかったが、カンニングをしていたという噂はすっかり学年全てに回っていた。


 そうしてわかったことだが、王子が金持ちの家の子であるということは真っ赤なウソで、至って平凡な家庭だったらしい。学力テストも、嘘の努力の賜物だった。悪花の後釜の婚約者は、過去の自身の容貌を求めて、王子に付き従った。そうすることで過去に戻るわけでもないのに、美しくあった自身を捨てきることができなかったのかもしれない。彼ら二人は未だに過去の中で生きているのだろう。




 それからすっかりヒーローのようになってしまった野球部の天狗の鼻も、そろそろ伸びる勢いが収まる頃、俺はお姫様に、「渡したいものがあるの」と帰り道に声をかけられた。丁度近くには公園がある。彼女はお転婆にブランコをこいだ。それから、彼女が、“悪花”であったときの記憶を持っているのだと、そうきいた。


 正直、しんそこ驚いた。びびってしまって、必死で心臓を抑えた。でもそんな顔は見せまいと唇を噛んだ。そして、彼女は王子と、その婚約者のことも、この騒動ですっかり知ってしまっていた。


(王子は、もういないんだ)


 だから俺は、全てを忘れて彼女に幸せになって欲しい。そんな未来を望んだ。あんたを助けることもできなかった、情けない男だった。だから今度こそ、こんな男の目の前から消えてしまって、あんたの王子様を見つけてほしいと、そう必死で願ったのだ。


 お姫様は、「えいや!」と言いながらブランコから飛び降りた。大丈夫か、と慌てて手が出そうになったけれど、そこまではお節介だ。首を振って視線を逸らした。「渡したいものなんですけど、すっかりお返しが遅くなりまして……」 申し訳無さそうに、彼女は紙袋を取り出して、俺に渡した。いつかの帽子だ。


 そのときの自分の行いを思い出して、少し顔が熱くなってしまいそうだが、深くまで言うことをやめて、口をつぐんだ。「わざわざ悪いな。受け取った」 それだけ言って、踵を返した。そのときだ。「あなた、兵士さんですよね」 彼女が俺にそう告げた。



 転生者は目を見ればそうだとわかる。

 そう、王子は言っていた。お姫様も、彼女であった記憶を持っていた。それなら、俺が役立たずな兵士であることも、ずっとわかっていたはずだ。あまりの情けなさに苦しかった。けれども、素知らぬふりをしようと決めた。彼女が俺を恨んでいるのなら、もちろん仕方のないことだ。それでも俺はこの形を崩せない。あんたには、昔とは関係なく、力いっぱいの幸せを掴んで欲しい。



「私、あの場にいたんです」


 背中越しの声だ。


「あの場、王子様と、兵士さん、二人がいた空き教室。私、美化委員ですから、ちょっとの時間で点検をしようと思っていたんです。そしたら、絶対に人はいてほしくはないって言っている声が聞こえて、びっくりして隠れてしまって」


 あのとき、掃除道具がなぜだか散らかっていた。それから、誰かいないか確認をしろと言われて、面倒で、適当に返事をした。美化委員、という言葉は、以前にも言っていた。

 王子との会話を思い出す、ぞっと指先から冷たくなった。あまりのことに、崩れ落ちてしまいそうで、恐ろしかった。



 逃げ出してしまいたかった。

 彼女が、どんな顔をしているのか、知りたくなんてなかった。それでも足が縫いつけられたように動けなくて、体中が震えた。怖かった。「兵士さん」 お姫様が近づく音が聞こえる。殴られて、罵声を浴びせられるのだろうか。なぜ見殺しにしたと、そう告げられるのかと。「彼女は、あなたのおかげで幸せでした」


 告げられた言葉は、まったく理解ができないものだった。



 ゆっくりと振り返ると、お姫様はひどく泣きそうな顔をしていた。そう思ったのは一瞬で、すぐにいつもと同じように、ゆったりとした口調で可愛らしい声を紡いだ。


「彼女は、あなたが来てくれることをいつも心待ちにしていたの。それがいけないこととわかっていたから、何も言えなかったけれど、あなたが来てくれた日は、彼女にとって“良き日”だった。神様へのお祈りは、半ば意地みたいなものだったけれど、兵士さんがいてくれたから、いつの間にか、本当にそうなったの」


 言葉が追いついてこなかった。喉の奥にひっついて、何を言えばいいのかもわからない。


「とても、とても幸せだったけれど、彼女には少しだけ後悔があったの。死ぬ間際に、祈ったことはただ一つ。あなたの名前が知りたかった。聞けばよかったのに、勇気がでなかった。そのことに、後悔したわ」


 彼だってそうだった。悪花の名を知りたかった。知ったのは、彼女が死んでしばらくのことだが、呼ぶ相手もいないそれはひどく味気ないものだった。「ねえ、名前を教えて」 ほてりと笑った彼女に、小さく呟いた。


「……ライアー」


 ひどく、久しぶりの響きだった。気づけば、崩れ落ちていた。地面に座り込んで、彼女を見上げていた。彼女は、ゆるゆると優しく俺の頭を撫でた。「ねえライアー、もしかすると、あなたは私が死んだとき、泣いてくれたのかしら。ちょっとくらい、抱きしめてくれた?」 ああ泣いたとも。息が切れるぐらいに泣いた。おかしくなるくらいに泣いた。悲しくて、悲しくてたまらなかった。「頑張ったのね」 抱きしめられた。だから、俺も力いっぱい彼女を抱いた。


 気づけば、互いに堪えきれない涙を抑えることができなくて、声をあげて泣いていた。ぼろぼろと、涙ばかりがこぼれて、情けなく声を上げた。





 この生は、決して過去の延長ではないけれど、君にまた出会うことができた。そのことがただただ愛しくて、たまらなかった。










 ブレザーの少年と、少女がいる。

「あんた、ふらふらするなって。危ないだろう」

「危なくなんてありませんよ。こんなに歩道でガッチリガードして、一体何があるっていうんですか」


 ぷんぷんと、少女は自身よりも高い背の少年に怒っている。「何があるかわからねえよ。たとえばあんたがころんだり、ぶつかったり」「しませんよ、子供ですか!?」 心配性なのはほどほどにしてほしいところだ、と思いはしたものの、実際のところ、どこかくすぐったくて嬉しくなる。


「じゃあこうしましょう。手をつなぎましょう。そしたら、安全、安心です」

「……手」

「はい」

「……手か」

「はいどうぞ」


 ちょい、と片手をあげてみた。少年はそんな彼女の仕草を見て、じわじわと顔を赤らめて、すっかり固まっている。「いや、どれだけ照れてるんですか!?」 以前の方が、絶対にマシだった、と叫びたくて仕方がない。


「私達、お付き合いしてるんですよね!? というか手くらい前にちょっと握りましたよね!? なんなんですかその初々しい反応は!」

「いや、まあ、そうなんだけど、実際付き合うとなると」

「なると」

「あんた、お姫様じゃないか……」


 さすがにちょっとずっこけた。「違いますよ! というか、いい加減名前で呼んでください! 私はちゃんと平凡な一般人です!」 というか過去でもお姫様だったことは一度だってないのだが、それはさておき。


「わかってる、わかってるんだけどな、ああ、なんていうか、くそ」


 どうにももどかしく、彼は必死で言葉を探した。「あんたは、とにかく、これからもずっと俺のお姫様なんだよ。だから、いきなり付き合って、手を握れって言われたら妙な考えが湧いてきて、わけがわからなくなるに決まってるだろ!」 ちなみに自分の方がよっぽど恥ずかしい言葉を言っていることに気づいていない。


 彼女は少しぐらついた。思春期がから回っていると思っていたけれど、まさかこれほどとは。しょうがない、じわじわやっていくしか無い、と諦めてそのまま目的地に向かおうとしたときだ。決死の思いで、彼が彼女の手を掴んだ。ひどく大きな手だった。


 そう考えると、彼女だって恥ずかしくなって、耳の後ろが痛くてたまらない。彼だってそうだ。口元を引き結んで、真っ赤な顔をしたまま、互いにぴたりと固まった。そうしてしばらくしていると、不思議とおかしくなってきて、二人一緒に笑ってしまった。



 彼らの生は、決して過去の延長ではないけれど、これから幸せを紡いでく。二人で、たくさんの花束を作って、生きていくのだ。それこそ、腕をいっぱいにして。ねえ、ライアー。花をちょうだい。




 腕いっぱいのたくさんの幸せを詰め込んでね。

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ライアー、花をちょうだい 雨傘ヒョウゴ @amagasa-hyogo

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