過去と、交わる。


「……あ?」



 思わず素の声が出てしまった。「今生でも、一生をかけて俺に仕えろ。いいか、これは命令だ」 命令と言われたところで、何を言っているんだと首を傾げるしかないのだが、自信満々に声を出されると、どうしたものかと困ってしまう。



「仕えろ、と言われてもな……。というか、何を手伝えって言うんだ?」



 俺を手伝う義務がある、とそう男は言っていた。王子はふん、と鼻の穴を嬉しげに大きくさせた。「それはもちろん……」 そう言ったところで、自身のポケットに手を入れる。それからにまりと口元を緩めた。どうやらメールの着信を確認しているらしい。「これだ。あいつがとってきた」 あいつ、というのは新しい婚約者のことのようだ。送信者に名前がのっている。男はスマホの画面をこちらに見せた。添付された、写メでとったらしい画像を見て眉をひそめた。



「おい、これ……」

「このあとにある、小テストの画像と答えだ。教師の目を盗んで写真にとってくるように指示しておいた」



 つまりはカンニングだ。あんまりにも頭が痛くなった。「期末のテストとなると難しいが、これくらいなら扱いもずさんだからな。簡単だよ」 慣れた口調のところを見ると、一度や二度の犯行ではない。



「お前にもこれを手伝ってもらいたい。あいつ一人じゃ心もとないからな。二人なら確率もあがるだろう」

「いやあんた、成績いいんだろ? そんなことしなくてもいいだろ」



 何回も上位に名前を重ねているし、噂にはあまり興味のない俺の耳にまで、金持ちだと入ってくるくらいなのだ。真面目に勉強をする機会など、いくらでも作れるに決まっている。



 単純な疑問の声だった。けれども男は、そんな俺の言葉をきいて、カッと顔を赤くした。「なぜ、理解ができない」 苛立って、地団駄を踏んでこちらを睨む。



「俺は、王子だぞ。全部を持っているんだ。今までそうやって生きてきた。取りこぼすことなんてできない!」



 そんなそいつの叫びをきいて、ひどい違和感に襲われた。

 王子は、未だに前世にとらわれている。



 きっと俺は、人のことなんか言えない。お姫様は、俺にとって今でもお姫様で、守るべき存在だ。けれども彼女はすでに別の人間だ。彼女はここではただの女の子で、家に帰れば、普通の家庭があって、貴族の暮らしも、立派な家もどこにもない。悪花は死んでしまったのだ。



 俺だってライアーでもなんでもない。ありきたりの中学1年生で、夏休みの宿題を最後にためて行うような、ただのガキだ。



「……しょうもねぇ」



 王子を、ひどく哀れに感じた。立派すぎる前世にとらわれて、現状を受け入れることもできず、ふわふわと宙で足踏みを繰り返している。「悪いけど、んなこと手伝えねぇよ。勘弁してくれ」 二回目の断りだ。こっちはとっくに現実を生きている。まあもともと、ライアーであったとしても、悪花を裏切った男に手を貸す謂われはないわけだが。



 可哀想な男だった。そろそろ休憩が終わってしまう。まともに飯も食ってない。それじゃあな、と片手を振って今度こそと去ろうとした。そのときだ。「……お前の、その目」 地を這うような声だった。「そうだ、その目、見覚えがある。俺は、お前を知っている……」 わなわなと、王子は震えていた。そうして、金切り声を上げた。



「お前は、俺を殺した男だな……!!!」



 怒りに染まった声だった。そんな男を、俺は冷たく見下ろした。



「殺した覚えはねぇよ。殺された覚えならあるけどな」





 ***





 結局ライアーは、何もすることができなかった。

 死んだ悪花の体を抱きしめて、馬鹿みたいに泣いた。細い体を抱きしめる度に苦しくて、自身の行動を悔いた。彼女が自身にとってのお姫様であったのだと、そのときやっとこさ気がついた。情けなかった。なぜ彼女が死ななければいけなかったのか。名前すらも知らないこの女の悲しみを、ただの兵士は必死に調べ上げた。そうして、女が死んで、ようやく彼女の名を知った。あまりにも虚しかった。



 盛大なパレードが開かれたのは、そのすぐ後のことだ。



 王子と、新しい婚約者を祝う、にぎやかな祭りだ。でかい車の上に乗って、彼らは微笑みながらライアー達に手を振った。ただの兵士であるライアーが、男に会うためにはこの日しかない。そう彼は知っていた。武器なんていらない。ただ祭りの最中に、ライアーはとにかく力の限り、叫んだのだ。



『あの男は、一人の女を殺した!!!!』



 権力で握りつぶされた、捻じ曲げられた情報を、できる限り、正しく伝えた。ライアーが言葉を発する度に、華やかで、にぎやかだったはずの祭りが遠くなる。彼は何もできなかった。ただできたことは、理不尽を叫ぶことぐらいだ。こんなことは、何の意味もないことなどわかってはいた。けれども叫ばずにはいられなかった。彼女の死が、ないものとして消えてしまうことが許せなかった。



『あ、あの男の口を閉ざせ! 捕らえろ!!!!』



 王子の命令で、あっという間にライアーは捕まった。そうして、彼は処刑された。





 ***





「うまいもんだったな。首を切られたのはあっという間だったよ」



 首元を触った。王子が青い顔をしてこちらを見ている。まるで死人を相手にするようだが、結局全員死んでいる。死の間際まで、ライアーは王子の不正を叫び続けた。



「というか、あんたもあのあとすぐに死んだんだな。俺に殺されたってのはわからねぇけど、おおかた、身から出た錆が積み重なったんじゃないか? ついでに婚約者もまとめて殺されたか」



 悪花は身分のある女だった。いくら彼女は政治が苦手だったとしても、好き放題するには限度がある。今のお姫様の誕生日と、俺の誕生日は、俺たちが死んだ日にちの差と、ほぼほぼ同じだ。そして王子とその婚約者が、死んだ俺たちと同い年ということは、間を開けず、無能な世継ぎとしてひっそりと消されてしまったのだろう。



 この男が過去の栄光を求めようとしている理由が、わずかばかりにわかったような気がした。力もなく、消されてしまった男とその婚約者だ。今度こそはと身分と力をがちがちに固めて、続きではない生を必死にあがいて生きている。心底哀れだ。



「なあ、俺達は死んだんだ。前を向けよ。いい加減、新しく先に進め」



 ライアーであったときから、楽しげにパレードで手を振るこの男に、憐憫の目を向けていた。ハリボテの幸せに手を伸ばして、へらへらと笑うこの男がどうしようもなく哀れだったのだ。





 王子は震えた。「う、うるさい……」 放り出された掃除道具に、ゆっくりと手を延ばす。長いホウキの柄を持った。「うるさい、うるさい、この兵士ふぜいが、俺に口答えするな!」 真っ直ぐに、振り下ろされた。だから言い返してやった。




!」




 鼻で笑い飛ばしてしまいそうになるほど遅い動きだ。弾き落として、腹に一発入れるのはあまりにも簡単で、弱すぎる。


「あんたがあっちの延長で言うんなら、俺も言わせてもらうが、が俺に何をするってんだ? あんたにあったのは身分だけだろ。生まれ変わってみれば、そんなもん関係ねぇ。そんならこっちの方が十分に有利なんだ」



 少なくともこいつは、剣を握ることも数えるほどな、弱っちい王族だった。拳を出せば、こちらの方が圧倒的に強いに決まっている。



「いいか、あの子には手を出すな。次にあの子に何かしでかそうもんなら、てめぇのその顔面、ほくろだけ残してボコボコにしてやるよ」



 嘔吐きながら崩れ落ちる王子を見下ろした。そっちがそんな手で出てくるってんなら話が早い。ボキボキと手を鳴らしてドスをきかせる。ひっ、と王子は震え上がった。別に弱い者いじめをしたいわけではない。ため息をついて、「そんじゃ、そういうことで」 すっかりチャイムがなっている。慌てて教室に戻った。同じように幾人の生徒が椅子に滑り込んで、ゆっくりと教師がやってくる。いつもの光景を見ながらも、さっきまでの行いを思い出した。頭が痛くなって、机の上に崩れ落ちるのと、同時だった。



 ああ、うああ、ああああ



 どんどん悲鳴が近くなる。真っ赤に目を血走らせた王子が、扉を開けたのはすぐのことだ。



 そいつは、はあはあと息を荒くさせて、俺の姿を探していた。ちっぽけな自尊心を踏み躙られて、すっかりおかしくなった男がいた。「きみ、自分の教室に戻りなさい……わあ!」 教師が悲鳴をあげて後ずさった。王子の手には、とてもちっぽけなナイフを握っている。人をどうにかするにはあまりにも心もとないナイフだが、教室は騒然となった。



(どうしたもんか)



 扱いにも慣れていない、そんな様子だ。制圧は簡単だが、下手に目立ちたいわけではない。王子は必死に俺を探していた。「殺す、殺す、殺す、殺す、殺される前に、殺す!!!!」 すっかり彼は歪んでいた。前世では、彼は絶頂の中にいたはずだ。なのにあっさりと死んで、力もない赤子になってしまった。だから次こそはそうなるまいと、情けなくも小さなナイフを仕込んでいたのか。しょうがねえ、と立ち上がって近づこうとしたそのときだ。



 王子の頭に、ぽかりと真新しい筆箱が当たった。



 坊主の、ときおり絡んでくる野球部だ。顔を真っ赤にして、口元を引き結んで、ぶるりと震えた。それから机の上の教科書を、同じく思いっきり投げつけた。「う、わあ!」 王子の体にぶつかった。でも小さな衝撃だった。それでも、王子は怯んだ。「早く!」 野球部が叫んだ。びくりと、幾人かが震えた。すぐさま別の少年がそれに続いた。一人、二人とどんどん増える。わあ、わあ、と生徒たちは恐怖のあまりに声を出して、それでも彼に教科書を叩きつけた。てんでバラバラで、コントロールも悪く黒板にぶつかるものもある。



 体操着やら、上履きやら、なんでもかんでも投げられた。「ひ、ひいっ……」 けれどもいつの間にか王子はちっぽけなナイフを落として、頭を抱えてその場にうずくまった。そうして、彼は騒ぎを聞きつけた教師に連れ去られていったのだ。

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