花を枯らした男。
「ねえ、名前も知らないっていうの、嘘なんだろ」
わざわざ呼び出されてそれだ。そいつの名前は聞き覚えがあった。金持ちだとか言う噂をきいたことがあるし、テストの上位の一覧に、いつも貼り出されている。話したいことがあると言われて、俺にはねぇよと欠伸をついたそのときだ。「俺に会ったことがあるだろう」 楽しげに細められた瞳を見て、ひどく胸がざわついた。
「君は、俺と、あの子と同じなんだね?」
男の視線の先では、お姫様が楽しげに笑っている。
「その顔を見ればわかるよ。とりあえず、今日のところは君に用があるんだ。昼休み、もう一度呼びに来るよ」
まるでたちの悪い冗談のようだ。
こいつは悪花を裏切った男だ。つまりは彼女の、元婚約者だ。「見たところ、君は俺のことがわかるみたいだ」 王子としての顔を未だに作って、優雅に笑いながらも廊下を歩く。こっちのことは見向きもせずに、俺の前に立っている。
「誰もいない教室がいいな。なあ、その部屋はどうだい」
「知らねえよ。いねぇんじゃねぇの」
面倒で適当に返事をすると睨まれた。「真面目に確認してくれ。絶対に人にいてほしくはない」 自分ですればいいものを、なぜだかこいつは未だに王子ぶった言葉を吐く。「はいはい、いないいない」 がらりと扉をあけた。使われていない空き教室だ。部屋が余っているらしく、端っこには掃除のロッカーがあるものの、机と椅子の数が少ない。
俺と王子は適当な机に座った。こうして、涙ボクロのある男と向き合うと、まるで悪夢のようで、ひどく頭が痛くなる。ただ生まれ変わった人間が、彼女と俺の二人だけということはありえないようにも感じていた。そんなうまい話があるわけがない。
「改めて伝えるけれど、俺は王子だ。君のことはどこかで見た覚えはあるきがするけど、それがどこかはわからないな」
「……ただの兵士だ。王子様が、俺の名前を知るわけがねぇ」
「ああ、どうりで」
言葉を聞くと、ひどく尊大にそいつは鼻から息を吹き出した。「なんだ、平民か」 人を小馬鹿にしたような笑みだ。「お前はわからなかったかもしれないけれど、転生者は目を見ればそうだとわかる。お前のクラスの彼女は、俺の婚約者だ。合唱祭で気づいたよ。なんでもっと早く気づかなかったのか」 さっきまで君、と呼んでいたくせに、すっかりお前に変わっている。ひどくわかりやすい男だった。
「……元、だろ」
「そんなことはどうでもいいよ。彼女にも記憶はあるのかな。うちのクラスにも一人、転生者がいるんだ」
いくつか気になる話題があった。「ちょっと待て」 お姫様に、お姫様であったころの記憶があるだなんて考えもしなかった。忘れていて欲しい。そう願っていたからなのかもしれない。今の生を、幸せに生きて欲しいのだと。「お前のクラスにもいるのか? そいつも、過去を覚えているのか」「ああ、もちろん」 誰だと問いかけて、きいた名前に愕然とした。そいつは悪花の後釜として、婚約者に成り代わった女だ。その上、そいつにも記憶があるのだと。
「あいつも、俺を王子だとすぐに気がついたからね。よく使わせてもらっているよ」
悪意のある言葉だ。「あんたとそいつは知らないが、彼女は何も覚えていない」 吐き捨てた。とにかくお姫様をこいつらから引き離したくもあっての言葉だったが、目を見るだけで、互いがわかるのなら、今まで俺と彼女は同じクラスにいるのだから、恨み言の一つでも叩きつけられているはずだ。なんていったって、ライアーは彼女を助けることができなかった。ただ彼女がやつれて死んでいく声ばかりをきいて全てを終わらせた、何もできやしない男だった。
だからお前は関わるな。そう告げたつもりだ。王子はそんな俺の言葉に気づきもせず、「へえそうか。そんなパターンもあるのか」と、面白げに顎をひっかいて口元を笑わせている。面白いことなんて何もない。
「だいたい、クラスに新しい婚約者がいて記憶もあるんだろう。振った女に関わる必要があるか?」
自分で口にしながらも、ひどく腹立たしい言葉だったが、仕方がない。王子は軽く肩をすくめた。「ふっただなんて、そんな人聞きの悪い」 こいつは民の情報を捻じ曲げた。だからこその態度だったのだろうが、俺は全部を知っている。悪花が消えた後、ライアーは血反吐を飲んで、全てを調べ上げた。彼女の理不尽を知った。
「彼女とは、そう。縁がなかっただけだよ。それに新しい婚約者と言っても、以前の顔と体が引き継がれるわけじゃない。昔と同じように髪型だけ似せても滑稽なだけだ」
後釜の婚約者は、髪を高い位置で二つにくくっていた。王族の婚約者としてありえない髪型だと囁かれていたが、女は好き勝手に生きていた。その髪型が、球技大会のとき、隣のコートで怒鳴りつけられていた少女の後ろ姿とかぶった。もしかすると、あのとき叫んでいた男もこいつだったのかもしれない。
つまりだ。こいつは、昔の女が昔よりも好みの顔ではなくなったから、新しい彼女に鞍替えしたい。そう言っている。
「……無茶苦茶だ」
「そうかな。でも記憶がないのなら残念だな。俺のことがすぐにわかればいいのに」
そうすれば、なんとでもなると思い込んでいる。「話がそれだけなら、力にもなれないみたいだからな。俺は退散させてもらう」 本当のことを言うと、胸の中は荒れ狂って、とにかくお姫様を守らねばとまるでおかしくなりそうだった。けれどもそんな顔を見せるわけにもいかない。せめて興味のないふりをして、後々のことを考えなければ。
「ちんたらしてたら昼休憩が終わっちまう。それじゃあな、王子様」
「待ってくれ」
だというのに、引き止められた。
「お前は、あの国の兵士だった。間違いないな?」
「……さっきそう言っただろ」
「だったら」
なぜだか自信ありげに、男は自分の胸に手を置いた。
「お前は、俺の部下だ。そうだろう? ならば俺を手伝う義務がある」
だから何を言っているんだ。
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