6 第81話 追憶

 ナギが甘えるように膝に頭を乗せる。その柔らかな首元を撫でながら、サナトはぼんやりと工房を兼ねた部屋の中を見渡した。


 火床ほどの炎に焼かれ、赤々と輝く石。

 棚に積み重なる鋼玉や鉱石たち。

 使われること無く立てかけられた武具や防具。

 生まれ変わる時を心待ちにしている数々の精霊が、イゴールの働きを見つめ、期待を込めて囁きあっている。

 すすけた工具が積み重なり、決して整った部屋というわけではないが、サナトには希少な宝の山を眺めているよう感じた。と同時に、里での小さな作業部屋を思い出す。


 サナトがまだ幼い頃、育ての親のサナカは、よく夜更けまで細々とした魔法の品を作っていた。

 器用な指で魔法のように針金を編む。形を整える。

 輝く鉱石に宿る精霊たちが自由に力を発揮できるように、武具や防具に備えていく。その殆どは深淵の森の外で暮らす村人たちの依頼によるものだったから、手元に魔法具を残すことは無かったが、サナトは憧れの目で見つめていた。


 城のきらびやかな部屋も悪くは無い。

 けれどやはり、こじんまりとした小さな部屋で、目の前にある物たちを磨き、加工し、新たな形へと生み直す。その工程に流れる穏やかな時間がサナトは好きだった。

 もしあのまま森を出ることが無かったなら、サナトは今も里の小さな家で薬草を調合したり、家畜や森の樹々の世話をしながら暮らしていただろう。


 ナギが頭を上げた動きに顔を向けると、アーニアが両手に干し肉と果物を持ち、間近で顔を覗き込んでいた。

 少しの時間ながら、うとうとしていたようだ。


「イゴール殿が鼠を使いにして、地上で待つ者たちに無事を報せてくれたそうだ。詳細までは伝えられずとも、我らの無事さえ知れば心配することも無かろう」

「そうか、よかった」


 一人きりではないとはいえ、一国の姫を側で護衛できないファビオたちは、ひどく心配しているだろうと思っていただけに安心した。


「これを、少し分けてもらったのだが……疲れているようなら食事は後にするか?」

「大丈夫だ。頂こう」

「やはり疲れていたようだな」

「情けない話だ」


 たかだか、一体の妖魔を倒し澱を戻しただけだというのに。


 アーニアは召使いに囲まれて育った姫とは思えない程、先程からあちこち歩き回って働いている。遠征が多いからなのだろうか。それともじっとしていられない彼女の性格なのかも知れないが、強靭な精神と肉体に称賛を送らずにはいられない。

 ナギを挟んだ隣に腰を下ろしたアーニアは、手にした干し肉をサナトとナギに手渡した。

 尾を盛んに振るナギは、嬉しそうな顔で薄い干し肉に噛みついている。


「イゴール殿の話そのままに受け取るならば、人の身では到底成し得ないことをやったのだ。負担は多いだろう。そんなことを今更ながらに実感するとはな」


 どこまでいけば限界なのか、サナトとて明確に把握しているわけではない。


「ニノは無事だろうか」


 地上で澱を戻した時のことを思い出し、サナトは呟く。

 アーニアは優しく微笑んだ。


「魔法円の助けもあったのだ。体力尽きていたとしても、側にはジーノやファビオもいる。精霊の声を聞くレラもいる。案ずることはあるまい」


 そう答えて、サナトとの間で寝そべるナギの頭を撫でた。

 そして大きく息をついてから、アーニアも部屋の向こう側で一心に作業を続けているイゴールを見やる。


「空が見えない地下というのは、時間感覚がよく分からないものだな」

「穴に落ちた時点で日暮れだったのだから、夜半は過ぎているだろう」

「うむ。ずっと休む事無く走り続けてしまった」


 もしかするとアーニアが細々こまごまと動いていたのは、緊張により気分が高揚していたせいかもしれない。遺跡探検の心得があると言った手前、気負っていたところもあったのだろう。

 またひとつアーニアの違う一面を見たような気がして、サナトは小さく苦笑した。


「何だ?」

「いや……お前の責任感の強さや、腕があるのは分かっていたが、あの突撃癖はやめておけ。皆が心配する」

「気迫では負けられぬ。魔物……いや、妖魔も先手必勝。全力で戦わずして後悔はしたくない」


 確かに妖魔相手にあなどることがあっては、どんな反撃を受けるか分からない。

 だとしても、アーニアの戦い方は鬼気迫るものがあった。姫としての「責任感」というだけでは、違和感がある。


「何か、妖魔に恨みでもあるのか?」


 軽い冗談のように訊いた言葉だった。

 だが、アーニアは真っ直ぐ前を向いたまま視線を動かさず、口を閉ざす。その気配にサナトは訝しむように顔を覗き見た。遠い昔のことを思い起こしているのだろうアーニアの目元に、憎しみの色がにじんでいく。

 沈黙は長かった。

 サナトももくして待つ中で、アーニアはふと、視線を落とし呟いた。


「恨んでいる。私は、この世の全ての妖魔を殺し尽くしたい」


 明るく快活なアーニアとは思えない程、暗く、低く、沈んだ声だった。


「それは……」

「五年前、母上は妖魔に殺された」


 それは唐突な告白だった。

 以前、「王妃の話を聞かないな」と呟いたサナトに、アーニアは「十三の時に亡くなった」と答えていた。

 拳を握る指先が白くなる。


「私が弱かったせいだ」


 今も強い後悔の念となり、アーニアの心を苛んでいる。


「それは――」

「母を……護ることができなかった」


 サナトの声を拒絶するような呟きだった。


     ◆


「西の砦近くにある、祭壇でのことだ……」


 話してもいいか? と一度断ってから、アーニアは五年前に起きた、忘れられない日のことを語り始めた。


「日照りが続いていたのだ。このままではせっかく育ち始めた麦も枯れてしまう。私は水や雨雲の精霊に力添えを祈願するため、母上と共に馬車で西に向かった。当時は今より、はっきりと精霊の声を見聞きすることができて、どんな願いも叶えさせていたのだ」

「叶えさせていた、とは……」

「精霊魔法だったか強制魔法であったのか……十三の私に区別はついていなかった。魔法を使っているという意識すら無かった。魔法とは、医療や戦いの時にのみ使用する特別な恩恵で、それ以外の魔法はただのまじないとして、民の間で細々と伝えられる程度ものだった」


 今でこそ魔法は、一部の特別な者だけが扱える奇跡ではないのだと、アーニアも理解している。


 魔法は相手を攻撃するものばかりではない。その場に、その形で存在すること自体が魔法であり、樹々や草花や獣たち、大地やたゆまぬ川の流れの中にあるモノたちとの仲介となるものである。

 おもいを通して、日々の暮らしで助け合うもの。かつて、人と精霊はもっと身近にあったのだ。それを意図的に隠し歪曲させたのが、今の魔法のありようだった。


 幼い頃から父王と共に西方の田園地帯を見知っていたアーニアは、この年、水枯れによって力無い姿となった麦の穂に心を痛めていた。だから何としても水の精霊を呼び、大地に雨をもたらさなければならないと気負っていたのだという。

 城を出て幾日も旅をする、ということも初めてであった。


 西にニナライ山脈を望む砦近くに、祈願の祭壇は設えられていた。

 アーニアは到着すると早々にみそぎを済ませ、休憩を取る間も惜しんで天翔る精霊たちに呼びかけ、祈願を始めた。

 幼い頃から人よりも精霊と言葉を交わす方が身近だったアーニアにとって、精霊にお願い事・・・・をするのは、造作もないことだった。だからその時も、ベスタリアの西方一帯に恵みの雨をもたらすことに、何の疑いももっていなかったのだ。


 異変は、祈願を始めて間もなく訪れた。






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