6 第80話 地下工房

 サナトは鋭い眼光を真っ直ぐに見つめ返す。

 話を聞いていたアーニアの表情が厳しくなる。

 王城でサナトの診察を受け持った治癒魔法師ハイノは、サナトの魔人化を知り、同席したジーノやニノ、そしてアーニアやエルネスト王子にも報告したと告げていた。

 ここで誤魔化しや嘘をつく必要は無い。


 これ以上魔法を使い続ける、もしくは妖魔と関われば、魔人化の進行は早まるばかりだろう。ならば――もうこれ以上おりを戻すことはできないと、逃げていればいいのかといえば、それはできない。

 精霊に乞われ苦しむ者たちが目の前にいたなら、やはりサナトは係わらずにはいられない。


 だから、深淵の森を旅立ったのだ。


「ふん……」


 唇を噛むように黙りこくってしまったサナトを見て、イゴールは鼻を鳴らした。アーニアと違い、サナトに相手をいなすような軽口を叩く機転は無い。


「まぁ、今は、人の姿で人の言葉を話すのだから、人ということにしておくかの」


 そう呟くと、重量感のある鎚矛メイスを軽々と肩に乗せ、背中を向けた。


「来い。朝までこんな場所をうろついているわけでもあるまい」


 歩き始めるイゴールに、アーニアはサナトの背を軽く叩き、続く。

 ナギが心配するように鼻を鳴らして見上げた。


「大丈夫だ。行こう、ナギ」


 頭を撫で、声を掛けてからアーニアの後を追う。

 澱が戻り周囲が清浄化したせいもあって、光の精霊の灯火は光量を増したかのように瞬き、周囲を漂った。明かりを頼りに足を進めたサナトがアーニアの隣に並ぶと、前を行くイゴールには届かない程度の小声で話しかけてくる。


「無事に乗り切れたな。サナト、まだ力は残っているか?」


 一瞬意図を酌み損ねて、サナトは周囲の気配を探る。

 遠く、虫やねずみなどの小動物のは感じるが、妖魔のそれは無い。サナトが気づかない気配を、アーニアは感じ取っているのだろうか。


「大丈夫だ。お前やナギが前衛で戦ってくれていたから、まだ、動ける。まさか……取りこぼした妖魔がいるのか?」

「そうではない。地下空洞の澱は戻したが、どこに何が残っているか分からない。一応、地上の者たちと合流するまで警戒しておこうと思ってな」


 石の人の案内があるからといって気を抜かないでおこう、そういう意味のようだ。

 サナトは頷き、暗い地下空洞の先を見据える。


 進む毎に、複雑な形で枝分かれする通路。地上と位置を照らし合わせるのなら、廃墟の街を囲む森は既に出ているのでは、と思われる。

 二人は大まかに頭の中で地図を描きつつ歩いていたが、それも途中から無駄のように思えて来た。イゴールは意図的に、入り組んだ道筋を辿っているように見える。

 痺れを切らしたのか、アーニアが先を行く石の人に声をかけた。


「今向かっているのは、イゴール殿の住まいか?」

「そうだ」

「ずいぶん入り組んだ道筋のようだ」


 肩越しにちらりと振り向き、また前を向く。

 歩調は速くないが、決してのんびり歩いているわけでもない。


「そこかしこに妖魔避けの罠を張っている。正しい道筋を行かなければ、虫や鼠の餌になるぞ」


 ふん、と鼻で笑う。

 これは……ナギの鼻だけでは対応できなかったかも知れない。もしイゴールと出会わなければ、まともに脱出できたかどうか怪しいところだったと、二人は顔をひきつらせた。


「もう直ぐだ」


 そう言って壁の隙間に隠した引き金を引くと、がこん、と隠し階段が現れた。

 冷たく湿った地下空洞に、温かな人の暮らしの匂いが下りてくる。先を行くイゴールに続いてアーニアが、そしてサナトとナギが狭い階段を上ると、そこには思うより広い空間があった。


 小さな火が入る暖炉がある。奥にちょろちょろと水の流れる音がする。

 地下水を引いているのだろうか。

 いかつい工具の側には大小さまざまな武器や防具が並び、火の側の壁際には、煙でいぶしたかのような干し肉も下がっていた。一日の殆どを地下で暮らしていたとしても、地上に出て狩りをしている様子が見て取れる。


「朝までまだ時間がある。寝ずにうろつくつもりでもあるまい。明け方、出口まで案内してやるから、少し休め」

「ありがたく」


 アーニアは短く答えて、暖炉より少し離れた場所に膝を付き荷を下ろした。

 サナトもそれに倣う。

 ナギはサナトを、そしてアーニアの顔を見てからもう一度サナトの顔を見て、二人の間にそろりと滑り込んだ。アーニアが笑いながらナギの頭を撫でる。


「心配するな、サナトを横取りしたりはせん」

「くふぅぅ~ん?」


 サナトは鼻を鳴らすナギを労わるように撫でてから、もう一度、手足や体を痛めていないが確認した。

 廃墟の街バルグに入った時から警戒して戦い続けていたのだ。怪我というより疲れが出ただけと分かり、サナトは安堵した。


「お主ら、食う物はあるか?」

「干し肉が少しある。飲み水だけ分けてもらえればありがたい」

「奥にある水場は湧き水だ。そのまま飲める」


 言われて立ち上がったアーニアは、「皿を一枚借りるぞ」と声を掛けながら、水袋を片手に水場に向かった。

 先を取られた形で行く姿を見送ったサナトは、所在無げに、何やら工具の辺りを漁っているイゴールに視線を向ける。この場所で独り暮らしていたのは、一年や二年ではあるまい。共に過ごす者の死を見送り、その最後の一人になった後の寂しさは想像を超える。

 不意に、サナトの視線に気がついたのか、イゴールがちらりとこちらを見て声をかけた。


「お主」

「サナトだ」

「ふん、ガンダーギを浄化する方法、誰に教えられた?」


 鼻を鳴らしてからぶっきらぼうに問う。

 サナトは心持ち背筋を伸ばして答えた。


「俺はベスタリアの北東、深淵の森で育った。澱を戻す方法・・・・・・は、森に住まう森の人から教えられた。妖魔は……倒すだけではまた湧いてくると」

「なるほど」

「石の人は、妖魔の特性を知っているのか?」

「知っている。忠告もした。だが、我らの言葉は黙殺された。人を扇動するに石の人の言葉は邪魔だったのじゃろう」


 ふぅ、と手のひらで顔を擦るようにしてから、イゴールはサナトの方に向き直る。


「だが、お主のような小僧がベスタリア王家の者と行動を共にする、ということは……地上も多少は様変わりしたようじゃ」


 平皿と水袋に飲み水を酌んで来たアーニアは、皿をナギの前に、水袋をサナトに手渡す。礼を言ってから冷たい水で喉を潤すと、体中の疲れと緊張がとけていった。

 そんな様子を見ていたイゴールは、不機嫌そうな顔を隠さずに一言、言い放った。


「借りは作りたくないからな。お主らに礼の品を作ってやる」

「礼の品?」


 サナトはアーニアと顔を見合わせた。


「無謀とはいえガンダーギを浄化し、この地下都市を清浄化したならば、それ相応の礼をして然るべきよ。何がいい? 我ら石の人に造れぬ物はないぞ」

「イゴール殿、それはありがたいが……」

「鎧を一揃え仕立てろと言うなら三日は貰うぞ。とは言え、それほど長くここでのんびりしているわけでもあるまい。手頃な……ふむ、剣はいいものを持っているようだな」


 アーニアとサナトを順番に見て、イゴールは鼻を鳴らす。

 鞘に収めたままでも、どんな剣を携えているのか分かるというのだろうか。


「お主ら、魔法の小道具は持っておらんのか?」

「指輪や腕輪、首飾りといった守りか?」


 問い返したのはアーニアだ。

 イゴールが頷き返す。サナトは戸惑うように答えた。


「……俺は、えて持とうと思ったことが無い」


 深淵の森でも魔法の品――魔法具が無かったわけではないが、精霊の気配が濃い場所では道具に頼らずとも魔法が扱えた。むしろサナトは力を抑えることに留意しなければ精霊魔法でも妖魔を呼びかねない。魔法具で力を増強するという発想が無い。

 アーニアも同じようなところがあるのか、歯切れの悪い声で答えた。


「魔法の品を多く身に着けると、精霊の声が聞き取りにくくなるからな。最近は所持していない」

「それは質が悪いか疲労しているからじゃ。名のある魔法具も使い続ければ澱が溜まる。休ませ浄化せねば本来の力を発揮できんじゃろ……全く、そんなことも忘れられたのかの」


 やれやれ、と顔を撫でてからイゴールはサナトを見上げた。


「サナトと言ったか。その腰の物、いわれのある精霊を帯びた剣であろう。力がありすぎて、振り回されているのではないか?」

「ああ……」


 隠してもこの石の人には見透かされるようだ。サナトは素直に頷いた。

 深淵の森を旅立つ際に森長から頂いた剣だが、人を選ぶが宿っているのだと、城で受けた忠告で感づいている。


「どのような来歴があるのかは知らない。だが、かなり厳しい精霊を宿している。妖魔を斬るに躊躇ちゅうちょが無い」

「ふふん、お主の腕まで焼いたか」


 サナトの両腕に巻いている包帯を見て鼻を鳴らす。


「まったく、姫はともかく、そこな若造は守りの石の一つや二つ身に着けんと、あっという間に人の形を失うだろうに。馬鹿か自惚れ屋かどちらかじゃの」


 石の人は余計な一言が多いようだ。


「よかろう、若造の魔人化を抑える品でいいな?」

「澱を戻したのはサナトだ。一番の功労者なのだから私からもお願いする」


 あの場の戦いで、誰が一番というものではない。どちらにしてもイゴールとアーニアの二人に勧められ、サナトに拒否する理由はない。既に変異の兆候が出始めているのだから、この好意はありがたく受け取るべきとサナトは頭を垂れた。


「して、形の希望はあるか?」

「かたち……とは?」

「指輪だとか腕飾りだとか、それとも兜や王冠がいいとでも言うかの」

「いや……」


 突然言われてこれといった物を思い浮かべることができない。そういえばレラは、サナトが渡した石を紐で編み込んで首飾りにしていたと思い出す。

 ナギがサナトの戸惑いを察してか、「くぅううん」と鼻を鳴らした。


「サナト、これと言った希望が無いのであれば指輪がよかろう」

「そう……なのか?」

「うむ、カッコイイぞ!」


 アーニアの自信に満ちた声にサナトはイゴールを見た。どうやらアーニアは、受け取る本人以上に乗り気になっているようだ。

 イゴールは、やれやれという顔で笑っている。


「指輪ならば、たいして時間もかからんな」

「では、お気持ちを頂く」


 もう一度礼を言って意匠デザインを二人に任せると、サナトは体を休めるように深く腰掛け直した。






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