6 第79話 石の人
がっ、と片膝を着いく。
剣を収めたアーニアがサナトの元に駆け寄り声を上げる。
「サナト!」
「がはっ……はっ、はぁっ、はっ、はぁあっ!」
空気が肺に入っていかない。
全身を、軽い
視界が暗くなるような感覚。そのまま意識を失い倒れそうになる体を、アーニアの腕がしっかりと支えた。
「戻した、やり切ったぞ!」
「……ナギ、は……?」
切れ切れの声にアーニアが顔を上げた。
瓦礫の間から、よろよろと歩くナギは鼻を鳴らしながらサナトに近寄り、顔をすりつけてきた。首を抱きかかえると、耳元でヒスヒスと声を上げる。
「無事か?」
「わふっ!」
尾を振る。声の様子からも、大怪我にはならなかったようだ。
何度となく深呼吸を繰り返したサナトは、徐々に戻ってきた視界に、もう一度強くナギの首を抱きしめ肩を叩いた。そしてアーニアへと顔を向ける。
「すまなかった。我を忘れるところだった」
「謝るな。同じ立場なら私も頭に血が上っていただろう」
答えて、口元に笑みを乗せる。
独りきりで戦っていたなら、今頃妖魔の
「立てるか?」
「あぁ……大丈夫だ」
頷き膝に力を込め身体を起こした。瞬間、再び殺気がサナトたちを射抜く。
警戒したナギが顔を向けた。
妖魔の元となる澱は全て戻したはずだ。
思わず剣の柄に手を伸ばしながら、息を詰めるようにして振り向いた。
ザリ……、と
手には古くがっしりとした、重そうな
爛々と輝く瞳と気迫はたった今戦った妖魔より、一撃の破壊力は上だと本能が警告する。
「どこから潜り込んで来た……」
低い、地の底から轟くような声だった。
背格好や顔つき、声から簡単に年齢を推し量ることができない。
老齢なようでいて、
「小鬼ならば……容赦せぬ」
じり、と一歩踏み出す動きに、サナトは険しい表情で返した。
「我らを小鬼と?」
だが一歩、不敵な笑みをもって前に出たのはアーニアだった。
「本当にそう見えるのならば、とんだ節穴のようだ。地面の下で暮らす者は妖魔に怯えて、相手の正体も見極められなくなったと見える」
「なに? 小娘」
「言い訳ならば聞いてやるぞ」
上から見下す視線で言う。アーニアも
だが頑強な戦士は、その程度で揺らぐ様子は無い。
「ガンダーギは消えぬ。湧いたら叩くか封じるより他にない」
王都の書庫の絵本にあった言葉だ。
ガンダーギ――歪みや淀み、澱のことを指す
アーニアが不敵な笑みを崩さずに問う。
「
「それができるのは偉大なる竜のみ。人の身には不可能である」
じり、と戦士は
緊迫した空気が漂う。
だが、この場に至ってもナギが唸らない。耳を立て、全身で警戒はしているが、明確な敵と判じていないのだ。対する者の心の内を見通す獣は、いくら表面を
敵と判じていないのは、その
じり、と再び足元の小石を握りつぶすように踏みつけ、戦士は唸る。
「かつて人の身でガンダーギを浄化せんとして、自ら魔人と化してしまった者を多く見てきた。ガンダーギは恐ろしいものだ。安易に手を出してはならん!」
「だから、この地、この地下空洞に封じていたと?
アーニアが悠然とした笑みを向ける。
「ここは若き者に頼るがいいぞ」
「老人扱いするでない!」
ぶぅうん! と大気を唸らせて
一歩、下がって攻撃を
怯え戸惑う様子を見せないサナトたちを見て、頑強な戦士は更に一歩踏み出してきた。今度は上手く逃げなければ当てるぞ、とでも言うように。
サナトもアーニアも、油断さえしなければこの程度の動きで遅れを取るものでは無い。鍛錬で剣を向け合う、アーニアの剣の方がまだ速い。
だがナギは、上手く躱してはいても普段より動きにキレがなかった。先ほどの妖魔との闘いで力を使い果たしたか、もしくは、やはりどこか体を痛めていたのだろうか。
この場はアーニアに任せ様子を伺っていたサナトは、やはり一戦交えなければならないかと剣の柄を握りしめる。その気配を察したアーニアは、遮るように横へと腕を伸ばし高らかに声を上げた。
「私はベスタリア王国第二王女、アントーニア・デル・レオーネ・べスタリア。貴公は古の都市を守護し続けてきた石の人とお見受けする」
ぶぅううん! と
口元を歪ませ、爛々とした瞳で睨みあげる。否定をしないところを見ると、この地で暮らしていたという石の人で間違いないのだろう。
「エルヴィン王の娘か……はねっ返りに育ったものだ」
「あの父あっての娘だ。否定はしない」
エルヴィンとはベスタリア現国王――ならば、この戦士は王家と
石の人の戦士は、それでも警戒する気配を解かずに問い返した。
「然るに、王家の姫とあろう者が、妖魔の封じを壊しに来たのか?」
「我らに壊せる程度の封じなど、封じと言えるのか?」
「ぐぬぬ……」
眉間に皺を刻んで、石の人が唸る。
「精霊の導きにより地下遺跡に迷い込んだ。今、遭遇した妖魔と決死の戦いを経て澱を戻したのだ。貴公ならばこの空洞のありようを、誰よりも実感できるはずだ」
「下手に手を出せば飲み込まれる。倒してくれと頼んだ覚えは無い」
言い返す言葉にアーニアは鼻で笑い、いつもの口調で言い放つ。
「なるほど、これだけの地下遺跡を妖魔だらけにしていたとは、暗がりに住む石の人はよほどの臆病者らしい」
「なんだと!?」
「臆病者だから適当に隠して見ない振りをする。真に勇気あるならば、手に余ると知った時、それを認めて助力を申し出ることができるはずだ。
咄嗟に言い返す言葉が見つからないのか、石の人が歯噛みする。
それでも呻くように言い返した。
「ベスタリアの姫は跳ねっ返りなだけでなく、生意気になったようじゃ」
「どのように思われてもよい。私は、この地に妖魔を
笑みを消して答える。
アーニアの声は真剣だった。
怒りすら
何よりも大切な民が住まう国土が冒されている。サナトが精霊たちを救いたいと願うように、アーニアは民を、国土を、救いたいと切に願っている。
ゴトリ、と重い音を響かせて、石の人は
「やれやれ……そこな小娘にいなされるなど、わしも衰えたものだ」
「独りで戦えば自ずと限界は来る。ここに、貴公以外の石の人は?」
「イゴールだ。他の者たちは全て命を終えた。わしが最後の一人よ」
頷き、アーニアはイゴールの前で片膝をついて右手を差し出した。
「イゴール殿、我らと手を」
「今更か?」
「同盟を復活させれば
女神を思わせる、華やかで美しい笑みを返す。
完全に毒気を抜かれたのか、イゴールは口の端を歪めて笑い返した。
「上手く
「冥土の土産に、一杯は飲みたいだろう?」
「ふん、余命短いわしでも、お主らよりは長く生きるわ」
そう軽く言い捨てて、サナトの方に顔を向けた。
もう
サナトの横で、ナギが再び緊張に耳を立てた。
「そこの若造……人ならざるモノのような瞳をしているが、魔人か?」
「人として育った、人だ」
「人の身でありながら、ガンダーギを浄化したとでもいうのか?」
僅かに、眉間に皺を寄せ、短く答える。
この瞳のことについて言われたのは、久しぶりだ。
「澱は、人であっても戻せる」
「取るに足らないものならば多少は可能であろう。だが、ここに巣食っていた妖魔は小物と言えるような
サナトが戦い戻した澱が、人に対処できる程度のものだったかどうかは分からない。
地上では、魔法円やニノの助けがあったからこそ無事に戻せた。今も戦闘の殆どをアーニアとナギが引き受けてくれたからこそ可能だったのであって、
この石の人の言っていることは、正しい。
「お主……既に兆候は出ているであろう?」
イゴールは真っ直ぐにサナトを見上げ、見透かした。
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