5 第62話 指先

 淡く輝く、薄紅の華が咲いたようだった。


 長旅に耐えうる、いつもの無骨な革靴ブーツではなく、白を基調として、刺繍を施した踵の低い布の靴に履き替えている。露わになった足首には、小さな花をあしらった編み紐が踊る。


 すらりと伸びた白い脚。

 膝丈の衣装は薄い布を何枚か重ね合わせ、風に揺れている。

 肩で小さく膨らんだ袖から伸びる、白い腕も眩しい。


 大きく開いた胸元を飾る襟のふちには、色とりどりの花の模様が刺繍されていた。そして、同じくらいに色鮮やかな硝子ガラス玉の首飾りが、幾重にも輝いている。里で渡した、青い結晶石を紐でくくった首飾りも身につけているのを見て、サナトは何故か可笑しくなった。

 それだけ気に入っている……ということなのかもしれない。

 その首や胸元が、いつもより艶っぽく見えるのは、普段下している髪を結い上げているからだろうか。


 腕や足と同じように、日に焼けていない白いうなじが夕陽の残光に映え、茜色に縁取られながら浮かび上がる。耳の上から後ろにかけて淡い色の花飾りが幾つも連なり、大きく花開く。


 薄く化粧も施しているのだろう。

 すっと伸びた眉や目尻に淡い色を差している。目を惹く。

 恥ずかしそうに、青い瞳を伏せる。

 長い睫毛まで夕陽の色に染まり、煌めいている。

 ほんのりと赤らんだ頬と、明るい色を乗せた艶やかな唇。


 ふと、クタナ村の夜更けに、湯上りのレラがサナトを迎えに来た時の姿を思い出した。


「あの……」


 恥ずかしそうに声を漏らした。

 視線を上げても、また直ぐに伏せてしまう。頬が益々赤くなる。


「……私」

「サナトくん?」


 不意にサナトの肩を叩くものがあった。


「サナトくんサナトくん。そんなに穴が空くほど見つめていたら、レラちゃんもどうしていいか分からないよ」

「えっ?」

「いやぁ……目を奪われる、っていうのは、こういう姿を言うんですねぇ。とても分かりやすい」


 言われてやっと、サナトは周囲を見渡した。

 ファビオとニノがニヤニヤ笑っている。顔を赤くしたまま困ったような顔のレラの隣で、アーニアは高らかに笑い、声を上げた。ナギが首を傾げる。


「これぞ着飾った甲斐があったというものだ」

「アーニア様も同じ格好だっていう、自覚あるんでしょうかね」


 二人の後に控えるパウルが、苦笑いでいる。

 その声を無視して、アーニアはレラの背中を押した。


「レラよ、私の言った通りであっただろう?」

「いえ……その、はい……」

「サナトよ、レラは綺麗であろう?」


 何故か自慢げに言うアーニアに、サナトは改めて顔を向けた。


「うん、とても綺麗だ」

「こういう言葉を、何の打算も無く、さらっと言えちゃう辺りがサナトさんの凄いところなんでしょうね」


 ニノが苦笑する。

 綺麗なものを綺麗と言って何が凄いのか、サナトにはよく分からない。


「綺麗だと思わないのか?」

「いえいえいえ、とても可愛いと思います。綺麗です。アーニア様だって、いつにも増してお美しいですし」

「ついでのように言うではない」


 ニノの言葉にアーニアは整った眉を吊り上げて言い返す。笑いが溢れ、やっとレラも微笑みながら顔を上げた。

 ファビオが「さて」、と皆をまとめるように声をかける。


「やっと合流できたことだし。先ずは飯にするか、祭を眺めて歩くか」

「もう日暮れですから、城の鐘が鳴るまでそう長くはありませんよ。ゆっくり食事をするなら、風船草の灯火ともしびを終えてからの方が良くありませんか?」


 パウルが空に瞬き始めた星を見上げて言う。

 「風船草の灯火」とは、先ほどニノが話していた祭事だ。ニノやアーニアも同意して、ならば街で一番よく見える、礼拝堂の塔に上ろうという話になった。

 ファビオがサナトとレラの方に向いてニヤリと笑う。


「サナトくん。実は、祭で着飾った花の娘とは手を繋いで歩かなければならない、という決まりがあるのだよ」

「決まり? それは祭りの習わしか儀式なのか?」

「そうそう、ものすごぉーく重要な儀式だ。従わなければ離れ離れになってしまう」


 ファビオの横で、ニノが「またそういうことを」と苦笑している。

 どう見ても、何か企んでいるようにしか見えない。

 だが、取り巻く精霊を見れば、あながち嘘でもないらしい。むしろ徐々に人通りが多くなっているのだから、はぐれてしまわないよう手を繋ぐのは理に適っている。

 はぐれても、精霊たちにに問えば直ぐに見つけ出せるのだとしても。


「レラ、そういうことだ。祭りは人々にとって大切なものだろうから、習わしには従おう」

「はい……か、かしこまりました……」


 おずおずと白い指を差し出す。

 その手をそっと掴むと、包帯の無い指先に細く柔らかな感覚が伝わってきた。緊張しているのか指先が少し冷たい。握り返していいのか戸惑っているようにも思える。


「そう肩に力を入れずとも、綺麗なのだから顔を上げればいいのに」

「……はい……」

「髪は自分で結い上げたのか?」

「いえ……その、お店に髪結いの方がいらして、それで……」

「そうか」


 答えながら、益々うつむいてしまう。


「あの……どうして、そのように?」

「前にも髪を上げていたから」

「前?」

「クタナ村で、宴の後に俺を迎えに来た時」


 心当たりがないのか、しばし視線を彷徨わせてから、「あ……」と声を漏らし顔を上げた。そしてまた視線を逸らしてしまう。


「サナト様は……結い上げた髪の方が好きですか?」

「どちらも好きだ。レラの好きにしているのがいい」


 耳まで赤くなる。

 そんな姿が可笑しくて、サナトはナギと笑いながら、歩き出したアーニアたちの後に続いた。目の前では高らかに言いあう姿がある。


「どうやらこの街には、城育ちの私には知りえない儀式があったようだ。さて、この私と手を繋ごうという猛者もさはいるのかな?」


 アーニアが供の三人を見渡すと、ニノとパウルが声を揃えた。


「当然、ここは責任もってファビオだよね?」

「ええぇえ!? 俺? 恐れ多いなぁ! ここはやはり冷静沈着なニノが……いや、未来有望なパウルが!」

「先輩のファビオ様を差し置いて、そんなこと、とてもとても」


 などと言いあっている。

 その間にも、街の娘たちがアーニアの姿を見つけては「姫様! お綺麗です!」「是非、握手を!」と両手を差し出す。それを晴れやかな笑顔と共に握り返すと、群がってきた女性たちは次々と歓声を上げていた。


 民に慕われ、分け隔て無い。

 姉のアントニエッタとはまた違う気品を備えた、人々の英雄。そんなアーニアの姿をレラと共に眺め、顔を見合わせてから笑いあった。



 いつの間にかレラの指先は、ほんのりと温かくなっていた。






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