5 第61話 悪いお兄ちゃん

 間が悪いとでも言うのだろう。

 さほど経たずに戻ってきたファビオとニノは、アーニアのお叱りで肩をすぼめ小さくなった。


「全く! お前たちはサナトとレラの案内役であり、護衛であろうが!」

「そう怒るな」


 言葉を挟んだのはサナトだ。

 結局、崩れた荷が道を塞いだのだという出来事も、ファビオが行かなければサナトが手助けに向かっていただろうし、老婆の道案内はニノでなければ分からない。更に、店の前まで送ってあげるよう勧めたのはサナトだ。

 小物を運びながら、レラも苦笑する。


「アーニア様、お祭りですから、あちこちで人手が足りないのですよ」

「酒が入ると羽目を外す者が多い。絡まれたなら面倒だろう?」


 なるほど、そういう意味もあっての護衛だったのか。どちらにせよ――。


「護衛が必要なほど、俺は弱くないつもりなのだが」

「サナトは喧嘩も強いと分かっている。だが、いざとなったら手加減できるのか?」

「うっ……」


 アーニアに指摘されれば前科があるだけに反論ができない。さすがに人間相手で全力の戦いをすることは無い、のだが。


「まぁ、よい。街の者たちの手助けをして叱るというのも、変な話だ。ところで、レラ」

「はい!?」

「お前は何故、そのような恰好でいるのだ?」


 突然アーニアに問われ、レラはサナトと顔を見合わせた。

 普段と変わらない膝までの白く長い上衣に赤い肩掛けを羽織っている。特別、変な格好をしているわけではない。


「何か、おかしいでしょうか?」

「祭だぞ、娘が着飾らなくてどうする!」


 そう言って、華やかに着飾ったアーニアは腰に手を当て胸を逸らした。


「私だけがこのよう恰好をさせられて、レラが普段着とは許せん! お前も着飾るのだ!」

「えっ、でも、私……これ以外の外出着は……」

「もちろん、私が用意させよう! パウル、城より街で見繕うのが早かろう。一足先にラゴン衣裳店まで走り、特上の衣装と花飾りを用意するように伝えてくれ」

「はっ!」


 言われてパウルが駆けていく。

 レラの腕を取ったアーニアは、ニヤリ、と不敵に笑い、残った男たちに言い放った。


「お前たち、覚悟しておけよ」


 何か言いたげなレラを、笑いながら連れ去るアーニア。

 サナトはぽかんとした顔で見送り、ファビオとニノは頭を抱える。そしてその側では、子供たちのおもちゃにされているナギがいた。


     ◆


 修繕を終えた店先に、売り物の工芸品が並べられていく。

 民族模様が描かれた皿や椀。匙や飾りの小刀。魔除けなのだというお守り。中には街道の町トルゴで、少年から貰ったような木彫りの小鳥もある。他の屋台も、甘い匂いの漂う菓子や飲み物、串焼きの肉が並び始め、尾を振るナギが落ち着かなくなってきていた。


「こっちも終わったか」


 店主に声を掛けてきたのは、最初にサナトを呼び止めた、あの浅黒い肌をした頑強な体つきの男だった。様子を見に来たのだろう。


「日暮れまでに間に合いましたよ」

「そうか、よかった」


 答える店主に大男は白い歯を見せた。

 結局ファビオやニノも修繕の手を貸し、間に合わせた状態だ。広場の屋台は一つまた一つと客を呼ぶ声が上がり始め、広場の中央では歌と歓声が広がっていた。


「さっきは脅すように言っちまって、悪かったな」


 サナトに向き直り頭を掻きつつ言う。やはり根は悪い人ではないのだ。


「俺も広場の様子が気になっていたから、力になれてよかった」

「そうか。お礼っちゃなんだが、直ぐそこに銀鱗ぎんりんの五星亭って美味い飯屋がある。お前たちの話を通してあるから寄って行ってくれ。名物料理を出してくれるぜ」

「銀鱗の五星亭って言ったら、揚げ魚が美味いんだよな!」


 男の言葉にファビオが白い歯を見せた。

 手を振り別れる屋台の前から、男三人、のんびり祭の様子を眺めるように歩き始める。ナギもやっと子供たちから解放されて、ぶるぶると体を震わせた。アーニアとレラが戻ってくる様子はまだない。


 夕暮れの、西日に辺りが茜色に染まる街がある。

 あちこちに花が飾られ、色とりどりの連続旗ガーランドが風に踊る。楽が鳴り響く。


 深淵の森での祭は粛々しゅくしゅくとしたもので、祭壇の社に互いの供え物を並べ、訪れた村人たちが歌や冬至からの様子を述べる。その後、社の前の広場でうたげが催されるも、森の人がそこに参列することは無い。その年にお役目となった者たちが、遠くから見守るだけだ。


「森の外の祭とは、賑やかなものだな」

「この程度の賑わいが祭りだと思っていたら甘いな」


 ファビオが自慢げに顔を上げた。


「歌や踊りだけではなく、日が暮れた後、王城の鐘を合図に光の精霊を空に飛ばすんですよ」

「光の精霊を?」

「正確には、風船草の実に光を宿らせて風で舞い上がらせるんです。一年で一番陽の長い夏至に天に上げ、陽の短い冬至に下ろしてもらうという」


 説明するニノにファビオが突っつく。


「下ろすって言っても光る雪が降るだけなんだけどよ。そんな訳だから、鐘が鳴る前後になったら、魔法を使える奴は忙しくなるぞ」


 ニノは主に治癒系の魔法を扱う者だが、小さな明かりを灯すといった比較的容易な魔法も使えるはずである。「今年はサナトさんもいますから」と言うニノに、サナトは苦笑しながら周囲を見渡した。


「ここの者はあまり魔法を使わないのだな」

「昔より減ったな。俺もほとんど使えないし」


 サナトの呟きにファビオが返す。


「それは……」

「精霊を見聞きできる者が減ってるばかりではなく、良くない噂もあってのことです。魔法を使うと、魔物になると……南の領地の現状や、西方ダウディノーグ王国の不穏な噂は、人づてに伝わっていますからね」

「俺は自分の手足を使った方が間違いないんだが」


 ニノに続いてファビオが面倒くさそうに呟く。

 人の口には戸が立てられない、ということなのだろう。

 ふと、甘い匂いを漂わせる水飴売りの屋台に、サナトは顔を向けた。

 目の前に突如妖魔が現れ、手にしていた飴を取り落とした子供を思い出す。あのように恐ろしい思いをしたなら、魔法やひいては精霊すら恐ろしいと思うようになり、声を聞くのも嫌だと耳を塞ぐようになるかもしれない。


「おぃ、せっかくの祭りで辛気臭しんきくさい話はやめようぜ。姫たちはまだしばらく戻ってきそうにないし、何か食ってよう。サナトくんには、お兄ちゃんが飴を買ってあげよう」


 あまりにじっと屋台を見ていたせいか、背中を叩くファビオが水飴売りに声をかけた。


「欲しくて見ていたわけじゃないぞ!」

「まぁまぁ、子どもなら一度は食べてみるもんだ。ほら」


 有無も言わせず水飴を握らせる。ニノは笑いを堪え、ナギが首を傾げて見上げた。


「子ども扱いするな」

「だったら、贈り物は受け取ろうぜ」


 どういう理屈か分からないが、今更店に返すこともできない。

 里で甘い食べ物と言えば蜂蜜ぐらいで、それもひと夏に一度、獲れるかどうか。秋になれば林檎や葡萄、野苺などの果実を口にしてみたが、たいていは酸っぱくサナトの口に合わなかった。

 せっかくの貴重な体験ならばと覚悟を決め、口に放り込む。


「甘っ……」

「おいしいですよねぇ」


 ニノが昔を思い出すように呟く。

 ほんのり香ばしく、優しい甘さが口に広がる。ナギが何を食べているのかと、興味津々に尾を振り見上げた。鼻をつけてしきりに匂いを嗅ぐ。


「ナギにはやらないぞ」

「わふん!?」


 寄越せとばかりに立ち上がり、前脚でのしかかってきた。

 珍しくサナトが独り占めしようとするものだから、余計に欲しくなるのか。よこせ、食べさせろとばかりに、じゃれついて来る。


「あっ」


 不意をついて、食われてしまった。取り上げた木の棒には欠片しか残っていない。


「もぅ一個買ってあげようか?」

「味見できたから……もういい」

「わふっ!」


 口を尖らせるサナトに、ナギはしきりに舌で口の周りを舐めながら満足げな声を上げる。ニノはずっと笑いっぱなしで、やっと息を整えてから辺りを見渡した。


「アーニア様たちは遅いですねぇ」

「先にどっかの店入って飲んでるか」


 ほら、さっき言っていた銀鱗の五星亭にでも、とファビオが言う横で、サナトは街の人の不思議な姿に目を止めた。

 少し先、街灯の側に一組の男女がいる。同年代の仲睦まじそうな様子ながら、不思議なことをしている。


「あそこにいる者たちは親子なのか?」


 ファビオとニノが言われた先を見ても、どの人たちのことなのか分からず首を傾げた。


「ほら、親鳥が雛に餌をやるように、口をつけている……」


 あれもこの街ならでの習わしなのだろうか。

 呟くサナトの声に、二人が顔を引きつらせて一歩下がった。ファビオが信じられないという声で呻く。


「もしかして……サナトくん、接吻キスを知らない」

「んん?」

「……サナトさん、それ、本当ですか?」

「何が?」


 意味が分からず、サナトは眉間の皺を深くする。


「うぅわぁああ! 信じられねぇ! なんかこいつ、凄いズレてるとこあると思ってたけど、どこの箱入りなんだぁぁあ!?」

「深窓のご令嬢ですね」

「それ、前にもレラが言っていたな」


 俺は女ではないと言い返していたが、もしや「世間知らず」という意味だったのだろうか。サナトの心中を察したかのように、ニノは同情的な顔になって肩を叩いた。


「まぁ、人と隔絶した世界で暮らしていたのでしたら、仕方がないのでしょうねぇ……」


 そう呟いてから、真剣な顔に変えてサナトに向き合った。


「サナトさん、あれは接吻キスです。特別に大切な人だけにする愛情表現のひとつです」

「特別に大切な人?」

「中には女の子なら誰でもいいとか、お酒をのんだら見境なくという人もいますが、基本的には大好きな人だけにするものです」

「ほんっとに、見たことないのか!?」


 ニノとファビオに言い寄られ、サナトはナギと顔を見合わせる。

 ナギは「わふっ?」と首を傾げるだけだ。


「さ、里でそのようなことをやっている者はいなかった。……そうか、ナギが嬉しくて顔を舐めるようなものか」

「サナトさん、女の子の顔を舐めてはだめですよ」

「俺は人だから舐めない」


 何を言っているのだと言い返す。

 ニノも自分が何を言っているのか分からなくなって頭を抱えた。代わってファビオが力説する。


「まぁ、とにかく、嫌がってる時もダメだからな! 嫌がっているフリの時もあるから、そこは見極めて! こう、色々手を尽くしたうえで機会タイミングと雰囲気を見てだな、いけそうだなーっ! て時に!」

「それは具体的に、どういう時なのだ?」


 ファビオとニノが顔を見合わせる。


「どうって言われても、ねぇ……それは。それが分かれば苦労しない」

「ニノ、情けないこと言うな! いいか、機会タイミングっていうのは――」


 ファビオが、ハタと言葉を止めた。

 そしてニヤリと笑ってサナトに向き直る。


「サナトくん、分からない時は相手の子に・・・・・訊けばいいんだよ」

「ほぅ」

「愛情表現は接吻キスだけじゃないからな。分からなければ、手取り足取り、ぜぇーんぶ最後まで教えてもらえばいい。きっと優しくあれこれ、手ほどきしてくれるだろうから、な?」


 何か、悪いことを企んでいる顔だ。

 だが取り巻く精霊を見れば嘘をついているわけではないらしい。分からないことがあれば相手に聞くというのは、間違ったことではないはずだ。


「わかった」

「いやいやいや、こいつの言葉、真に受けないでくださいね」


 ニノが情けない声をあげる。

 人同士の作法というのは、中々複雑なようだ。

 丁度そのころ、広場の向こうからレラを連れたアーニアが手を上げ、呼ぶ声が聞こえた。






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