5 第60話 呼ばない理由と祭りの準備

 人を名前で呼ばない理由――これと言って、強い信念があってのことではない。それでも改めて考え直してみると、思い当たることはある。


「人を名前で呼ぶのは、苦手なんだ」

「どうしてですか?」

「うぅん……その人の意思を、縛ってしまいそうで?」


 サナトの言葉にレラは首を傾げた。


「自分でもそうと気づかない内に、呪文のような力を持って相手の意思を縛ってしまいそうになる。名前を呼ばなければ、その威力は多少落ちる」


 例えば唄文ばいもんでは「風の」と呼び、呪文では自分の名で命じた上で、「風の御靈ヴァータ」と縛る。人に何かを命じる時にも、そこにいる大勢に向かって「誰か」と呼びかけるのと、敢えて一人を指名し命令するのとでは、強制力に違いが出るように感じるのだ。


「では、サナト様が名前を呼ばないのは、相手の意思を縛らない……ため?」

「ナギやムーのように動物たちというのは、嫌だと思えば拒否をする。なのに人は、嫌だと思っても拒否できないことがある。動物たちより言葉に縛られやすい・・・・・・・・・


 これは人が持つ特性なのでは、と思う。


「レラが前に言った、言葉に宿る精霊、言靈ことだまの力を弱めるため……かな」


 自分の心を探りながら伝えてみると、それが真実であるように思えてくる。

 サナト自身、おそらく無意識に行ってきたことなのだろう。


 王都に至る道すがらでも、ファビオに話していたことだ。

 歪みとか淀み、澱など曖昧な言葉ではなく、それらを指す「呼び名」は無いのかと。問いに対してサナトは「呼び名を与えてはならない」と答えた。

 名は、のものに力を与える。より確固としたものに変化させる。クタナ村の声聴きグルナラから新たな名を与えられた時の様に。普段何気なく口にしているものだが、それほどまでに「名」は、変化を促す一因となる。


「……そうやって、極力人の名前を呼ばないようにしていたら、いつの間にか癖になってしまったようだ」

「では、私を名前で呼んで下さるようになったのは……」

「レラは少し、縛りたいと思ったのかもしれない」


 そう言って、サナトは笑いながらナギの頭を撫でた。

 レラならサナトの縛りなど気にせず、自分の意思を貫いてくれるような気がする。

 ナギが「わふっ! わふっ!」と声を上げながら尾を振り回す。その横で、顔を赤くしたレラが呟いた。


「サナト様、今、すごいこと言っている自覚あります?」

「ん? 何か不味まずかったか?」


 顔を上げる、その視線の向こうに見知らぬ男たちが近づいて来るのが見えた。

 サナトの表情を見て、レラも振り向く。

 身なりから街の人であろう男たちは、手に棒や金槌かなづちを持ち、一様に険しい表情をしていた。その中で先頭に立つ、浅黒い肌をした頑強な体つきの男が口を開く。


「おぃ、若造。お前がここで化け物と戦って、広場を滅茶苦茶にした奴か?」


 ナギが何事かと耳を向ける。レラが声を上げそうになるのを制して、サナトは前に出た。


「そうだ。妖魔と戦った、俺がその本人だ」


 真っ直ぐに見据えて答えたサナトに、街の男たちは眉を吊り上げた。


     ◆


「おぃ、化け物を倒すのはいいがよ。見てくれ、祭りに合わせて準備していたってぇのに、売り物から屋台まで、全部台無しになっちまった」


 先頭の男に続くのは、三人……いや、四人か。

 真っ直ぐ顔を向けるサナトの横で、ナギはピンと耳を立てたまま首を傾げている。男たちはその物怖じしない様子を見て、口の端を歪ませた。


「どう、落とし前つけてくれんだよ」

「落とし前とは……どう後始末をするのか、ということか?」


 聞き返すサナトに、先頭の男は顔を歪ませ凄みをかせる。


「決まってんじゃねぇか! このままじゃ祭りに間に合わねぇだろ!」

「間に合わないのは、材料か何かが足りないのか?」

「売り物や材料もだが、こんな忙しい時なんだ、人手が足りねぇんだよ! って、おめぇ、他人事のように言ってんじゃねぇぞ!」


 怒鳴り声に、広場に居た者たちが驚いた顔で振り返る。

 けれどサナトは、平然とした様子のまま大柄な男を見上げた。


「元より、他人事にするつもりは無い。手加減することができなかったとはいえ、それによって街に被害を与えたのは事実だ。困っている人は多いだろう」

「お、おぅ、そうだ! わかってて突っ立ってんのかよ」


 サナトの言葉に意表を突かれたのか、男は戸惑うかのように返す。

 その様子を見て、サナトは軽く笑みを見せた。


「俺は材料を用意することは出来ないが、手を貸すことはできる。何をすればいい?」

「は?」

「だから、人手が足りないなら手伝うと言っているんだ」


 今度はサナトが眉間に皺をよせて言う。


「俺は初めてこの街に来た者だから、今日が前夜祭だということしか知らない。何をどのぐらい準備しなければいけないのだ? 急がなければ日が暮れてしまうぞ」


 サナトの隣で、ナギが「おんっ!」と声を上げる。

 男たちは顔を見合わせ、頭を掻いた。ひょろりとした背格好の一人が、「何か予想していたのと、違いますねぇ」と呟いている。

 何をどう予想していたのかサナトには分からないが、壊した本人が直すのは当然のことだろう。


「悪いが案内の者に、この広場にいると約束している。ここで出来ることでいいか?」

「おぅ、それはかまわねぇが……じゃあ、あれ……あそこの屋台の修繕に手を貸せ。それと売り物を運ばなくちゃならん」

「わかった」


 そう言ってサナトは上衣のそでをまくり、修繕途中の屋台の方に歩き出した。

 慌てて後に続くレラが声を掛ける。


「サナト様、大丈夫なのですか?」

「剣を握れたのだから、木材の一つや二つ大丈夫だ」

「そういうことではなく」

「心配なら、そこでナギと見守っていてくれ」


 尾を振るナギが「おんっ!」と元気に声を上げた。


「いいえ、私もお手伝いいたします!」

「そうか」


 サナトが笑いながら答える。

 ナギや精霊たちの様子を見て、声を掛けた男は危険な者ではないと感づいていた。

 男たちもあの妖魔との戦いを目にしていたなら、止むを得ないことだったのだと分かっている。それでも、せっかく準備していたものを台無しにされて、不満の一つでも言いたかったのだろう。

 指示されたように木材を運び、釘を打つ。工具は里で使っていたものより質が良く、それらの道具を扱うだけでサナトは楽しくなってきた。


「兄ちゃん、初めて来たっていうが、どこの出だい?」


 大柄な男の後ろで呟いていた、ひょろりとした背格好の男が声をかけた。

 この屋台の主なのだろう。


「深淵の森から来た」

「へぇ? あそこは魔物が棲んでるんじゃないのか?」


 と、何の遠慮も無い声で言ってから、いぶかしむようにサナトを見た。


「もしかして兄ちゃん……魔物なのか?」

「……そうだな、似たようなものだ」

「そぉかぁ、だからそんな変わった目の色をしてんだな」


 そうかそうか、と一人納得した顔をする。

 魔物と似たようなものだと言ったのに、この男は怖ろしくないのだろうか。

 周辺都市では魔物が暴れて、家畜などに被害が出ているとも聞いている。アーニアたちも街道の魔物を討伐して歩いていたぐらいだ。本当に恐ろしい妖魔との区別はついていないだろうに。


 サナトは改めて、意外な気持ちで店主を見た。この目にしても、森に居た頃は、もっと気持ち悪がられるものだと思っていた。だが、人々はそれほどあからさまな嫌悪を向けていない。

 もしかすると、気にしすぎだったのだろうか。

 そう思いながら、サナトはレラを見た。

 街の人の指示に頷きながら、細々としたものを運び、並べている。そしてサナトの視線に気づいては、花がほころぶような笑顔で返す。

 ――と、その時、サナトの後ろで声が聞こえた。


「どぅしましょう……ねぇ」


 振り向くと、一人の女性が子供たちと連続旗ガーランドを持ち空を見上げている。サナトは手を止め声をかけた。


「どうした?」

「これ、どうやって、あそこに掛けようかと思って、ねぇ」


 屋台や街灯と繋いで飾ろうとするも、台や梯子はしごになるものが無いのだろう。

 精霊の力を借りれば難しいことではないのだが、この人たちは魔法を使わないのだろうか。


「貸してみるといい」


 連続旗ガーランドを受け取り、サナトは端を手に掲げた。


「風の――」


 言いかけた、その唄文を唱え終わらない内に風の精霊たちがサナトの手から小旗を受け取り、運んでいく。子供たちが一斉に歓声を上げた。


「魔法だー!」

「すごぉーい、飛んでくー!」


 ひとつひとつが繋がり、飾られていく。

 両手を上げて喜ぶ子供たちを見て、サナトは複雑な気持ちになった。

 破壊するばかりが魔法ではない。レラが口にする唄文のように人々を癒したり、喜ばせることもできるのだと。そんな当たり前のことすら忘れかけていた気がする。


「おにーさん、ありがとう!」

「いや……」

「ねぇ、この子、おにーさんのわんわん?」


 側のナギを見て小さな子が声を上げた。隣に立つ、少し年上の着飾った女の子が「違うよ」と言う。


「狼って言うんでしょう?」

「そうだ、銀色の狼」

「わふっ!?」

「すごーぉい、ふわふわぁ……もふもふぅ!」


 子供たちが声を上げてナギに抱きつき始めた。

 ナギは、どうしていいのか分からずお座りのままで硬直している。

 サナトに力いっぱいじゃれつくことはあっても、小さな子供たちにじゃれつかれたことなどない。下手に動けず「わふっ」と鳴くと、子供たちはナギの真似をして「わふぅ!」と声を上げた。


 和やかな午後のひと時。

 精霊たちのように笑う人々を見て、サナトは胸の奥が痛くなる。

 レラが微笑む。

 このまま……時が止まったならばと、思わずにはいられない。


「レラ……」


 サナトが呼びかける、その背中に聞き覚えのある声が掛けられた。


「お前たちは一体、何をやっているのだ?」


 振り向いたそこには、結い上げた頭に色鮮やかな花飾りをつけ、膝丈の、祭りの衣装に身を包んだ華やかなアーニアと、お供のパウルが立っていた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る