4 第53話 戻りゆく果てに

 運ばれてきた亡骸なきがらを前にして、ザビリスに表情は無かった。

 病の兆候は無く事故でもない。原因は分からない。そう人々の間では囁かれていたが、サナトには視えていた。


 誤った方法で魔法を使用したことにより、急性中毒のような状態になったのだ。

 魔法の詳細は分からないし、今、それを突き止めたところで過去は変わらない。けれど原因不明の死は、ザビリスに弟殺しの疑いをかけた。

 領主の座を確かなものにするため、弟を呪い殺したのだと。

 魔法の力に乏しい者が南の領主となる。土地はますます荒れ、魔物が跋扈ばっこするばかりの不毛の領地に人々は囁く。『もっと力のある領主なら、南の地は救われただろうに』と。


 力があれば。

 強くなれば。


 そう、ザビリスは繰り返していた。

 闇の底から、誘いまどわす声が響く。


『……深淵の森には、魔法のみなもとが眠っているのだよ』


 耳元で囁く声に、ザビリスは振り向く。


『あそこは立ち入ってはならない、禁断の森ではないのか?』

『森に棲みついているのは魔物ばかりだ。まさか愚劣ぐれつな魔物を、人と同列に扱おうというのではあるまい?』


 ザビリスの表情が動く。


『そんなことだから、南の領主は頼りないと言われるのだ。魔法を帯びた宝があれば、きっとお前にも力が宿る。今まで馬鹿にしてきた者たちを見返すことができるぞ』

『力があれば……』


 ザビリスをそそのかしているのは誰か。

 サナトの側からは陰になって見えない。精霊の気配を辿ることもできない。意図的に正体を隠す魔法を使っているのだと……そう察することができるだけだ。


 囁かれた言葉は、ザビリスの中で繰り返されていく。

 領主とは名ばかりで実の伴わない主。

 領民などほとんどいない。

 むしろ「魔物の主」が相応しい……と揶揄やゆが続く。違うというのならば実を見せよ。力を示せ。我こそが南の地を治めるに相応しい者だと知らしめよ。

 その為には、魔法の道具がいる。

 他を圧倒する宝がいる。

 ザビリスが唇の片方だけを歪ませるように上げて笑う。幾人かの私兵を連れて、深淵の森を目指す。だが……そこにあるのは、どこまでもくらい絶望ばかり。


『誰もが認める強さがあれば……』


 振るう剣が血に染まる。無理やりに使った強制魔法は、己が体を蝕んでいく。


『そうだ……力さえあれば、全て上手くいったのだ』


 くるり、とサナトの方を向いた。

 今まで見えていなかった筈の姿を捕らえて、妖魔へと、崩れていく腕が伸びてくる。


『力を、ヨコセ……』

「ザビリス!」

『力を……魔法の力を……』

「お前はもう妄執だけの存在だ。だから……戻るんだ、精霊せかいの一部に」

『ヨコセ……』


 蠢く肉の塊のようになりながら、サナトを絡めとっていく。

 振り払えない。

 ザビリスのおもいの方が強すぎる・・・・のか。

 人の顔を持つ化け物が「ひひひ」と嘲笑う。


『お前も……力が、欲しいダロウ?』

「俺は!」

いな、と言うナラバ、今ノ、お前の力で振り払ってみろ』


 剣は無い。

 精霊の気配も感じられない闇の中で、化け物は膨らみ、サナトを飲み込もうとしていく。


『力が、アレバ……ねじ伏せラレル……ゾ』

「……ザビリス」

『オマエハ、ゆるせナイはずだ。奪う……モノたちが』


 ひひひひ、と引き攣れた嗤いが響く。

 サナトの中に入り込んでくる。


『……コノ世は……奪うか、奪われるか、ダ。目に見える力が・・・・・・・、全テヲ制すルのだ』


 強制魔法を使ったように、今一度、力で捻じ伏せてみよと囁きかける。


『力を得れば……世界ノ、王にも、ナレルぞ……』

「俺は……」

『喰えばイイ……力を……』


 飲み込まれる。同化していく。

 恨みと悲しみ、虚しさと怒りが押し寄せる。押し返せない。


「……ぐ、うぅぅぅう……」


 心臓が痛い。闇が濃くなる。

 意識が――遠くなっていく。

 虚ろになっていく感覚の中で、ゆるせないものがあるだろうと、声がする。それは森を蹂躙するものであり、命の自由を奪うものだ。ささやかな幸せを踏みにじるものだ。


 ザビリスが耳元で囁く。



『お前も、こちら側に来い……』



 妖魔を呼ぶ、呪われた子よ――と。



「俺は……妖魔を呼ぶ」

『そうだ』


 戦うためには力がいる。

 力があれば、敵を、捻じ伏せられる――だがサナトの胸の奥底で、違う、と叫ぶの、声が……する。




 ふと、目の前の闇を、碧くきらめく蝶がよぎった。




 サナトの背中から白い腕が伸びてくる。

 両手首に、いくつもの石を括りつけた腕輪が輝く。

 背中に当たる、柔らかな感触。

 そのまま、優しく抱きしめてきた。細く白い指の先が、サナトの胸の中心で重ねられる。清らかな声が響く。


みず御魂みたまよ、心の闇よりまなこの光と耳の調べに、今を知る……」


 レラだ。

 フィオレラの唄文ばいもんだ。


 焼け爛れた大地に降り注ぐ慈雨のように、優しく、優しく、声が届く。

 サナトの耳に届いていく。

 胸の奥を、切なく、締め付けていく。

 サナトは一人きりではない。孤独では、ない。


「レラ……」


 一度瞼を閉じて、そしてゆっくりと開く。

 そこにはまだ、歪みであり淀みであり、澱となったザビリスのおもいがこごっていた。


「これが……人が妖魔になっていく姿だ」


 自分に言い聞かせ、呟く。


 この力は、敵を捻じ伏せるためにあるのではない。

 サナトにザビリスを救うことはできない。どんなおもいも肩代わりすることはできない。ただ、精霊せかいの一部に戻すだけである。

 サナトは唄文を唱える。


「……水の、其のものの流れ整え、火の、穢れは光と還る」


 ゆらり、とくらい澱が揺れた。


「風の、其の自由を示せ、土の、受け入れたもう……剣に宿り炎となりて穢れを灰に、気枯れを――」


 声が詰まる。

 それでも、願いの全てをのせて言祝ことほぐ。



「精霊たちの、もとに」



 その瞬間、サナトを中心に渦巻いていた風が天に昇った。

 暗く厚い雲を押しのけ、雲間から光の柱が降りる。炎は花びらとなって散り、大地の鳴動が鎮まっていく。

 さらさらと、優しい雨が王都を包み始めた。

 地上に宝石をき散らしていくかの如く、光が満ちていく。


 闇からめた目の前には、王都アルダンの広場が広がっていた。

 地面は石人形ゴーレムに掘り返されたように崩れている。屋台があったのだろう、幾つかの小さな店も無残な姿をさらし、崩れていた。


「サナト様」


 優しい声が名を呼んだ。

 背中から抱きしめていた人の声に、サナトはゆっくりと振り向く。

 自分を見上げている、薄桜色の髪と、宵の空のような青い瞳の少女。胸元には同じ青い結晶石が揺れている。

 不安げに揺れる瞳に、サナトが呟く。


「……フィオレラ……」


 不意に、少女の顔がくしゃりと歪んだ。


「お帰りなさい……サナト様……」


 透き通った瞳から、透明な滴が溢れだす。


「……声が、聞こえた……」

「ずっと呼んでいました。向こう側に、行ってしまいそうで……無事、戻ってきました」


 そのままもう一度強くサナトを抱きしめてから、顔を上げる。


「……初めて、私の名を呼んで下さいましたね」


 瞳を濡らしながら、輝く笑みになる。

 サナトは、あちら側――澱の渦巻く世界にちず、戻ってきた。戻して・・・くれる人が、側にいた。


「レラ……」

「はい」


 柔らかく微笑む頬に指先で触れる。自然と、サナトも笑みになる。

 そのまま……意識が、遠くなっていく。

 ガラン、と音を立ててサナトの剣が倒れた。

 その剣を追うようにサナトの体から力が抜けていく。レラの腕が、意識を失っていくサナトの体を支えた。


「サナト様っ!?」


 レラの声が遠くなる。

 けれどもう、そこに、身を裂くような寂しさは無かった。






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