3 第35話 魔法円と碧き蝶

 アーニアとジーノも気配に目を覚ましたのだろう、同じように並んで魔法円のサナトを見守り始めた。


 サナトは魔法円の中心で片膝をついたまま右手を下し、直接、大地の精霊に語り掛ける。この一帯の精霊たちの活力を取り戻すため、手を貸していいか。自分には可能かどうか。

 精霊の声は遠い。

 存在は確かにあるのに答えが得られない。

 やはり、今のままで問題なく機能しているのならば、人の都合で手を出さない方がいいだろうか――そう、サナトが思い始めた時、魔法円の中心に小さな光が寄り集まっていった。


 水面に輝く月の光のような……どこまでも清らかに、碧く澄んでいる。

 光は粒となり、やがて一つの形を取り始めた。

 深淵の森やいわおの魔獣と出会った参道、クタナ村でも見たあの碧く輝く蝶だ。

 サナトが迷う時、または精霊がおもいを伝えようとする時、決まって姿を現す蝶はおそらく、精霊たちが編み上げた魔法の一つなのだろう。

 触れれば掻き消えるような儚い蝶は、輝く魔法円で羽根を広げ、閉じを繰り返し、ふわりと舞い上がる。その様は、迷わずともよい、と静かに伝えているように見えた。


「ありがとう……」


 そのまま碧い蝶は礼拝堂の高い天井まで舞い飛び、目を瞬いているうちに消えてしまった。屋根か壁のどこかに隙間があったのだろうか。それとも魔法でできた姿ならば、変幻自在なのだろうか。

 サナトは静かに目を閉じ、精霊の微かな声に耳を傾ける。


 片手は魔法円についたまま、自然と、口を突いて出てくる唄文を唱える。それは力を引き出す魔法を唱えるものでなく、懐かしいうたそらんじるように思えた。

 白や黒の玉石や蒼、紅、翠と黄金こがねの、色とりどりの鉱石を敷き並べた細かな模様が、ゆっくりと、呼吸するように明滅する。

 硬いからを破るように。眠りから目覚める瞬間のように。

 そして最後の音を口にした時、魔法円から溢れる光が更に大きく膨れ上がり、一気に、花開くがごとほころんでいった。

 雨が止む。

 雲の切れ間から夜明けの朝陽が射し始める。

 陽は金色の光となって、礼拝堂から周囲の村、森、山々を照らしていった。

 見守っていた者たちは窓の外の眩しさに目を細める。


「すごい……」


 感嘆の声を漏らしたのは、誰か分からない。それは、その場を見守っていた者全員の声だったかもしれない。

 レラが微笑む。


「気配が変わりましたね」

「ああ……」


 立ち上がり答えるサナトへ、ニノが興奮気味に声を上げた。


「これは、僕にもできるでしょうか!?」

「精霊の声を聞き留め、魔法円の力を借りるのなら、誰でもできるだろう」


 屈託のない声に苦笑するサナトは、少し、バツの悪い顔になってニノに言った。


「昨夜は、言葉が乱暴だった」

「えっ……?」

「人それぞれに事情がある。危険を冒しても、やらなければならない時もあるだろう。悪かった」


 そう言って、ふいと視線を逸らした。

 ニノは、きょとんとした顔でサナトを見ていたが、不意に破顔はがんしてから一言。


「サナト様って、ホント可愛いんですねぇ」

「ふふふ、ね? そうでしょう?」


 目を細めたニノに、レラが相槌を打った。


「……は?」


 一瞬、何を言われたのか分からず声を上げる目の前で、レラが笑いを堪える。見ればアーニアもニヤニヤしている。

 昨夜皆と話をしていた時、レラがサナトのことを話したのだ。


「お前は、俺の何を吹き込んだのだ!?」

「いいことしか話しておりませんっ!」


 笑いながら逃げるレラ。

 ムーや馬たちの側で、ナギは呆れたように、一つ大きなあくびをした。


     ◆


 雨上がりの廃村は、黄金の朝陽の中で光り輝いていた。

 昨日この村に来た時との違いは、厚い雲が切れ晴れている、ただそれだけのなのに目に映る全てが生気に溢れている。例えるなら草花の種が硬い殻を破り、鮮やかな緑の芽を出したかのようでもあった。

 軽い食事を取ってから出立の準備を終えた一行は、礼拝堂の外の空気を胸いっぱいに吸い込む。


「なんだか、空気も美味いですね!」


 仲間のニノに肩を借りながら軽く足を引きずる、名をファビオ・ディ・ティロルという怪我をした兵士は、礼拝堂の外に出て明るい声を上げた。そしてすぐ悔しそうに顔を歪める。


「あぁぁ……こんな凄い魔法だったなんて……見たかったぁ……」

「ファビオが、ぐーぐー寝てるからだろ」

「そこは引っ叩いてでも起こしてくれよぉ~。すっげぇスッキリして、熟睡していたんだからさ」


 ファビオの嘆きにニノが苦笑する。

 残っていた僅かな淀みを戻したことで体が整ったのか、いつになく眠り込んでしまったファビオは、朝方、サナトが魔法円を使って精霊の力を取り戻したさまを見逃していた。

 くらの準備をするアーニアが呆れた声で叱責する。


「遠征で眠りこける者がいるか、馬鹿者め」

「アーニア様、怪我している者にも厳しい……」

「それこそ鍛え方が足りんのだ。怪我が治ったら覚悟しておけ」

「ひぇえええぇぇ……」


 半泣きで馬に乗る。その後ろにニノが同乗して、空いた一頭をお目付け役のジーノが連れてきた。


「このまま西に向かうのなら、ベスタリアの王都アルダンまでは同じ道筋になる。勿論、我々と別行動することもできるが、道は一本だ。馬で行けば昼頃にはトルゴの町に着くだろう。美味しい店に案内もできるが、どうだ?」

「行きましょう! 骨付きの美味い肉が食えます!」


 元気なファビオが馬上から声を掛けた。

 サナトはレラと顔を見合わせる。

 別行動を、とここで別れることもできるが、一本道ならば敢えて離れなければいけない理由も無くなった。更に言えば、サナトにとってクタナ村以上に、人も家も多い町は生まれて初めてとなる。


「お前が嫌でなければ……俺は、構わない」

「嫌なんてこと、ありませんよ!」


 ぶっきらぼうなサナトに、嬉しさを隠さず答えるレラで行動は決まった。

 ジーノは「よければ使え」と、手綱を持っていた馬をサナトへ寄越よこした。

 レラにはムーがいる。

 走ろうと思えば他の者たちと歩調を合わせるのは可能だが、皆の様子を見れば、一人だけ馬に乗らないというのも不自然なのだろう。

 渡された手綱の馬は眉間に白い模様のある栗毛で、穏やかな顔つきをしている。

 サナトはじっと、その黒い大きな瞳を見つめた。


「サナト様、馬は初めてですか?」

「森に迷い込んだ馬を見つけて外まで案内をしたことはあるが、騎乗したことはないな。子供の頃、大鹿にいきなりよじのぼって振り落とされたことがある。二日は動けなかった」

「馬の尻尾に鈴をつける悪戯いたずらをしたこともあると、言っていましたね」


 クタナの村人の話だ。気まずい。

 皆が顔を見合わせている。

 レラは気を利かせる様に手を伸ばした。


「でしたら、私と一緒にムーに乗りませんか?」


 にこやかに誘う。

 だが、その横で、栗毛の馬は両耳をサナトの方に向け、目を細めて鼻先を近づけてきた。軽く頭を上下させながらすり寄る様子は、ムーやナギと同じだ。

 初めての相手だというのに、栗毛の馬は心を開いている。


「いや、この子が乗せてくれるそうだ」


 サナトは首の付け根辺りを二度三度と撫でてから、手を鼻先に近づけた。


「いいか?」

「ぶひひっ!」


 まるで喋ったかのように声を上げたのを見て、サナトは笑みを返した。


「乗り方は分かりますか?」

「お前たちの動きを見て覚えた」


 そう言って、左手に手綱とたてがみを持ちあぶみに足をかける。馬の耳が軽く右を向いたのを合図に、ふわり、と飛び乗った。

 視界が高く広くなる。思わず息を飲む。馬が耳を向けた様子を見て、そのまま「よしよし」と首元を撫でた。

 傍観していたアーニアが、面白いものを見たとでもいうように声を掛けてきた。


「初めて乗ったようには見えないな」

「そうか? 声を聞けば、力を入れる頃合いは教えてくれる」


 栗毛の馬はすっかりサナトが気に入ったのか、耳を横に向けて仲間たちの方に歩き出す。

 一行は常足なみあしから速足はやあしの速さで、街道を西へと足を向けた。






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