3 第36話 街道の町トルゴ

 ベスタリア王国は、その国土の多くを山と森と河に覆われている。王都の東、街道沿いに見る景色がそれだ。


 林や小さな森と、岩山の牧草地帯が入れ替わりに広がる。徐々に廃村ばかりではなく、のどかに草をむ山羊や羊駝ラマが姿を現し、小さな石造りの家が点在する村も見え始めた。

 畑や牧草地から顔を上げる街道沿いの人々は、馬で連なる隊と、大きな銀狼の姿を見て驚く様に手を止める。それでもおののき逃げ出す様子は無く、暮らしは穏やかに見えた。


 東のクーライ大連峰から連なる――濃緑から淡黄、乳白まで色を持つ鉱石が採れる渓谷の河、ネフラ河を東の国境として、牧畜を主とするのが東の領地だ。そこからネフラ河はベスタリアの北東を囲むように流れ、中流となる北の領地は対岸に広大な深淵の森を望みながらも、水の恵みが多く豊かな土地となる。

 河はやがて蛇行しながら大きく二手に分かれる。

 一方は険しい山々と深淵の森の西を抜け、北海に至るといわれていた。そしてもう一方は王都の西に流れ込み、麦などの穀倉地帯となる。更に幾筋にも分かれた河はやがて広大な湖や湿地帯となり、南の方へと広がっていく。


 河が涸れた南の果ては、魔物が跋扈ばっこする荒野である。

 荒野の更に向こうは、かつて多くの国があったと言われていたが今は国交もなく、命知らずの冒険者が挑む程度とサナトは聞いていた。


「三百年を超える昔、王都の南西から西の果て一帯は、数多あまたの国がひしめき合っていたそうだ」


 馬上からアーニアは国の、今の様子を語る。


「けれど人の住める場所が少しずつ狭まり、その中で戦争をして土地は穢れ、住む場所を失い、また人を減らし……と繰り返してきたのだ」

「今、この一帯で王国と呼ぶのは、ベスタリアとダウディノーグだけですものね」


 レラが返す。

 アーニアは緩やかに波打つ濃紅こいくれないの髪をなびかせ、真っ直ぐ行先を見つめながら頷いた。


「小さな集落ならばいくつか残る。遠く、南の荒野もかつては人が暮らし、麦の穂が揺れる豊かな土地だったという。けれど今は蕾をつける力も失った草が、地を這うばかりだ」

「西も……」

「うむ。今年の実りは豊かと耳にしているが、年々草木が育ちにくくなっている。特にダウディノーグとの国境にある山の麓は、南の荒野と同じだ」

「それらを見てまいりました」


 レラが俯きながら、ムーの上で答えた。


「ベスタリア一帯から深淵の森やクーライ大連峰が、世界に残された最後の緑溢れる地なのではないか……そう、思えるような様です」

「正に。……西の大国がもう少しマシであったならな」


 表情を硬くして言うレラに、アーニアは苦笑を漏らした。

 苦笑というよりは失笑という方が近いだろうか。


「ダウディノーグ国王は今、病に伏せっているという。国王亡き後は、唯一の王子、ラ・クロードが王位を継承することになっていると聞くが……どうなることやら。アレはダメ・・だからな」

「アーニア様、そのようなことを言っては風に告げ口されます」


 快活なアーニアの声を従者ジーノが軽くたしなめる。

 だが、アーニアは明るく笑い飛ばして言い切った。


「風の精霊は私の味方だ。何を言おうと、奴には届かんさ」


 そんな話している間に太陽は南へ上り、一向は街道の町、トルゴへと到着した。


     ◆


 町を囲む石壁があり、左右に門番を配置した鉄の扉が開かれている。

 門の手前で馬を下りた一行は、手綱を引きながら、頭を下げる番兵に手を上げて答えただけで町に入った。レラが驚く顔で声を漏らす。


「何の改めも無かったのは……アーニア様とご一緒させていただいているからでしょうか」

「あぁ……そうだったな。通常、旅人は門で身分の改めがあった」


 思い出した様に答えて、ずっと傍観していたサナトに声を掛ける。


「我らといると、楽であろう?」

「楽かどうかは分からない。そもそも、身分の改めとはどういうものか知らん」


 アーニアの自慢げな顔にサナトはさらりと返す。

 レラが、苦笑しながら説明した。


「大きな町では門の所で、どこから来た誰なのか、申し出て身元の確認をすることが多いのです。その時、身分を示す証書や家柄を示す紋章を持っていると、改めの時間が短く済むのですよ。サナト様は森を出る時、里の方から頂いた荷物の中にそのような物はありましたか?」


 旅に必要そうな細々としたものはあったが、身分や身元を示すようなものは記憶にない。

 首を横に振って答えると、「でしたら」とレラは続けた。


「クタナ村の村長に頂いた紹介状が、使えるかもしれません」

「そうか、ありがたいな」


 そう答えながら、左右に広がる景色に目を向けた。

 四、五階までの高さがある、煉瓦れんがの家々が続いている。一階は多くが扉を開け、入り口や内部に様々な品を並べていた。見れば大きなかごには新鮮な果物や野菜、綿花や羊駝ラマの毛から紡ぎ出した色鮮やかな織物で溢れている。

 木々や蔓を使った加工品や工芸品。陶物すえもの

 そのどれもに独特な文様が描かれている。


 町を縦横に伸びる道は所々苔生こけむしてはいても、綺麗に敷き詰められた石畳となっていた。その道のあちこちで大きな荷物を持ち行き交う人と、抱えるほどの大きさの手篭に様々な品を入れ、道行く者を呼び止める人もいる。

 その中の一人の少年と目が合った。


「お兄さん! ホトはどう? 一つ十クリュウでいいよ!」

「ホト?」

「これこれ! 木彫りの鳥、言葉を届けてくれる精霊が宿るお守りだよ!」


 一つをサナトの目の前に掲げながら、歯の抜けた少年が笑った。

 大人の親指ほどの小さな木彫りに、黒く円い目玉と背に鮮やかな絵柄が描かれている。

 独特の細かい線は色鮮やかで、この地域の固有の物なのだろう。レラがよく羽織っている赤い布の織物や、クタナ村で見た家々や家具の文様とも異なっていた。


「大好きな彼女に愛の告白をする時にピッタリ! 一個は持ってないと!」

「あぁぁぁあ……サナト様、行きましょう!」


 数歩先を行っていたレラが慌てて引き返し、サナトの腕を抱え込んで引っ張った。


「必要の無いものでしたら手にとってはいけません」

「何故だ?」

「綺麗なお姉ちゃん! 一個買ってくれよ。八クリュウにまけとくからさ」


 答えようとするレラの言葉を遮るように、少年は悲しげな顔を向けた。

 突然現れた邪魔者に素早く戦略を変えた少年を見て、レラは一瞬、驚いた表情を見せた。けれど直ぐににっこりと微笑み返し、落ち着いた声で答える。


「二クリュウなら考えるわ」

「ひでぇ、七でどうだ!」

「食事もご馳走してくださるのなら頂こうかしら」


 これは無理だと悟ったのか、少年は「もういいよ」と口を尖らせ行ってしまった。

 道の向こうで、アーニア達は既に目的の店の前に辿りつき、馬を預けながらこちらを見ている。世間知らずがさっそく物売りの手にかかったと見て、笑っているようだ。

 馬を預け終わったアーニアだけが、呆れたような声をかけてきた。


「何をやっているのだ」

「お優しいサナト様が、町の子に捕まりそうになっていたものですから」

「物売りか」

「物売り……?」


 アーニアの言葉にサナトは呟き返して、道の向こうに消えていった少年を見やる。クリュウは確か、お金の単位だったと今になって思いだした。

 サナトはやっと理解したという顔で、レラたちに向き直る。


「あぁ……そうか、あの少年は物を売っていたのか」

「そうです。間違っても道端の物売りから、安易に受け取ってはいけませんよ。買ったことになってしまいますから」


 町では売買という行為があることは聞いていたが、作法までは知らなかった。

 サナトは頷きながら、腕を引くレラに確認する。


「売るということは……お金を得て、日々の暮らしの糧にするのだな?」

「そうです。生活の全てが自力で賄えるわけではありませんので、自分にできることをお金に替えて、食べ物や衣服などを買うのです」


 深淵の森では、ほぼすべて森の中の物で賄っていた。

 元々暮らしていた森の人が、二十を数えるほどもいなかったせいもある。もし足りないものがあっても、年に二度、クタナ村から供えられる物で十分事足りていた。

 これほど多くの人が集まって住む場所では、野の獣だけでは足りないだろうし木の実も限りがある。畑や家畜のある者がそれらを売り、衣服も住む場所の修繕にも、お金に替えて暮らしているのだと理解した。


「そうか、では俺も金が無くなった時は、ホトを作って売ればいいのだな」

「サ、サナト様はそのようなことをなさらなくても、大丈夫です!」


 へたれ込みそうになるレラはサナトを引きずるようにして、アーニアたちが待っている店へと入って行った。






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