3 第32話 都合のいい魔法

 それぞれが他愛ない言葉を交わしている内に、一行は小さな村に辿り着いた。

 規模はクタナ村より小さく家の造りは似ていても、アーニアが「廃村」と口にしていた通り人の影は無い。それどころか精霊の気配までもが薄い。そこここに緑の樹々もあるし虫の声も聞こえるが、どれもが息を潜めている、といった様子だ。

 翡翠ひすいに煌めく深淵の森とは雲泥の差である。


「何故、こんな状態になっているのだ?」


 サナトがうめく。

 空の雲が厚く陽の光が乏しいのだとしても、生気が弱い。

 サナトの呟きを隣で聞いていたレラは、同じように声を小さくして答えた。


「ここは、まだいい方だと思います」

「どういうことだ?」

「サナト様、これが森の外で多く見られる世界なのです。精霊がいないわけではない、けれど、どこか怯えているような……力の無い姿なのです」

「王都もか?」

「いいえ。人が多くいる街であれば、ある程度、精霊たちも生気を取り戻すようですが、人が捨てた村や町はよけいにこのような様子になるのです」


 サナトは難しい顔で周囲を見渡した。

 広場の向こうで馬を下りたアーニアが声を掛ける。


「お前たち、こちらだ!」


 呼ばれて仕方なくサナトは足を向ける。そこは、村の中央近くに建てられた礼拝堂だった。


     ◆


 大きさはクタナ村の作業場に近いだろう。音を立てて開いた扉の内部は、高い天井と大きな窓、左右に白茶けた柱が並んでいた。足を進めると火をおこす大きな鉢があり、正面の奥は階段状のだんになっている。

 がらんとした何もない空間である。

 真っ直ぐに進む、床の中央に白や黒の玉石や色とりどりの硝子を敷き並べて円を描く、細かな模様があった。誰に説明されるでもなく、ここは精霊たちをまつる、里で言う大社おおやしろのような場所なのだとサナトは理解した。

 朽ちかけていても他の建物と違い、人の手が入り補修されているようだ。

 街道を行く者たちが、ここを休む場所として利用しているのだろうということも想像がついた。


「火を熾し手当ての準備を」


 ジーノの号令に従い、兵士たちが手際よく動き始める。

 他に使えるうまやが無いのか、礼拝堂の中にまで馬やムーを入れる様にと促された。


「魔獣が出るかもしれない、その用心だ」


 ジーノが短く説明する。

 魔獣もだが、飢えた山の獣が狙わないとも限らない。銀狼のナギが居れば無用な心配であっても、通常、人気ひとけのない廃村ならば、目の届く場所に置いておくのは道理と言えた。


「初夏とはいえ山の、しかも雨の夜は冷える。今、火を入れるから、アーニア様の側でゆっくりするといい。食べ物も足りなければ分けることができる」

「ありがとうございます」


 レラがにこやかに答えて先を行く。

 続くサナトはこのジーノという、彫りの深い顔立ちと、青みがかった灰色の髪の男に取り巻く精霊の気配が気にかかっていた。

 端的に言えば「違和感」の一言でしか言い表せない。ただ、どこにどう違和感があるのか、言葉にすることができない。体内におりを溜めた魔人としての気配でも無い。

 今見せている姿の他に、何か隠している顔があるのではないか。

 アーニアよりはるかに年上に見える、おそらく二十代の終わりと思われる男に、サナトは警戒心を持ちながら訊いた。


「お前は騎士なのか?」

「私か? 騎士の真似事もするが、主だった役目はアーニア様のお守りだな」


 のんびりと答える。どこかつかみどころがない。


「サナトと言ったか、お前こそ魔法剣士なのか?」

「俺は……」


 言葉を切る。自分が何者なのか、はっきり自覚していなかった。


「俺は精霊に導かれて行く、ただの旅人だ」


 レラがそう説明していたように答えた。

 互いに腹の底を探り合っているような感覚がある。

 サナトは余計なことまで口にするまいと、歩調を速めジーノの側から離れようとした。その時、怪我をした兵士に手当てをしようとする者の周囲で、精霊が歪んだ。


「何をする!」


 思わず声を上げて駆け寄り、傷口にかざす手を強く掴みあげた。

 どよめく者たちの中で、アーニアが落ち着いた声を返す。


「怪我を治すための治癒魔法だ」

「この程度の怪我に、強制魔法は必要ない!」

「強制魔法?」


 言葉を無くす人たちを前にして、サナトは大きくため息をついた。

 森の外では治癒の呪文が多く使われていると聞き知っていたが、これほど安易に強制魔法を多用していたなら、周囲の精霊たちに影響があるのも当然だ。

 力を抜いて手を放したサナトは、どうしたものかとうな垂れ、片膝をつく。

 アーニアがいぶかしむ声で、もう一度訊いてきた。


「強制魔法とは何だ?」

「精霊を、無理やり使役する法だ」


 サナトが顔を上げる。

 居合わせた人たちは言葉の意味がよく理解できていないのか、戸惑う顔で見合わせている。


「ジーノ、知っているか?」

「古い文献にある名称ですね。今はその呼び名を使っていません」

「何故だ?」

「精霊は人が使役するものだからです。当たり前のことだから、敢えて強制・・の言葉を取ったのでしょう」


 アーニアの問いに、灰色の髪の従者は淡々とした声で答えた。

 その目の前で、サナトが短く否定する。


「違う」

「違う?」


 訊き返したのはアーニアだ。

 サナトはもう一度ため息をついてから、静かな声で答えた。


「使役しなければならない場合もあるが、精霊は、この世界そのものだ。そもそも人間ごときが、思うがままに扱えるようなものでは無い。羽虫が人を操ろうとするようなものだ」

「だが、使える魔法を使って何が悪い?」


 アーニアは分からないのか。以前、深淵の森の里で、レラにも説明したことだ。

 同じことをここでもまた繰り返し言わなければならないのだろうかと、そう思う横にレラが並んで膝をつき、穏やかな声で取り囲む場の人たちに話しかけた。


「サナト様は、新たな妖魔を呼びかねない行いを、お止めしただけです」

「妖魔……魔物のことか? 魔法が悪しき物を呼ぶ行為だと言うのか?」


 アーニアが怪訝けげんな声で訊いた。

 笑みを乗せたままレラは頷き、答える。


「はい、何故、正しい魔法の在り方が失われてしまったのかは分かりませんが、魔法には種類があるのです。精霊にお願い・・・をする穏やかな魔法と、強制的に従わせる・・・・・・・・魔法。後者は効果が高くとも、危険が伴うものなのです」


 兵士たちが騒めく。そのような話を聞いたことがないのだろう。

 レラはサナトに会う前の自分を思い起こすように、苦笑しながら続けた。


「魔法というものは、時と場合と使い方や頻度によるのだと、サナト様は仰いました。今は、強制的に精霊を従わせる魔法を、使う必要がない。そうご判断して、皆さんの安全のためにお止めしたのです」


 レラの声はまるで唄文のように、響き渡った。

 正直なところをいえば、この目の前の兵士のため……というよりは、新たな妖魔を生みたくない気持ちの方が大きい。だが、微笑みながら顔を覗き込むレラの言葉を、敢えて訂正する必要は無い。サナトはそのまま口を閉ざした。

 一方、兵士たちの方は戸惑うばかりだ。

 手当てといえば、いつも治癒の呪文で終わらせていたのだろう。怪我をした者は、うろたえる様な顔でサナトに訊いた。


「だったら、どうやって怪我を治したらいいんだ?」

「どうやって……だと?」


 さすがに呆れたサナトは声を上げる。

 この者は今まで一度も怪我をしたことが無い、とでも言うのだろうか。


「眠れ! 休め! 痛めた体を労われ!」

「それでは時間がかかる」


 口を挟んだアーニアに、サナトは怒気を含んだ声で言い返した。


「怪我や病気の治癒に、時間がかかるのは当たり前だ! その間、自由に動かせることに感謝して生きろ! そんな当たり前のことも知らないのか!?」

「サナト様」


 飛びかかる勢いのサナトを、レラが押し留める。


「サナト様、どうぞ気をお鎮め下さい。ナギが殺気だっております」


 言われて振り向く。

 サナトの数歩後ろで牙を見せながら、こいつらは敵か? とでも言うように、じっとこちらを見つめている。唸り声こそ堪えているが、サナトが一言「行け!」と命じたなら、この場の者たちを喰い殺しそうな気配だ。

 サナトは腕を抑えるレラを見て息を吐き、体の力を抜いた。


「わかった……気を荒立てないよう気をつけよう」

「ええ」


 レラが頷く。

 サナトは改めて兵士やアーニアの方に向き直り、ゆっくりと説明を始めた。


「治癒に時間がかかるのは、それ自体に意味があるからだ。意味を理解しようとせず、ただ楽にと事を急げば必ず報いが来る。報いは妖魔という形で知ることになる」

「妖魔というのは……」

「魔人や魔物、魔獣でもない……周囲を穢す、歪みであり澱でもある化け物だ」


 徐々に言葉の重みを理解し始めてきたのか、皆の顔が青ざめてきた。

 サナトは治癒を施そうとしていた方に顔を向けて尋ねる。


「お前は、いつもその様な魔法を使って、体や心に不調を感じたことは無かったのか?」

「えっ?」


 突然声を掛けられた兵士は、しばし戸惑うように視線を彷徨わせてから、意を決したように答えた。


「多く魔法を使った時は……ひどく体が怠くて、寝込むこともあります……でも、それは私の鍛え方が足りないのだと」

「違う。明らかに必要のない場で魔法を使った反動だ。鍛え方云々の話ではない。無理を続ければ命を縮めるか、魔人や魔物になりかねない。最悪妖魔と化すこともありえる」

「ひっ……」

「サナト、我らを脅かさないでくれ」


 アーニアがたしなめるよう声を挟む。


「脅しではない。必要以上に使い続ければ、澱は相手や術者の体に溜まる。その結果、人の形を失った者たちと俺は暮らしてきた」


 思い出しただけで、サナトの目元は歪む。

 深淵の者に暮らす森の人が、自分の過ちについて語るのは辛いことだっただろう。けれど彼等は心と体の痛みに堪えながら、サナトに様々な話をしてくれた。

 森の外に暮らす者は誰もが精霊の声を聞き取れるわけではない。

 人にとって都合よく魔法を使うため。もしくは、使わせるために正しい魔法の知識を伝えない。

 意図的に真実を隠したり、歪曲されているとの忠告は、先程ジーノが言っていた「敢えて強制・・の言葉を取った」という話を裏付けるものだった。






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