3 第31話 探り合い

「私はアーニア。ベスタリアの者だ。お前、名を何という?」

「サナト――」


 快活な笑みを浮かべた顔に、サナトは眉間の皺を深くして答えた。

 クタナ村の声聴き、グルナラを通して精霊から頂いた名前の続きが喉に詰まる。精霊が、今はまだ全ての名を明かさずともよい……と言って止めたような気がしたのだ。

 敢えて隠さなければならないものでは無い。ならば必要な時期が来れば、伝えることになるだろう。そんなサナトの心中に気付く様子も無く、アーニアは隣に立つ者の方へと顔を向ける。


「サナトか。その女は?」

「皆にレラと呼ばれております旅の者でございます。先ほどは、ご無礼をいたしました」


 サナトの隣で丁寧にお辞儀をするレラもまた、愛称でのみ答えた。


「サナトたちは、いつも、あのような戦い方をするのか?」


 問われても答えに詰まる。

 そもそも魔物や魔獣とは、よほどのことがないかぎり戦いにはならない。人に強い恨みを持っているか、もしくは人の側が先に手を出したり縄張りを荒らしたりしなければ、彼等は無闇に攻撃してこないのだ。

 まれに妖魔になりかけて、我を忘れるほど心を失いかけた魔物と遭遇することがあっても、今の様に、心を鎮めて意思を交わすことができれば大事には至らない。


 東へと旅立った魔物が黒い霧の様なおりを纏わりつけていたのは、おそらく目の前の兵士たちが強制魔法を使ったせいなのだ。

 彼等の前に割って入った時、確かに気配が残っていた。

 もし兵士の側が魔物の見かけの姿に驚き恐怖を持って先に手を出したのなら、「いつも、あのような戦い方をする」とは答えられない。

 口を閉ざし答えないサナトを見て、アーニアは鼻を鳴らす。レラはそんな二人を見比べてから、静かに答えた。


「私たちは戦いを好みません」

「なるほど、簡単には手の内を明かさぬか。ならばそう言うことにしておこう」


 アーニアはさほど気にする様子も無く、笑みを返す。

 本当に気にしていないのか、今は問い詰めない、と考えを切り替えたのかは分からないが、厚い雲が割れ陽が差し始めた空を見上げて、好奇心を隠さずに問う。


「それにしても面白い魔法だ。天を操ったのか?」


 懲りない性格なのだろう。それとも問えば誰もが必ず答えると思っているのだろうか。どちらにせよ、アーニアは簡単にサナトたちを解放する気はなさそうだ。

 サナトは警戒心を滲ませながら、短く答える。


「天を操ることはできない」

「精霊たちが、願いに応えて下さったのです」


 補足するようにレラが続く。

 見上げれば、レラの言葉を合図にするように雨は止み始めていた。


「いずれにしろ、見事ですね」


 不意に声を挟んだのは、兵士たちの後ろで様子を眺めていた背の高い男だった。

 兜を脱いで進み出て来る。青みがかった灰色の髪の男は、アーニアと同じく他の兵士とは明らかに違う鎧の造りをしていた。周囲の兵士が自然と道を開く様子から、上位の身分の者なのだろう。

 今の争いに対して、手を出すどころか口も出さずに傍観していたのだ。

 サナトたちの戸惑いをよそに、男はアーニアに声をかけた。


「アーニア様、雨に濡れたままで立ち尽くしていても仕方がありません。魔物のうれいは消えたのでしたら然るべき場所に移動しましょう。この晴れ間は長くもたないでしょうから」

「そうだな、この先の廃村まで戻ろう。怪我した者の手当てもしたい」


 頷いたアーニアは、サナトたちの方に振り向いた。


「お前たちも来い。我々の手柄を横取りした理由でも聞こうか」


 有無を言わせない、無遠慮な口の利き方と剣を携えた鎧の者たち、というだけで印象が悪い。

 そもそも、この目の前の者たちを助けようという気持ちで飛び込んだわけではない。精霊たちの叫びを聞き留めて、魔物が妖魔と化すところを阻止したかっただけである。

 アーニアが、「お前たちも来い」と言った言葉に、サナトは答えず顔をらした。

 レラが心配するようにサナトを見上げる。


「サナト様……」

「俺は西に向かうだけだ」


 そう、短く答えるものの、東西に貫いた街道は一本のみ。敢えて道なき道を進もうとするのでなければ、結局は一行と行き先を同じくするしかない。

 しかもアーニアと名乗った騎士風の女は、「ベスタリアの者だ」とも明かしている。

 ベスタリア王国王城に蔵書されているだろう、魔拯竜に関する書物を探すのであれば、城へと繋がる人物も探さなくてはならない。


 一方、アーニアはそんなサナトの心情や態度を気にする様子も無い。

 怪我をした兵士の様子を確認してから、側の従者に声を掛けた。


「この程度ならば移動に問題はなさそうだ。ジーノ、馬を戻せ」

「は」


 ジーノと呼ばれた青みがかった灰色の髪の男は、軽い笑みで会釈をしてからよく響く口笛を吹き鳴らす。ややして、遠くの丘や林の間から、数頭の駿馬が駆けてきた。

 魔物との戦いに巻き込まれないよう、逃がしていたのだ。

 人と人との戦いならばいざ知らず、相手が魔物や魔獣となれば大抵の獣はすくむ。騎乗しての戦闘は適さないのならば、巻き込まれる前に逃がすのがいいのだと、サナトは里の者になった森の人もりのびとに聞いたことがあった。


 妖魔を呼ぶ澱が消えたことを感じ取り安心していた馬たちは、一瞬、大きな銀狼の姿を見ておののくように足を止めた。だが隣でエルクが平然としているのを見て安全と悟ったらしい。少し興奮気味に鼻を鳴らしながら、大人しく主の前に立った。


「よしよし、怪我や魔物の影響はないようだな」


 鼻先を寄せる馬たちの頬や首を撫でながら、一頭一頭に声を掛ける。

 馬たちや取り巻く精霊の様子を見るに、このアーニアという騎士風の女は、決して悪人というわけではないのだ。それでも先程の魔物への態度が、サナトの心を頑なにする。

 もしまた新たに魔物と見紛う者が現れたなら、この者たちは剣を向けるのだろう。そうなればサナトが敵対するのは、この目の前の兵士や騎士風の者たちになる。


 怪我をした兵士の騎乗を見守り、準備を終えると、手綱を引き歩く者を交えて、めいめいに西へと移動を始めた。

 見上げる空は、一度雲が切れて陽が差したのもつかの間、再び暗さを増していった。

 雨が止んでいるのも今だけで、また強く降り出すだろう。上空の風は強く、厚く暗い雲を押し流してくる。

 サナトの隣でムーに乗らず歩いていたレラも、同じように空を見上げた。


「今夜は降りそうですね」

「無理せず、どこかで早めに休む場所を見つけた方がよさそうだ」


 左右に点々と残る、人気ひとけの消えた小さな空き家を望む。

 サナトとレラ、そしてムーとナギだけであれば十分な大きさだが、遠目からでも壁や天井が崩れていることが分かる。強い風が吹けば雨水が漏る程度で済まないかもしれない。

 サナトたちの会話が耳に届いたのだろう。アーニアは濃紅こいくれないの髪を風になびかせながら、馬上から声をかけた。


「お前たちの休む場所は、心配はするな」


 先ほど、「廃村まで戻ろう」と言っていたように、休む場所の目星はあるのだろう。だが――。


「俺は、お前と行動を共にすると、了承した覚えは無い」


 不愛想にサナトは言い返した。

 側の兵が、「口の利き方を改めよ!」と声を荒らげる。

 だが、当のアーニアの方は不思議そうな顔で訊き返した。


「何故だ? 我らと居た方が安心であろう」

「そのような安心は必要ない」


 ムッとして言い返す。

 間に入ったのは先程のジーノという男だった。


「アーニア様、我らですら手こずり止めを刺せなかった魔物を、一撃で大人しくさせた者たちですよ。守られる心配など必要ないのです」

「む……そうだったな」


 つい普段の感覚でサナトたちにも言ってしまったのだろう。

 アーニアは「ううむ」と唸ってから、やはりサナトの頑なな態度などまるで気に留めていないように言い放った。


「やはり、お前たちは面白い。先程の魔法といい、何者なのか詳しく話を聞きたい」

「手柄を横取りした理由も聞くのでしょう?」

「そうそう!」


 ジーノの合いの手に、明るく笑い飛ばして言う。

 サナトは、益々眉間の皺を深くした。

 こちらがどうこうというのではなく、全ては、このアーニアの思う通りにことが進むと思っているようだ。

 独断的な態度はサナトが嫌う種類の人間である。嫌いではあるのだが、アーニアは尊大に構えていても明るく裏表がない。何を言われてもあまり気に留めないところもある。周囲の兵士たちだけでなく、精霊たちにも嫌悪の気配がないのは、そういった人柄によるのだろう。

 今まで会ったことの無いようなたぐいの人間だった。

 正直――どう接していいのから分からず、戸惑っている。


「サナト様……」


 レラが苦笑しながら声を挟んだ。


「アーニア様は不思議なお人柄の方ですね」

「あぁ……」


 レラにまでそっけない返事になる。

 サナトの不器用な様子に微笑みながら、レラは続けた。


「サナト様、もしお許しいただけるのでしたら、私、この方とお話してみたいです。今夜だけでも、ご一緒してみてもよろしいですか? あちらは怪我をしている方もいますし、何かお手伝いできることがあるかもしれません」


 馬上の兵士はさほど重症には見えないが、話をしてみたいというレラの希望を禁じる理由は無い。


「わかった。お前が望むなら、一晩だけでも行動を共にしよう」

「ありがとうございます」


 微笑むレラにサナトは視線を逸らした。

 ナギが「わふっ」と小さく声を上げ、尾を振る。

 そんな二人のやり取りを眺めていたアーニアが、馬上から素朴な疑問を口にした。


「お前たちは面白いな、どちらがあるじなのだ?」

「もちろん、サナト様です」

「そのようには見えないが……」


 即答するレラに、アーニアが顔をしかめる。

 レラは口元に手を当てながら、戸惑うようにサナトの袖を掴み、顔を覗き込んだ。


「サナト様、私……何か偉そうな……失礼な物言いをしているでしょうか?」

「俺は知らん」

「えぇぇ……ええーっ……」


 慌てるレラに、ムーが「ぶふっ」と息を漏らして頭を上下に振る。

 慰めているようにも頷いているようにも見える動きに、サナトは笑いを堪えた。

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