2 第17話 村に至る道

 翌朝、少しゆっくりと起きたレラは不思議な夢を見たと呟いた。


「荒涼とした、渓谷のようにも、所々天井の落ちた洞窟のようにも思える場所で、大切なものが待っている……と、いうような夢なのです」


 時に精霊の声を聞く者は、大切な報せを夢で見る。サナトと入れ替わりで水浴びから戻ったレラは、温かなお茶を受け取り、干した果実を齧りながらどうにか記憶を辿ろうと話し始めた。

 サナトには稀にしかないことだったが、レラにはよくあることらしい。

 深淵の森の方に足を向けたのも、眠りから覚める間際に見た精霊の囁きからだという。


「何が待っていたんだ?」

「それが、よく覚えていないのです。偉大で、とても大切なもの……としか」


 どこかの地で待っている精霊だろうか。

 夢の話なのだから要領を得ない。

 レラは肩を竦めるようにして苦笑いした。


「いつもそうなんです。夢の中ではハッキリと分かっていたのに、目が覚めた途端、思い出せなくなってしまって。水の中に落とした水晶のようにどんな形なのかも、曖昧模糊あいまいもこになるというか……」

「でも気になるのなら、それはやはり何か大切な報せなのだろう。夢が何を示していたのか、分かるといいな」


 薪の火を落とす準備をしながらサナトが答えると、レラは嬉しそうに微笑んだ。

 ――まだ、乾ききっていない薄桜色の長い髪が、朝陽を浴びて艶やかに輝いている。額から首筋を伝って落ちる滴。

 乾いた布を当てながら、じゃれつくエルクのムーに笑いかける。

 ふと、里で見た水浴びするレラの後ろ姿を思い出して、サナトは視線をらした。


「最初に辿り着く村は、どんな所でしょう」

「ん? あぁ……以前……切り立った山間やまあいにあると、聞いたことがあるような気がする」


 昔、長い旅を経て深淵の森へと辿り着いた森の人から、道中の話を耳にした。だが自分が森の外に出る日が来るとは思っていなかったサナトに、その時の記憶は曖昧だ。


「森の外の地理には明るくないが、確か……東の山脈に続く切り立った渓谷があるはずだ」

「まぁ、では夢はそこでのことを暗示していたのでしょうか?」

「かもしれない。行けば分かることだ」


 サナトは答えながら、先にまとめていた荷物をムーに括り始める。

 夕べはゆっくり休めたのだろうムーの機嫌はよさそうだ。ナギもやっと出発するのかと伸びをした。

 樹々の梢から見上げる空は青い。風の流れから見て、今日は暑い日になるだろう。

 薪の火を完全に消してから、一行は昨日辿った白い山道へと出た。


     ◆


 夏の虫が競い合うように鳴き始めている。既に大気はぬるく、乾いていた。

 そして今日も、ナギは皆を先導するように行く。


「ムーに乗らないのか?」


 並んで歩こうとするレラに、サナトは首を傾げた。

 上り下りを繰り返す山道に治りかけの脚では負担になる。道は中ほどまで来ているだろうが、一夜を過ごした場所が、祭壇の社から村までの間のどの辺りなのかも分からない。


「まだ無理をしない方がいいのではないのか?」

「そう……ですが、供の私ばかりが乗っては、申し訳ありません」


 ますます分からない。


「おかしな奴だな。供も何も、申し訳なく思う必要などないだろう」


 笑って答える。

 レラは変なところで遠慮をする性格なのか。それとも森の外では一人歩く者がいたならば、皆が合わせて歩くという決まりでもあるのだろうか。そうであれば、何と非効率で意味のない決まりなのだろうと、サナトは首を傾げる。

 歩みが遅い者、体力が無く怪我をしている者が騎乗するのは、当然ではないのか。


「俺は人との間の決まりごとを知らない。だが今は、俺の他に誰もいないのだから、楽をすればいい」

「……はい」


 ここで我を張っても仕方がないと考えたのか、レラは大人しくムーに騎乗して、手綱を持つサナトを見下ろす。


「……サナト様ばかりが歩いては、お疲れになります」

「俺はこの程度では疲れない」


 ナギと何日も森の中を走り回っていたのだ。

 朝から晩まで歩いたとしても、大した疲れにはならない。


「それに、ゆっくり歩いたとしても昼過ぎには村に着くだろう」


 深淵の森から近隣の村まで、徒歩で半日と聞いている。

 いくら現在地が分からず朝をゆっくりしていたとはいえ、陽が沈むまで歩くということはないだろう。――また、不意の争いでも起きない限り。

 サナトの心配を察したのか、先を行くナギが足を止め振り返る。

 鼻の鋭いナギが笑顔で尾を振るのを見れば、昨日のような心配は必要なさそうだ。レラもそれを見て安心したのか、明るい顔で、今まで見たもの知ったものなどを話し始めた。




 遥か西方ダウディノーグ王国までの間には、ベスタリア王国と、幾つかの領国が点在しているという。

 深淵の森と大河を経て隣り合うベスタリアの東は、険しい山々が続く起伏の大きい土地柄のため、平地で育つような穀物は少ない。その分、山の恵みは多く、牧羊などが盛んで国自体は豊かなのだと話した。


「昔は数多くの領国がひしめき合っていたそうです」


 長い戦争によって、今はベスタリア王国が周辺領を統括しているのだという。


「ベスタリアは小さな国だと言われていますが、私から見れば立派な王国です」

「西方ダウディノーグ王国とそのベスタリア王国以外に、大きな国はないのか?」

「遥か南方に幾つかあると聞きます。けれどその間は広大な荒野に隔てられ、人の行き来は多くありません。魔物……いえ、おそらく妖魔もいるのでしょう。危険も多いため、命知らずの冒険者が挑む程度と聞いております」


 国の大小を聞いても今一つその大きさを実感することができない。

 サナトは樹々より、灰色の岩肌が多くなり始めた道の向こうを見つめながら呟いた。


「深淵の森と比べたなら、どのぐらいの大きさなのだろうな」

「おそらく、サナト様の育った森の方が遥かに広いかと思います。少なくとも、森の向こうに人の住まう国がある……という話を、私は聞いたことがありません。この大陸の果てまで、森が続いているのではないでしょうか」

「そうか」


 森の人が行き来するのも、主に里の周辺と、祭壇のやしろまでの間。そして南から西にかけての森の境界を見回るぐらいである。その間ですら徒歩で半日から数日を要する広さがあるのだ。

 里より更に奥にある北の森は、ただ「深淵」と呼ばれ、旅立つ者以外足を踏み入れることは無い。

 森に住んでいた森の人ですら全てを知ることがないのだから、深淵の向こうは世界の果てと言われても間違いではないだろうとサナトは思った。

 それでもレラの興味は尽きない。


「ただ、以前、深淵の森の向こうに何があるのか、精霊に尋ねたことがあります」

「何と答えた?」

「太古の精霊たちが眠る、闇と氷の大地だと教えてもらいました。人が暮らせる世界ではないようです」


 小さく笑って答える。

 もし精霊から、深淵の森の向こうにも人の住まう国があると聞いたなら、レラは地の果てだろうと足を向けたことだろう。

 そんな話をしている間に、白い道の両側は、更に岩と草地が目立つようになっていった。草をむ獣がいる。野生のものではない――人が放牧しているように見える山羊や羊駝ラマが、一頭、二頭と微睡んでいる。

 村が近いのだろう。

 気がつけば陽は天頂近くまで昇っている。

 ずいぶんゆっくり歩いてきてしまった、と思う道の向こうに、人影があった。


 頭に日除けの布を巻き、色あせた半袖の上衣に足首までの灰色の下衣を履いている、浅黒く日焼けした顔の男だ。年は壮年というには若いようだが、無精ひげと落ち窪んだ目元が年齢を読みづらくしていた。

 手に家畜を追う細い杖を持ち、履物は薄く使い込まれている。

 身なりこそ素朴で汚れもあるが、立ち姿に疲れた様子は無い。

 おそらくこの先の村に住む者だろう。レラがムーの上からにこやかに声をかけた。


「こんにちは、この先の村の方ですか?」

「あ……あ、あんたらは、この道を真っ直ぐ来たのか?」

「はい、深淵の森から参りました」


 親し気な声で答えるレラを呆然と見上げ、そしてサナトやナギの方に顔を向けた。

 酷く驚いている。

 今来た一本道の先は、深淵の森の入り口となる祭壇の社しかない。その森に住まう森の人の多くは、人ならざるもの――魔物のような姿をしている。

 夏至や冬至の祭の時であっても、森の人が直接姿を現すことは殆どない。どのような姿をしているのか言葉では知っていても、異形の姿を目にすれば、たいていは恐れを抱くからだという。

 元は同じ人であったとしても。

 そんな森から来た者となれば、見た目は人のように見えても、恐ろしい魔物かと怖がられるのは仕方のないことだ。

 サナトの心情を察したかのように、レラが進んで問いかける。


「私たち、よければ村に寄って、お話など伺うことができればと思うのですが。訪問を許可していただけますでしょうか?」

「ひゃぁぁあ」


 突然、男は手にした細い杖を投げ置いて、道端にひれ伏した。

 レラが驚き声を上げる。


「あの……!」

「深淵の森を旅立たれたお方が、このような村に立ち寄って下さるとは!」


 男の言葉にレラとサナトは顔を見合わせた。

 一体、どのようなことになっているのか、分からない。

 二人はただ精霊たちに背中を押され、まずはこの道を真っ直ぐ、その先の村まで、と言われたからこそ来ただけである。


「どうぞ顔を上げてください」

「あ、あぁ……その、お迎えの使者も出さず申し訳ない。どうぞ、どうぞ、ご案内いたします」

「まぁ、ありがとう」


 にっこりとレラが微笑む。

 ムーはさして動揺せず、むしろナギの方が何事だろうと落ち着かない様子でいる。そしてサナトは村人の思わぬ対応に戸惑い、この場はレラに任せて後に続いた。






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