2 第18話 渓谷の村
道の両側の景色が緩やかに変っていく。
白い山道を挟んで右手に切り立った崖を望み、崖下からは激しい水音が響き始めていた。サナトやレラの視線に気がついて、ムラトと名乗った村人が説明する。
「東のクーライ大連峰が源流の渓流で、ようやく雪解けの水嵩が減って来たところです。この冬は特に雪が多かったので、下流の野山は水に不自由しないでしょう」
ムラトはつい早足になるのか、時折振り返りながらサナトたちと歩調を合わせる。
レラは動じることなく村人に話を合わせて言った。
「水が豊かなのは何よりですね」
「はい、遥か西の方ではずいぶん乾いて砂漠のような荒野になっていると聞きます。多くの精霊が、東の山の方に移動してきている……」
「ムラトさんは精霊の声が聞こえるのですか?」
「いいえ……オレは気配を感じる程度で。村の
サナトとレラは顔を見合わせた。
「声聴き……と言われる方は、精霊の声を聞き留めるお人なのですか?」
「あ、あぁ! そう、そうなんです! 精霊の言葉をきちんと聞ける人はほとんどいませんで、何か村での困りごとがあった時は、全て声聴きのお力を借りるのです!」
申し訳なさそうに頭を上下しながら答える。
どうやらサナトたちが歩いてきた白い山道を「参道」と呼び、村には精霊の声を聞く者もいるのだ。
「もう、すぐそこです。あの守岩の向こう」
ムラトが声を掛ける。
「あそこがオレたちの村、クタナです」
ムラトが指をさす。左右に切り立った山肌が目立つようになり、左手に
渓谷は、想像するより遥かに大きく、幅の広いものだった。
左手に蛇のように曲がりくねる、細い渓流が山間に見え隠れし、遠く滝の音を響かせている。その渓流を跨ぐのは堅牢な石橋。川は右手の下流へと流れ、同じく右前方の大河に合流していた。
ぽつらぽつらと見える白壁の家々の向こう、進行方向は上流となり、クーライ大連峰へと
クタナ村は、西側に渓谷の河を望み、東側の山肌へ寄り添うように軒を連ねる山村だった。
険しい谷の中ほどにあるという話は聞いてはいたが、見るからに厳しい土地柄であるにもかかわらず、家々は古く、岩肌に根を張る樹々は逞しい。村の規模こそ小さいものの、歴史の古い村であることは知れた。
「ああ、あの、オレ、一足先に、村の人たちに知らせてきます」
歩調を合わせ道案内していたムラトは堪えきれなくなったのだろう。軽く頭を下げてから、小走りで村の方へと駆けて行った。その後姿を見つめてレラが笑う。
「村によって
「ありがたい」
サナトはやっと緊張を解いたかのように息をついた。
魔の色の瞳を持つ自分の姿や魔獣とも
けれどよくよく考えてみれば、村人はこの長い参道を通って、願い事や供え物を運んでくれる者たちである。頭ごなしに恐れられるということも無いのだと、今更ながらに思い至ってサナトは気恥ずかしさに
そうこうする内に村の端まで辿り着き、レラはムーから下りた。
道々で作業の手を止め、サナト達に顔を向ける村人の視線が注がれ始めると、どうにも居心地が悪く目元に力が入ってしまう。
「そんなに緊張なさらなくとも大丈夫ですよ」
レラが微笑む。
すぐ横を歩くナギが心配そうに見上げるのを見て、主の自分が気おくれしていてはいけない。
「何かあれは精霊が知らせてくれる」
「仰る通りです。サナト様、先程の村の人が戻って来たようですよ」
「うん」
頷き胸を張る。
二人を案内してきたムラトは、村の長と思われる服装の年配の男と数人の従者を連れて、サナトたちの前に並んだ。
◆
「よく来てくださいました」
と、開口一番迎えた声は、短く切りそろえた灰髪の、素朴ながらしっかりした身なりの男性だった。華美な装飾は無い。手首に幾つかの腕飾りをしていたが、家族から贈られた物なのだろう優しい守護の精霊の気配が漂う。
続く二人の従者も同じような格好ではあったが、表情には戸惑いの色が紛れていた。
「クタナ村の村長をしております、オレグ・レベテフと申します」
「私は、西方ダウディノーグ王国の北荒野にある寺院から参りましたフィオレラ・ムードラスチ・フラームと申します。こちらは深淵の森より旅立たれた、サナト様でございます。訪問をお許し下さること、感謝いたします」
サナトに視線を向け直した村長と村人は、改めて深々と頭を垂れる。
「実は数日前より予兆があり、一昨日の夜に精霊から報せを頂いておりましたのに、お迎えの者も出さず申し訳ございません」
サナトはレラと顔を見合わせた。
確かに深淵の森から旅立つと決めたのは一昨日の夕暮れ時、里の大社でのことだ。そのさいに精霊たちが何らかの報せを送ったのかもしれないが、森の外に住まう者が迎えをよこさなければならない、という決まりがあるとは聞いたことがない。
確かな契約が交わされたものでは無いのなら、村人が謝る必要は無い。
「俺たちは精霊に導かれてここに来た。そして無事に辿り着いた。迎えならそこの者が、道の向こう――参道の途中からここまで案内してくれた。それで十分だ」
サナトたちを先導したムラトが、顔を赤くさせて頭を垂れる。
「いやぁあ、とんでもないです! オレの方こそ、深淵の森を旅立たれたお方は、もっと違うお姿をしているものだと思っていて、直ぐにそうと気づかず失礼な物言いをしていたから」
最初にレラが声を掛けた時「あんたらは、この道を真っ直ぐ来たのか?」と訊いたことを言っているのだろう。
サナトの姿は里に住む他の森の人と違い、魔人や魔物のような特徴は無い。人にしか見えない姿の二人を前にして、単に参道に迷い込んだ旅人と思われても不思議ではなかった。
「それも謝ることではないだろう。名乗ってもいないところで、どこの誰とも分からないのは当然だ」
何やらいろいろと行き違いや、認識の違いがあるようである。
サナトが苦笑して答えることで、村人たちはやっと安心したのか戸惑いの色を薄くした。
「あぁ……こんなところで立ち話もなんでしょう。先ずはどうぞ、お休みください。ご案内いたします」
そう、村長を名乗ったオレグが歩き出すのを見て、サナトとレラも続いた。
石畳の道の両端には、何代にもわたって人々が暮らしているのだろう石造りの家が続く。大抵は二、三階程度の高さがあり、窓辺には季節を彩る花が飾られていた。
明るい午後の陽射しの下、家の軒先には小さな子供たちが、三人、四人と集まって石遊びをしている。その横で、ゆったりと椅子に腰かけた老婆が、子供たちを眺めながら紡いだ糸を使って編み物をしていた。
サナトはこれほど多くの子供や老人を目にしたことが無く、見るもの全てが珍しい。
一方、子供たちも大きな狼を連れた見知らぬ人の姿に驚いたのか、声を上げては老婆や物陰に隠れて、興味深げにこちらを覗き見る。そんな無邪気な姿に、サナトの横を歩くレラは柔らかく微笑み返した。
「平和な村ですね」
「そうだな……精霊の気配も濃い」
深淵の森の精霊たちと、大きく変わらないのではないかと思うほどに。
サナトたちを案内したムラトも、多くの精霊が山の方に移動してきていると話していた。
そう思うと、穏やかな景色の底に不穏な予兆が見えてくる。
「ん……?」
サナトは村の景色と、その向こうの広大な渓谷とを見やって歩きながら、ふと、足を止めた。昼過ぎの陽射し降り注ぐ風も穏やかな村の中に、ピリ、と肌を刺すものがある。
耳を澄ましても、音として感じるものがあるわけではない。それほど微かな違和感。
けれど、何か、この村には不釣り合いな気配――
サナトの眉間の皺が深くなる。
同じ動きで足を止めていたナギが、サナトの側で鼻を鳴らして見上げた。数歩先まで歩いたレラや村長たちも、足を止めたサナトに気がつき立ち止まって振り向く。
「どうかしましたか?」
「何か……ある」
この違和感、澱はどこから来るのだろう。
そう思い周囲を見渡す。
目に映る景色に危険なものは無い。それなのに、サナトは気のせいだとその場を離れることができない。
右手、西側の谷に沿うように、村の南北に伸びた大通り。
鶏が虫を啄ばむ小さな庭。
初夏にしては涼やかな風。眩しい陽射し。木漏れ日。
もう一度ゆっくりと周囲を見渡して、サナトは左手の、山側に向かう広い脇道に視線を止めた。
少し急な上りの道の向こうに大きな建物が見える。窓の配置や大きさを見ても、この村の一般的な民家のようではない。
そこが、何故か、気になる。
山の方へ足を向け歩き出したサナトに、村長たちは駆け寄り声を掛けた。
「サナト様」
「あそこには何がある?」
「あぁ……」
村長の嗄れた声が呻くように漏れた。
「その、村の作業場でございます」
「作業場?」
「刈り取った
「見せてもらいたい」
否と言わせない語気をもって、サナトは言った。
うな垂れた村長が小さく呟く。
「やはり……森の人に隠し事はできない……」
サナトに先んじて歩き出した村長は、「ご案内します」と坂道を行く。その表情には沈痛の色が滲んでいた。
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