2 第19話 クタナ村の異変

 従者の一人にムーを預けると、その場で待つようにと別れた。

 サナトとレラ、付き従うナギの他、村長とムラトやもう一人の従者に言葉はない。皆一様に緊張した面持ちで行く作業場までの道のりは、道も悪くなくさほど長い距離でも無かったというのに、村長らの額には汗がにじんでいた。

 レラが意識して明るい声で尋ねる。


「こちらが、作業場と呼ばれる建物ですか?」

「はい……何人かは、作業をしているはずですが……」


 人の気配が無い。

 周囲に低い塀を巡らせた広い前庭がある。刈り取った羊毛を洗い、乾かす場所だろう。

 深淵の森の里にも数匹の山羊や羊駝ラマがいた。森に迷い込んでそのまま居座ってしまったものたちで、サナトもよく世話をしていた。今は夏に向けて毛の刈り取りが済んだばかりの季節だから、相当数の家畜がいるだろう村の作業場は賑わっているはずである。

 だが今、サナトたちが訪れた場所は閑散として、一見廃墟のようにすら感じた。


「今は人が出払っているようだな」

「休憩を取っているのかもしれません」


 歯切れの悪い声で村長は答え、作業場の扉を開ける。

 天井の高い石造りの、広い室内に人気ひとけは無い。窓からは陽射しが燦々さんさんと降り注いでいるはずなのに、辺りは薄暗く、冷たい空気が漂っていた。

 その部屋の隅や暗がりに、小さな虫がたかるようなおりがある。

 漂う腐臭は作業場の更に奥だろうか。

 同時に炎の気配。

 温かな灯火の光ではなく、じりじりと身を焼くような火だ。消えたと思っていた灰の中の残り火を踏んだように。炎であるなら「熱い」という感覚が来るはずなのに、なぜかそれは「痛く」「鋭く」「冷たい」ものであると感じる。

 陶物すえものを作る工房や窯があると言っていたから、そこが元凶になっているのかもしれない。どちらにせよ、無視できるほどの澱とは言い難い。


「……これは、だめだ……」


 思わずサナトの口から言葉が漏れた。

 側に立つレラが顔を向ける。


「お前もわかるか?」

「はい、精霊が息を潜め、怯えています」


 答えるレラに、顔をひきつらせた村長が聞いてきた。


「あの……やはり、良からぬモノがいるのですか?」

「知っているのか?」


 サナトの問いに村長は一度視線を逸らし、作業場の中を見渡してから嗄れた声で答えた。


「いつの頃からか、作業場での事故が多くなりまして……村の声聴きに視てもらった所、良からぬモノが棲みついていると。なので祓いの唄を上げ、春分の折にも清めの唄を上げたのですが……」

「戻しの唄文か?」

「戻し?」

「……いや、いい」


 村にいる声聴き・・・は、精霊魔法の唄文ばいもんを唱えられる者なのだろうか。

 だがサナトが知る方法とは違うのかもしれない。

 だからこそ、何らかの手を打ちはしたが完全な対処に至らなかった。

 方法が悪かったのか、それとも良からぬモノの力が強すぎて完全に戻す・・ことができなかったのか。どちらにせよ、残っている澱をこのまま放置していては、妖魔という形になりかねない。


 村長は喉の具合が悪い様子で、軽く咳払いをしてから頭を垂れた。


「深淵の森に近しい地にあり、折に触れ、精霊との在り方をお教えいただいている身でありながら、このような魔を呼び込み棲みつかせてしまったと、忸怩じくじたる思いでございます」

「村長」

「もうすぐ年に二度しかない深淵の森との祭事がありながら、このような有様で供えの品すら揃えられないでおります。とても、旅立たれたお方をお迎えできる立場ではございませんでした」


 声を絞るような村長の言葉に、サナトは心の中で「あぁ」とため息をついた。

 精霊から報せがあっても迎えに行けなかったことや、サナトたちと対面した時に戸惑いの表情があったことの理由が分かった。深刻な問題を抱え、祭の準備もままならないでいたのなら、心から歓迎できる状態ではなかっただろう。


「本当に申し訳ない……」

「村長」


 サナトは村長に向き直り声を掛けた。

 肩に手を当てると、はっとしたように村長が顔を上げる。


「まずひとつ言っておく。年によって実りに違いがあるのだから、毎年決まった量の供えができないのは当たり前だ。村人の暮らしを犠牲にしてまで、供えを望む森の人ではない」

「サナト様」

「祭に供えの品の多い少ないは関係ない。あれほどの道のりを来てくれるだけで、森の人は喜ぶ。むしろそれほど困っていたのなら、助けを呼んでもよかっただろう」


 森の大佳靈おおかみならばきっと、何らかの手段を講じて下さるはずだ。

 もしかすると、だからこそ、サナトは今この時に、この村を訪れることになったのかもしれない。

 大きなきっかけはレラの訪問であり、西方ダウディノーグ王国に湧く妖魔であったとしても、それによって世界の均衡が崩れ始めているとしたら、遠く離れたこの村とも無関係では無いはずだ。


「あぁぁ……ありがとうございます」


 村長は声を絞るようにしてうな垂れた。


「供えに関しては心配するな。もし文句を言う者が居たなら、サナトが気にするなと言ったのだと、言えばいい。森長もりおさなら分かって下さるはずだ」


 サナトの言葉に、ムラトと従者も労わるように村長へ声をかける。

 ひとつの心配はこれで解決となったが、この事態を招いた根本の問題が残っている。


「そして……これは、戻して・・・おかなければならないだろうな」


 作業場の中を見渡してサナトは呟く。

 レラが顔を向ける。


「私にできることはありますか?」

「んん……ここは一先ず、俺一人で対処してみようと思う。相手・・がどのようなものか分からないからな。ただ可能ならば、水と樹の精霊の力を借りたい」


 精霊の気配の濃い村ではあるが、更に呼び水となるものたちがいることで、事を順調に進められるだろう。


「村長、綺麗な水と可能ならば常緑じょうりょくの、尖った葉の枝を用意できないか?」

「承知しました。直ぐに用意させます」


 村長が答えると、従者の一人が頷いて作業場から駆け出して行った。

 入れ違いで、坂の下から数人の女たちが上ってきた。一見して、十代の初めから三十代中ごろまでと思われる者たちは素朴な身なりで、腕まくりをした丈の長い上衣や前掛けをつけている。いかにも作業着という服装を見れば、ここで働いている者たちだろう。

 女たちは、村長と見慣れない人が作業場の入り口にいるのを見て、何事かと駆け寄って来た。


「村長! いったいどうしたんです?」

「ああ、お前たち休みを取りに行っていたのか?」

「はい、具合が悪くなった者が出たので、家まで運んで付き添っていました。村長……そちらの、方は?」


 一番年上と思われる赤い髪を結い上げた人が答えて、サナトたちの方を見た。

 澱のせいだろう、体調を崩す者が出るようなら作業もままならないのは当然だ。村長は「そうか」と嗄れた声で頷いてから、サナトたちの方に振り向いた。


「サナト様、こちらはこの作業場で働く村の娘たちです」


 そして村の娘たちに向き直る。


「……お前たち、深淵の森から旅立たれ、たった今村に到着したサナト様とフィオレラ様だ。更にこの建物の異変を感じ取り、ここまで足を運んでくださったのだよ」


 安心させようとしたのだろう。

 だが、丁寧に説明する村長の言葉を聞いて、娘たちの中の一人が顔色を変えた。

 濃い焦げ茶の、緩やかな髪を肩に垂らした緑の瞳の少女が、唇を引き締める。顔立ちは人と同じだが、頭の上の部分に大きな獣の耳が目立つ――獣人の子だ。

 数人の村の娘たちの中で一番年若い、おそらくレラよりも年下に見える少女は、サナトの視線を感じて顔を逸らした。

 精霊の気配に疎い者が見れば、単に気分を悪くしたのかと思うぐらいだろう。けれどサナトの目にはハッキリと、微かな腐臭を伴う瘴気がまとわりついているのが視えた。

 まだ、妖魔というほど明瞭にはなっていない。

 けれどこのまま放置すれば、いずれは形になって現れるか、少女の体を蝕んでいくのは目に見えていた。数日前に遭遇したザビリスという領主と同じように……。

 今ここで問い詰めるべきか。

 注意深く娘たちの方に顔を向けたまま、サナトは村長に尋ねる。


「事故が多くなったという、時期や原因はハッキリしていないのか?」

「はい……皆から相談があったのは春分の少し前でした。お前たち、それより前に何か気になったことは無かったか?」


 歯切れ悪くサナトに答えてから、娘たちに問いかける。

 娘たちは互いに顔を見合わせてから、結い上げた赤髪の年長者が答えた。


「今思えば……という程度の物ですけれど、窯の調子が悪くなり始めたのがそれだったのかもしれません。いつもと同じように薪を入れて風を送っているのに、なかなか炎が上がらなかったり、逆に勢いが上がりすぎたりと」

「そうそう、やり方が悪いのかと思っていたけれど、やっぱりあれは奇妙だったね。おかげで炭もうまくできなくて」


 隣に立つ、少しふくよかな娘が頷きながら年長者の言葉に続く。

 そんなことがあってから、次々と道具が壊れたり体調を崩す者が現れるようになったのだと、娘たちは口にし始めた。サナトが最初に作業場に足を踏み込んだ時に受けた感覚を裏付けるものだ。


「サナト様、やはり原因が分からないと祓いはできないのでしょうか?」

「いや……」


 原因が分かったとしても、元となる者が同じことを繰り返しては意味がない。

 娘たちの後ろで俯く獣人の少女は、顔を青くしながら硬く唇を結んでいる。今ここで名指しして、何故悪しき魔法を使ったのだと厳しく問い詰めることもできる。けれど、はたしてそれが正しい方法なのだろうか。


 意図して妖魔を呼んだのか。

 本人すら与り知らぬ結果として、妖魔を呼ぶこととなったのか。

 ただ今は、事態におののき怯えているようにも見える。後悔の念も持っているかもしれない。そうあってほしいと願う、サナトの思い込みかもしれないが。

 それとも自分が責められることを避けるために、少女は最後までしらを切るだろうか。

 どちらにしても、全ては、歪みや澱を戻して・・・からでいい。


「原因に関しては、この場の対処を終えてから改めて聞こう」


 サナトが依頼した水の入った瓶と緑の枝を手にした従者が、坂道を駆け上がって来た。

 待たせてはいけないとよほど急いだのだろう、肩で荒い息をしながら手渡す。サナトはそんな姿にねぎらいの声を掛けてから、作業場の奥へと足を進めた。






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