2 第14話 獣たちの靈

しし御魂みたまよ、心の闇よりまなこの光と耳の調べに今を知る」


 レラの唄文ばいもんだ。

 怒りと憤りの熱にうだる魂へ清涼な水が降り注ぐように、意識が明瞭になっていく。魔獣たちの動きが鈍り、炎は踊るように大気に散っていった。

 サナトは剣の軌跡を変える。

 相手を叩きのめすための動きではなく、正気を取り戻させ、意思を交わそうとする流れへと宿る精霊を導いていく。


しし、黙して通り過ぎること叶わぬなら、其の意を伝えん」

「ガフゥウウウウッ!!」


 魔獣が地踏鞴じたたらを踏む。

 レラの唄文で自我を失うほどの怒りは治めても、決して消え失せたわけではない。身の内で荒れ狂う悔しさを宥め、抑えようとしているのだ。事実、ぎらぎらとした怒りの眼光は衰えていない。


 サナトは剣を切先を地に向け、もう片方の腕を伸ばした。

 相手に直接触れられれば、更に強く、その身に宿る精霊に語り掛けることができる。だが、あと一歩の所で、一番大きな巌の魔獣は牙を振り上げた。

 それを躱してサナトは息を整え、対峙する。

 妖魔ではないのだ。

 なら、まだ方法はある。

 相手を叩きのめさずとも、心を通わせることは可能だ。


「グフゥウウウ!」

「答えよ、しし


 ――追われた。


 一瞬、流れきた精霊の言葉にサナトは眉間の皺を刻んだ。

 足を止め、注意深く訊き返す。


「生まれ育った森を、追われてきたのか?」


 三頭の内の一番小さな魔獣が、がっくりと膝をついた。

 続いて後ろの一頭が。残る一番大きな巌を魔獣は、呻くように声を漏らし膝を折った。


「グフッ、ブフッ」


 まだ熱気をはらむ剣を鞘に収めて、サナトは静かに魔獣たちへと手を伸ばす。巌の魔獣は硬い外皮の所々を焦がしているが、見た所大事に至っていない。

 触れた鋭い牙から、おもいが流れ込んできた。

 果てしない森が腐敗していく情景。腐臭が漂い、大地は泥濘ぬかるみ、草花は枯れ果てていく。暗い曇天を見上げ、獣はなげく。


「魔法か……」


 軽く頭を上下させる。

 先程と違って明瞭な声は返らないが、何者かが使った魔法によって棲み処を追われ、ここまで流れてきたのだろう。だからこそ人に敵意をぶつけてきた。

 肩を落とすサナトの隣に、ムーから下りたレラがそっと並んだ。


「サナト様、お見事です」

「俺の……力ばかりじゃない」


 退避していたナギもぐるりと回り込んで、サナトの所まで戻ってきた。尾を盛んに振りながら、得意げな顔と荒い息でサナトを覗き込んでくる。


「あぁ……もう、大丈夫だ」


 言いながら、ナギの頭を撫でた。

 魔獣たちの方に顔を戻すと、サナトの目の前、一番大きな一頭が立ち上がろうとしていたところだった。


「動けるか?」

「ブフッ!」


 残りの二頭もぎこちない動きで起き上がる。

 姿形は元の獣に戻るわけではないが、もう殺気に似た威圧感は無い。これなら妖魔になる心配もないだろう。


「お前たちに非は無い。長年棲み慣れた地を追われた哀しみは、簡単に忘れられるものでは無いだろう。俺には……元の棲み処に帰してやることはできないが……それでも新たな棲み処を探す手伝いをさせてくれ」

「グフフッ」


 頷く魔獣に、サナトは短い唄文を唱える。

 ややして応えた精霊は、樹々の間から舞い来る碧い蝶の姿となった飛んできた。サナトや巌の魔獣の間をひらひらと泳ぐ碧い光は、夢のような軌跡を描いてから、魔獣が来た方と別の方角の森へと流れていく。


「水辺のある静かな棲み処に案内してくれる。さぁ、お行き……」

「グフッ」


 巌の魔獣は一声鳴いて、碧い蝶が飛んでいった明るい森の奥へと姿を消していった。


     ◆


 ひとつ、ふたつと虫の声が戻り始め、風が流れる。

 樹々の間に魔獣たちの姿が見えなくなって改めて、サナトとレラは息をついた。

 ムーも怖かっただろう。レラが落ち着きを見せていることで平常心を保っているものの、今日はもうあまり無理に歩かない方がいいとサナトは考えた。

 既に陽は西に傾き、白い山道にも長い影が伸び始めている。


「今から急いだとしても夜になるだろうな」

「はい」

「日暮れ間際におとなっては村人を怖がらせるだろうか」

「そうですね。何度となく訪問している村であれば、また違うのでしょうが」

「ならば、どこかで休めそうな場所を見つけて、今夜はそこで朝を待つことにしよう」


 レラが頷く。

 再びサナトはムーの手綱を手に取り、歩き始めた。


「お前は、落ち着いていたな」


 顔を向けられ、レラは少し驚いた表情になってから微笑む。


「そのように見えるのでしたら、サナト様がお側にいて下さったからです」

「過大評価だ」


 頼りにされるのは嬉しいが、今もレラの唄文が無ければ互いに無事では済まなかっただろう。

 と同時に疑問も浮かぶ。


「お前は、今までの旅で魔物や魔獣に遭遇したことは無かったのか?」


 互いに気をつけていれば、そうそう鉢合うものでは無い。

 それでも、全く魔物と遭遇したことがないのであれば、相当幸運だったということだろう。


「出会ったことがない……というわけではありません。大抵は精霊たちが知らせて下さるので、道を逸れたり、木陰や物陰から通り過ぎるのを待ってやり過ごしていました」

「なるほど……」


 この少女の旅路が見えるようだと、サナトは心の中で思った。

 常に精霊の声に導かれ、レラ自身も素直に従ってきたからこそ今日まで無事に来たのだ。

 人の言葉を理解する前から精霊の声を聞いてきたサナトでも、全部が全部、素直に聞けるわけではなかったというのに。勿論、警告を無視して痛い目を見るのは、素直に聞き入れなかった自分のせいである。精霊に責任はない。


「何事にも不可侵の領域というものはあるからな」

「私としては……もう少し近くで魔物たちを見てみたいのです。もしお話ができるのなら、いろいろと貴重な事柄を――」

「やめておけ」


 レラの無邪気な声で、せっかく感心しかけたサナトの気持ちが折れる。

 そんな心情を察したかのように、森の樹々が囁きかけてきた。ここより僅か先の森の中に、一夜を過ごすに丁度いい岩陰がある。そこで心と身体を休めるように、と。

 サナトが顔を向けると、並んで歩くレラも同じ声を聞きとったのか頷き返した。


     ◆


 精霊が教えてくれた岩陰は、雨をしのぐには心許ないが風よけにはなる。周囲を見渡せば村人も時折使う場所なのだろう、古い薪の跡が残っていた。


 荷を解き、水袋を確認する。

 まだ半分は残っているから今すぐ水を汲まなければならない、という状況ではないが、ナギやムーの分までとなると明日の村までの量が少し心許ない。近場に小川でもあれば、休むにも丁度いいのだが……。

 精霊に尋ねて探そうか。

 火熾ひおこしをした後なら、野獣の心配も無くなる。少しの間であればムーとレラで留守番もできるだろうか……と、顔を上げ様子を見た。


 ムーの背から荷を下ろし手綱を外したレラは、にこやかにねぎらいの声を掛けている。側では自由になったムーに向かってナギが盛んに尾を振り、サナトの顔を見上げた。

 舌で口の周りを舐め、森の向こうに顔を向けて一声上げる。

 レラもナギの様子に気がついて、サナトに声を掛けてきた。


「何か見つけたのですか?」

「ナギが水のある場所を感じ取ったようだ。ムーを案内したいらしい」

「まぁ、ぜひお願いいたしますね」


 レラが声を掛けるのを見て、サナトの了承を確認する。頷いて答えるとナギは明るく吠えてから歩き出した。その後を、ムーが軽い足取りで付いていく。


「すっかり仲良くなったのですね」

「弟でもできた気分なんだろう」


 薪の準備をしながらサナトが答えた。

 狼は群れで暮らす生き物だ。サナトと狩りにも行きたいのだろうが、このところレラの世話役として働いていたために遊んでやることができないでいた。獲物であるはずのエルクを仲間として扱う程に、甘えん坊で寂しがり屋なのを知っている。

 そう思うと、やはり置いて行かなくてよかったとサナトは苦笑した。


 手早く拾った枯れ枝を組んでから、精霊の力を借りて火を大きくする。

 持って来ていた小さめの薬罐やかんで煎じ薬ができ始めた頃には、空に淡い残光を滲ませるばかりとなり、岩陰には夜が下りていた。


「お前は、よくこんな苦い煎じ薬が飲めるな」


 カップに入れて渡すのを受け取りながら、レラが驚く声で返す。


「サナト様が飲むようにおっしゃったのではないですか」

「褒めているのだ。俺にはできない」

「自分が飲めない様な苦いものを出していたのですか?」

「そうだ」


 呆れ顔のレラに、サナトが笑う。

 からかわれたのだと気がついて、今度は頬を赤くしながら怒ったような顔になった。


「私は堪え性があるので平気です。サナト様が怪我をした時には、私がうんと苦い煎じ薬を作って差し上げます!」

「怪我をしないように気をつけよう」


 そんなやり取りをしている間に、ナギとムーが戻って来た。

 ナギは夜目も利くがムーはそうもいかない。完全に暗くなる前に連れて帰って来たのは、賢い判断だった。しかもナギは口に、小さいながらも野兎をくわえてきた。

 狩りに誘うために弓矢を持って来ることはあるが、獲物を捕まえてくるのは珍しい。

 サナトの前に置いて尾を振りながら自慢げに顔をのぞき込んでくる。褒めてほしい、という顔なのはひと目でわかった。


「よしよし、偉いぞ、ナギ」

「おんっ!」


 頭やもふもふの首の辺りを両手で大げさに撫でてやる。

 撫でながらナギに顔をつけると、日向の草藁くさわらの匂いがした。


「サナト様より大きな体をしていても、無邪気なんですね」

「いつまでも甘え癖が抜けない。でも今回は、お前の為に獲って来たようだ」

「私のため、ですか?」

「弱っている仲間に食べさせてやれ、と。里で俺が世話していた様子を見て覚えたのだろう」


 レラは驚くやら、恥ずかしがるやら、なんとも言えない複雑な表情を返した。よほど思ってもみなかったことなのだろう。そしてサナトはそんなレラが可笑しくてたまらない。今まで里で暮らしていた森の人には無かった感覚だった。


 ナギが、早く食べないのかそわそわしながら尾を振る。

 話ばかりしていては、新鮮な獲物が無駄になってしまう。サナトは感謝の唄文を唱えてから、手早く野兎の血を抜きさばき、ももの一部を取り分け火であぶった。

 村に寄ったところで食べ物にありつけるかはどうかは分からないのだから、里から持って来た保存食はできるだけ残しておきたい。火を通さない身の殆どは、貢献者であるナギに与えた。


「剥いだ皮はどうするのですか?」

「村に持って行こう。珍しいものでは無いが貴重な材料になる。村の者ならいかようにでも役立てるだろう。……お前は、こういう物は扱わないのか?」

「皮を扱うことは無いです。兎を捌くところも初めて見ました」


 苦笑いで答える。

 長く旅をしていても、自分で狩猟をしなければ知らないことの方が多いのだと。


「これも貴重な体験です。思えば獣たちの命に、私たちは支えられているのですから」


 獣たちのに感謝の言葉を述べたレラは、満足げな顔で骨をしゃぶるナギや、先程まで草をんで今は膝を折って眠るムーを眺める。そしておきを掻いているサナトに話しかけてきた。


「サナト様、魔人や魔獣、そして魔物や妖魔とは、どのように区分けられているものなのですか?」






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