2 第15話 魔法とは

「ああ……」


 以前、レラの本を読んで、その辺りの記述の少なさや曖昧さが気になっていた。

 怪我が治ってゆっくりできるようになったら、話そうと思っていたことを思い出す。サナトは「そうだな……」と呟き、しばし思案してからレラに尋ねた。


「お前は魔人と、魔物や魔獣の違いは分かるか?」


 わずかの逡巡の後、白い肌を薪の明かりで染めながらレラは答えた。


「明確にはわかりません。……昼に遭遇した、体が鋼のようになった猪は魔獣かと思います」

「その通りだ。そして魔人や魔物は、深淵の森の森の人もりのびとのような姿の者をいう」


 レラは、やはり……という顔で表情を硬くする。


「俺はそれらの呼び名が、森の外でどのような意味を持って語られているのか、聞いた話でしか知らない。だが、たいていは忌み嫌われているのだろう?」

「はい、恐れられております」


 人や、家畜を始めとした野や森の動物と大きく異なる姿や力を持っていれば、それだけで恐怖の対象となる。実際に恐れなければならないものかどうかは関係ない。


「生まれながらにという者もいないわけではないが、大抵は、人や獣が魔法を多く帯びて姿を変えたものだ。概して気性が荒くなったり、体も力も大きくなるから近づかないようにした方がいいのも事実だ」

「里で話してくださった、魔法に蝕まれた者、ですね」

「サナカの話はしていたな」


 サナトの育ての親となった森の人だ。

 今年の冬の終わりに一人、深淵へと旅立ったという話は一度していた。


「それでも、共に暮らすことは可能なのですね」

「礼節をもって語れば応えてくれる。ナギも、区分けとしては魔獣に近いだろう。だがこうして俺たちと旅することができる」


 側でくつろぐナギが、呼ばれたかと顔を上げた。

 サナトがその柔らかな頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細める。


「俺たちの間では、魔人や魔物、または魔獣の区分けは曖昧だ。人のように見えるか、獣のようか、またはそのどちらでもないか程度のものだ。魔人との区分けの一つに、人の言葉を話すかどうかというものもあるが、明らかに人とは思えない姿の者も言葉を話す」


 結局、この三つに関しては、見た者の印象によるのだ。


「魔法を扱うことは?」

「もちろんある。森の人はその殆どが、魔法を使いすぎたか誤って使ったことで姿を変えた者たちだ。今日会ったいわおの魔獣は俺に対して魔法を使わなかったが、いずれ歳を重ねることで、扱えるようになるかもしれない」


 猪が巌のような体になったのは、誰かが使った魔法の影響を帯びたせいだろう。

 だがそればかりではなく、自らや仲間を守るため、更に魔獣としての体を強化しているのではないかという気がする。ならばそれはもう、猪自身が会得した魔法と言えなくもない。

 怒りや、連れ添う仲間に対するおもいが、其のものの形となって現れる。

 レラは目を丸くしてから、ふと考えるように視線を逸らし、サナトの方に向き直った。


「呪文……いえ、唄文は、唱えなくても魔法は使えるのですか?」

「お前は唄文を唱えるのに、知らないのか?」


 レラが戸惑った顔になる。


「あの言葉は御魂みたまを鎮めるための、寺院に伝わる祈りの言葉で……実は私、魔法とは思っていませんでした」

「祈り……そうか。それは間違いではない。唄文は祈りであり、願いでもある。精霊に対する呼びかけの唄だからな」

「呪文、は唄文と違うのですよね。確か強制魔法とお聞きしました。精霊を無理やり使役して大きな力を現す法。途方も無い奇跡と共に大きな歪みや淀み、おりをつくる。澱は妖魔を生み出す元となる、と」

「よく覚えているな」

「サナト様のお言葉ですから!」


 両手を握ってレラが答える。気合いが入っているようだ。

 そんな姿も可笑しくて自然と笑みになった。サナトは熾火おきびの周りで静かに舞う火の精霊を見つめながら続けた。



「魔法とは、生命いのちを揺り動かすおもいだ」



 抽象的過ぎたのか、レラが僅かに首を傾げる。


おもい、ですか?」

「そう。助けたい、守りたい、幸せを願う……または傷つけようとか、恨みや憎しみ、不幸を願うことで相手の命を揺り動かす、そのおもいが魔法という現象になる」


 まだピンとこないのか、レラはじっとサナトの言葉を聞き入りながら口の中で繰り返す。

 ナギが鼻を鳴らして、伏した姿勢のままサナトを見上げた。


「そうだな……例えば、俺がここで夜を過ごす為に何が必要かを考え、おもったとする。ナギは聡いから俺が口に出さなくても察して動いた。ムーを水場まで連れて行ったり野兎を獲って来たように。この時俺は、ナギに対して呪文や唄文を唱えたわけではない」


 レラが不思議そうな顔をする。


「それは主を慕うものであるなら自然と起こる行動なのでは?」

「自然と突き動かされた行動でも、当たり前では無い。ナギがそれだけ俺を慕うからこそ起きた、特別な魔法・・なんだ」


 人々が当たり前だと感じていること、それも元は魔法の一部なのだ。

 サナトは柔らかく笑い、ナギの頭を撫でる。


「今みたいな場合もあるが、通常はおもうだけでは伝わりにくい。けれど言葉……文にすると伝わりやすい。苦い煎じ薬でも飲んだ方がいいと俺が言ったから、お前は飲んだ。拒否することもできたが、傷を早く治したいというお前自身のおもいもあったから動いた」

「ええ、おっしゃる通りです」

「唄文ではないが、これもまた魔法の一つだ。結果、傷は早く塞がり今に至る」


 レラの表情が変わり始める。

 何かを掴みかけているのだろう。


「唄文はある形式に則った言葉、精霊に対してよりおもいを伝わりやすくしたものだ。当然、願い・・である以上、精霊が拒否すれば魔法という姿は発現しない。唄文には強制力・・・がないんだ」

「精霊が了承することで発現する力……だから、歪みやおりは少ないのですね」

「そうだ」

「では呪文は……」

「呪いの文、相手を無理やり従わせる強制的な言葉になる」


 強制的だからこそ、大きな力を現す。

 途方も無い奇跡と共に大きな歪みやおりをつくるのは、精霊のおもいを無視したやり方だからだ。


「相手が人や獣や精霊だろうと変わらない。無理やり従わされ、動かされたならば、痛みや恐怖、疑念や嫌悪が生まれるだろう。鎖で繋がれ鞭を打たれれば、誰でも辛い。それが歪みであり、澱だ。その歪みや澱が形となったものが妖魔だ」


 魔人や魔物、魔獣らと、妖魔は全く違う。

 生き物ですらない、怨嗟えんさが形になったもの。

 だからいくら剣で斬って妖魔という形を散らしても、その元となるおもいが消えなければ、また湧いて・・・くる。それどころか残酷に斬られたその瞬間を記憶おもいに残し、更に兇悪な妖魔となって、周囲を穢し始めるのだ。

 レラが硬い表情で俯く。

 以前、魔法はむやみに使ってはいけないと聞いたことがある、という話をしていた。その時は年寄りの戒め・・程度にレラは思っていたのかもしれないが、真実はもっと重い。


「魔法は……恐ろしいものですね」

「そう思いたくなる気持ちは分かる」


 サナトは苦笑しながら返した。


「俺は今でも唄文を唱えた後に、ふと恐ろしくなることがある。俺の魔法は間違っていなかっただろうか、妖魔を、呼んでいないだろうかと……」


 正しい魔法を使っても、妖魔を呼ぶことがある呪われた身だ。

 そう森の大佳靈おおかみに言った言葉が、遠い昔のことのように思える。あの時、大佳靈が精霊に乗せて伝えてきた声は、今もサナトの胸の中にある。

 それは妖魔を呼ぶ力を使っているから、そして呪いは己が内から生まれているのだと。

 隣で聞いていたレラも思い出して呟く。


「言葉だけが正しくても正しい魔法とは言えないのだと……森長様は仰っていました」


 サナトは頷く。


「どんなおもいを抱いて唄文を唱えたか。それは、呪文を唱える様な気持ちで唄文を唱えるな、という意味なのだと思うが……実際には、難しいな」


 ザビリスのような強奪者と再び対峙した時、同じ過ちを繰り返さないという自信は無い。それでも、揺らぐ気持ちを叱咤するかのように、森長の言葉を口にする。


「魔法を恐れるということは、精霊を恐れるということだ」



 それはなんて悲しいことなのだろうと、サナトは思う。






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