7 第88話 不思議な縁

 サナトは頭を下げるティムを、じっと見下ろしていた。

 森の結界を壊し、穢し、レラに怪我をさせた。小さな傷ではない。命を奪うほどでは無かったとはいえ大変な目に遭ったのだ。下手をすれば、旅を続けられなくなったかもしれない。

 それでも――幸いなことに怪我は無事に治った。


 殺したわけではないのだ。

 いくら怒りが収まらないとはいえ、ティムの命を奪うことはできない。それに本人は償おうとしている。

 罪から逃げ回っていたわけでもない。

 クタナ村のグルナラを通じて災厄の予兆を聞いた彼は、ザビリスを止めようと奔走していた。結果的に止めることはできなかったが、彼の力不足を責めることはできない。


 頭では分かっている。

 一言「赦す」と言えばいいのだ。


 いいのだと分かっていても、レラを傷つけたというこのおもいを、どうしてもなだめることができない。未熟だと自覚して、だから制御しきれていないとのだと自分を叱責しても、できないでいる。


 自分が、嫌になる。


 サナトはため息をついて、頭に手を当てた。

 わずかに顔を上げ、ティムは重ねて言う。


「おれは剣の腕が立つわけでもない。けれど身の回りのことなら何でもできます。荷運びだろうと何だろうとかまいません。どうかお二人に仕えさせて下さい。お願いいたします」

「レラは……」


 隣に座り話を聞いていたレラに、サナトはもう一度確認するように問いかけた。


「レラに、恨みは無いのだな」

「もちろんです」


 頷き返す。

 サナトはもう一度ため息をつく。

 腕を組み、やり取りを見ていたアーニアも、さすがに苦笑いを向けた。


「サナトは頑固だな」

「自覚している」

「正直なのはいいことだ」


 受け入れるにしても拒絶するにしても、ここはサナトが一言、どうするかを言わなければ話が終わらない。

 アーニアは「うむ」と頷いてジーノやファビオに視線を向けた。そろそろ周囲の偵察に出ていたダルセルやパウルも、戻って来る頃だろう。


「私としては……」


 独り言にしては大きな声でアーニアが言う。


「長く人の手が入らず、地形さえ変わっている森や山を知る者がいるのは心強い」

「そうですねぇ」


 ファビオが大きく頷いた。


「ここから西の国境を越えるとして、最短の道筋ルートはどうなる?」


 ジーノの落ち着いた声で尋ねられ、ティムは半ば、ぽかんとした顔を向けながら答えた。


「あぁ……西の砦跡に出てから槍の岩を目指し、テシの村を通る……そこからモステリの岩窟を抜けると山頂近くの道に抜けられるんです。山頂から西の道は複雑で砂蜥蜴すなとかげも多く――」


 地図にも無かったような地名がすらすらと出てくる。


「――そこから先は、砂蜥蜴の縄張りを避けるように山を下ります。年ごとに道筋ルートが変るので。ラゴン鼠の巣に沿うように……」

「なるほど」


 ジーノは頷いた。


「要するに、現地の案内人ガイド無しに、ニナライ山脈の国境を越えるのは難しいと」

「はい、山自体は東のクーライ連峰より険しくないので、簡単に山越えできそうに見えるのですが、たいていは迷子になるか、魔獣の餌食になります。それに、モステリの岩窟を抜けられるのは、夏至から秋分までの間なのです」

「どうしてだ?」


 興味をもったアーニアが問いかける。


「岩窟が凍ってしまうんです。おれたちの間では、夏至から秋分の間以外に入れば、生きて出られないと伝えられています。他は、空を飛ぶ翼竜ワイバーンで越えるか、石の人の巨大な地下都市を抜けるしかありません」

「ティムは石の人とも交流があるのか?」

「いいえ! 昔話です。村の古老ころうの話で、この辺りの地下には石の人の巨大な都市があり、ニナライ山脈の西にも抜けていたそうです。今は大部分が崩落して、石の人も途絶えてしまったと聞いています。ここ数十年、誰も姿を見ていません」


 バルクの地下で残っていた石の人、イゴールの言葉通りなのだろう。ティムは勢い話し込んでしまったことで、恥ずかしそうに下を向いた。

 ジーノは頷きながら、勢い増すきをかいて落ち着ける。


「昔は、ニナライ山脈山中を横断する道筋ルートがよく使われていたと聞く。西の砦はそのための物で、砦からの街道を通じた交易や石の人とのやり取りもあり、バルクは栄えた」


 その辺りの話は、地下でアーニアからも聞いていた。


「今は麓に住む者の昔話に出る程度だから、若い人たちは知らないだろう」

「西の砦が随分中途半端な場所にあると思っていたのは、そういうことだったのですね」


 ニノが呟いた。

 魔物が蔓延るようになり、人々はみ事のように、敢えてその土地の話を避けるようになっていた。かつての道筋が人々から忘れられていった要因の一つだろう。


 どちらにしろ、ここでティムと出会ったとこは大きな収穫だ。

 エルネスト王子が王城でサナトと引き合わせなかったのは、サナト自身が大怪我で意識を取り戻しておらず、目覚めても、今後どのようなことになるか先が読めなかったせいだろう。ならば先行して、土地に詳しいティムに西の砦付近を調査してもらい、その結果を踏まえて次の手を考える。

 予定外だったのは、サナトの回復と出立が早すぎたことだ。


 アーニアが「どうだ?」といわんばかりの瞳でサナトを見た。

 道筋に関しては、適当な嘘を並べているわけではないと、纏う精霊を見ればわかる。サナト自身ももし山越えをするとなれば、地元に住む案内人ガイドを探さなければならないと考えていた。

 不思議なえにしとしかいえない。


「わかった」


 大きく息を吐いて、サナトは答えた。


「レラを傷つけた件に関しては、これからの働きで償ってもらおう。俺ももうこれ以上、深淵の森に攻め入ろうとした件に関しては、口にしない」

「では……」

「ザビリスを止めようと、尽力していたことを認める。それにどれほど俺が腹を立てていたところで、斬り捨てることはできない。お前は今、王子や西の領主の命令を受けて働いているのだろう?」


 ティムはうな垂れ「はい」と答える。


「断りも無く、他の者の従者を手にかけることはできない」

「その通りだ」


 アーニアがニヤリと笑う。

 最初に問答無用で剣を抜いたことを笑っているのだろう。サナトは眉間に皺を寄せて、視線を逸らした。ニノまでもが笑っている。

 すっかり冷めてしまった茶をあおってから、アーニアは明るい顔で声を掛けた。


「さて、そうとなれば、ここは兄上と西の領主バンニステール卿の許しを頂いたうえで、サナトとレラに仕えさせてはどうかと思う」

「せめてニナライ山脈を越えるまでは」


 サナトが驚き声を出す前に、ニノが相づち打った。

 ファビオまでもが深く頷いている。


「サナトくんは自分で何でもできるが、馬の世話だ何だ、助けがあるのは楽だぞ」

「もし妖魔と遭遇したなら、僕たちの馬を引き連れて避難させることはできますか?」


 丁寧に尋ねるニノに、ティムは大きく頷いた。

 馬は、人や獣のとの戦いであればまだしも、魔物や、特に妖魔となるとそうはいかない。

 恐怖に動けなくなるのだ。

 こればかりは生き物としての本能だけに、無理をしては馬を殺しかねない。

 今は川辺で穏やかに水を飲み、草を食む馬たちだが、妖魔と戦う時は逃がすのを常としていた。呼べば戻るように訓練はしているが、一人でも警護する者が着くなら、更に心強い。


「ならば道案内と馬たちの世話を主として、働いて貰うこととする」

「あっ! ありがとうございます!」


 ティムが大きく頭を下げた。

 レラもほっと胸を撫で下ろす。

 ちょうどその時、話の終わりを見計らったように、偵察に出ていたダルセルとパウルが戻ってきた。幸いこの周囲に危険な魔物や妖魔の姿は無く、引き続き、南西の方角に妖魔の気配を見たとの話になった。


「先程言っていた、カリィゴの森、の場所にあたるのだな?」

「今すぐにでも出発したい」


 呟くアーニアに、立ち上がったサナトが動き始める。

 その腕を掴み、パウルは苦笑いした。


「サナトさん、急ぐ気持ちは分かりますが、もう日暮れです。天気も荒れそうです」


 言われて空を見上げた。

 梢の合間の空は暗く、夕暮れの光の気配も無い。風の精霊に問うまでも無く、今夜は嵐となりそうだ。パウルが懸念する通り、今は先を急いても引き返すことになるだろう。


「無理をしないでおくか」


 ダルセルやパウルの様子から見て、まだ状況に猶予はありそうだ。

 昨夜は皆もしっかり眠れていないだろうし、ならばここは休んで、夜明けとともに動き出した方がいいい。

 様子を見ていたティムは、遠慮がちな声をかけた。


「あの……この少し先に、今は誰も住んでいない古い屋敷があります。それほど大きく広くもありませんが、うまやも備えていますし、この人数が雨風を凌ぐには十分かと思います」

「いいな、案内してもらえるか?」


 アーニアは即答しつつ、サナトに目配せする。

 頷くサナトに、皆は古い屋敷へと行動を開始した。






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