7 第89話 幽鬼の屋敷

 深い森を縫うように行く細い道を抜けると、古い屋敷が見え始めた。

 陽は西の山に沈み、足元を闇に落としている。光の精霊の導きが無ければ、右も左も分からなくなりそうである。


「ずいぶんと深い森の中に、あるのだな」


 馬を下りたアーニアが呟くように口にした。

 周囲に集落があるでもなく、何か特徴的な地形というわけでもない。ただ忽然こつぜんと、いっそ不自然なほどに孤立した状態で建てられた屋敷を前に、皆も馬から下りいく。


 風は徐々に強さを増し、時折、ぽつりぽつりと雨粒を落とし始めていた。いかにも怪しそうな屋敷ではあるが、今さら止めたとも言えない。

 住処というものは人の手が入らなければ、瞬く間に朽ちていくものだ。寂れた様子なのはそのせいで、サナトが見ても、妖魔の気配や匂いは無かった。

 仮に森の獣が入り込んでいたとしても、こちらには銀狼ナギがいる。よほど自我を失った魔獣でなければ、危険は無いように思えた。

 さっそく馬の手綱を引いて、ひょろりとしたティムが声をかける。


「あちらにうまやがあります。そちらのヘラ鹿エルクも一緒に休める広さがありますから」

「ほぅ、屋敷の割合に厩が広いと?」

「十年ほど前の話ですが、大きく作り直したと聞いています。ここから馬で半日と少し行った所に西の砦があるので。休憩地点に丁度良かったのかと」


 ティムは、「今でこそ、この森を抜ける者など殆どいませんが」と付け加えながらアーニアの問いに答える。荷を下ろした馬から手綱を引いていくティムに、指示を受けたダルセルが、半分の馬を引いて続いた。


「何か、違和感はないか?」


 レラの荷物を持ちつつ、サナトは緊張は解かないまま声を掛けた。


「いえ、特に。精霊は静かですよね?」

「あぁ……そう、だな……」


 曖昧に答えて周囲を見渡す。

 妙に緊張が解けないというだけで、明確に違和感を察知できているわけではないのだ。

 森は暗く不気味な気配を漂わせてはいても、ダルセルとパウルが偵察した通り、周囲に危険は感じない。妖魔が潜んでいるわけではないのだ。それなのに、どうにもすっきりとしない。

 この感覚はつい最近もあったような気がする。そう思うサナトの表情を目にしてか、レラは不安な面持ちで見上げていた。


「きっと気のせいだろう」


 分からないのならば、下手に怖がらせてもいけない。

 梢の上を行く風の精霊たちが、嵐の訪れを囁いている。何か異変があれば、レラの耳にも届くだろう。


「サナト、レラ、何をしている中に入るぞ!」


 建物の前でぼんやりと立っている二人に、アーニアが声をかける。頷き足を向ける。皆は既に屋敷に入っていた。ナギは盛んに鼻をひくつかせ、壁や床の匂いを嗅いでいる。


「ナギよ、何か美味いものの匂いでもあったか?」

「わふっ?」

「ナギが満足するような肉は無いから、どこかで調達せねばならんな」


 そう笑いながら、アーニアは頭を撫でた。

 子供の頃ほど精霊の声は聞き取れなくなったと言っていたが、全く気配を感じ取れなくなったわけではない。ニノも魔法を使うだけあって、異変には敏感だ。ジーノも聡いところがある。

 それらの人たちが特に警戒している様子が無いのを見て、やはり気のせいなのだろうかとサナトは思った。


     ◆


 屋敷の中は埃っぽかったが、思うより壁や床が傷んでいる様子はない。

 玄関の扉を抜けると大きな広間ホールとなり、中央に幅広い階段がある。くすんだ色合いの――元は鮮やかであっただろう赤い絨毯の階段は、豪奢な手すりに沿うように、途中から左右に分かれて二階へと続いていた。

 階上は玄関の三面を囲むように回廊が設けられ、それぞれの部屋へと続いている。


 ティムは「それほど大きく広くも無い」と言っていたが、十分な大きさである。

 例えるなら、クタナ村の村長の屋敷や作業場より広く堅牢だ。更に建物は奥へと続いているらしく、正面から見たよりもずっと大きい。

 一行は先ず二階には登らず、手前右手の部屋へと入った。


 客人を通す居間なのだろう、細部の装飾にこだわりが見られる。飴色に磨かれた柱や壁は、この屋敷が相当に古い物であることを物語ると同時に、大切に使われていたのだと知らしめていた。

 それでも織りの細やかな布張り椅子や床の絨毯など、置き捨てられたままの調度品はどれもくすみ、時の流れを感じさせるように、埃をかぶっている。

 魔物や妖魔が出たことで慌てて避難した後、家人は戻らなかったようだ。


「サナトさん」


 膝をついて暖炉の様子を見ていたパウルが、近づいたサナトに声をかけた。同じように片膝をついて手を伸ばす。


「暖炉を使った跡があるな」

「それも、つい最近ですね」


 炭となった木片を指に取り、崩れや乾き具合を見る。パウルはアーニアの討伐隊の中では一番の若輩だが、周囲の物に対する好奇心と観察力は誰よりも高い。


「ここ数日の間に、誰かが火を入れたな」


 ティムが使ったのだろうか。

 立ち上がり、もう一度周囲を見渡そうとしたところで、ダルセルとティムが厩から戻ってきた。手には水を満たした桶を持っている。井戸も近くにあるのだろう。

 部屋のそこここにあった蝋燭に明かりを灯したニノとファビオが、労いと共に桶を受け取り、奥にある別室へと運んでいった。


「今は誰も住んでいないと聞いていたが、家主は居なくとも利用する者は多いのか?」


 鍵がかけられていないのであれば、今の自分たちのように利用し、あまつさえ住みつく者がいてもおかしくない。

 けれど声を掛けられティムは驚くように肩をすくませる。そして改めて周囲を見渡し、訝しむような表情で返した。


「いいえ……おれが知る限り、ここを利用する者は多くない筈です。山の方に住む人たちは霧のある森や川には近づきませんし、盗賊ですら最近は姿を見ません。今やこの場所を知るのは、ザビリス様の私兵だった人たちぐらいですから」

「そうだな、我らも知らなかった」


 ティムの言葉にアーニアが続く。

 魔物や妖魔を討伐するため、国内のあちこちを渡り歩いているのだと言っていたアーニアたちが知らないのだから、地元の者だけが知る場所なのだろう。

 ならば暖炉を使った跡は、ザビリスを失ったかつての私兵によるものだろう。


「サナト、何かあるのか?」

「精霊は何も伝えてこない。危険があるわけではない」


 答えながらサナトは付き従うナギを見た。

 先程からしきりに周囲の匂いを嗅いでいる。気配から、危険を感じている様ではないが、やはり何か気になる物があるのだろう。


「サナト様、建物を調べた方がいいですかね」


 案内した手前、責任を感じている顔でティムが言う。

 外に顔を向ければ、降り出した雨が窓を打ち付け始めていた。風も強い。今、嵐の中に出てまで屋敷の外周を調べる緊急性は感じない。


「今夜だけしのげればいい。だが、内部は少し見た方がよさそうだ」

「では、この部屋を拠点に手分けしよう」


 アーニアが言うのに合わせて、ダルセルやファビオが動き出す。

 レラも手を貸そうとするのを見てサナトは止めた。


「レラはここで待っていてくれ」

「ですが……私も何かお役に……」

「動かず、この屋敷を守護する精霊から、何か聞き出すことができないか試してほしい」


 レラに答えてからアーニアに顔を向ける。


「護衛を頼めるか?」

「心得た。何もないとは思うが、レラは私が守ろう」

「頼りにしている」


 アーニアの腕ならば、多少厄介な物が現れても対処できるだろう。

 更にティムとパウルを居間に残し、サナトは玄関広間の方へ出た。


     ◆


 月明かりも無い、嵐の夜である。

 残っていた蝋燭に明かりは灯しているが、数が足りないせいか十分な明るさがあるとは言い難い。サナトは光の精霊を呼び、更に周囲を照らして見渡した。

 ジーノやニノ、ダルセルとファビオは、屋敷の奥や二階部分を調べているらしい、複数の気配と足音がする。


「わふっ?」

「ああ……古い屋敷だ」


 ナギの頭を撫でつつ、サナトは答える。

 百年――いや、二百年も前からこの場に居を構えていたのだろう。

 精霊の気配は感じるが、どの霊たちも静かで、サナトに屋敷の違和感を語ろうとしない。それは精霊たちにとって異変となるものでは無いのか――もしくは、何者かによって語ることを禁じられているのか、だ。

 後者だとすれば厄介だとも感じる。

 禁じる行為は、強制魔法の可能性を示唆するものだ。


 再びナギが匂いを嗅ぐように、床へ鼻をつける。

 サナトはナギの動きを注視しつつ、今一度、精霊に問いかけた。

 この屋敷に隠しごとがあるならば、教えてほしいと。


「わっ!」


 不意にナギが小さく吠えた。

 顔を向ける先は何もない、ただ暗いばかりの廊下である。それでもサナトは明かりも届かない先に、光の精霊を飛ばしてみた。


「行き止まりのようだぞ? ナギ」

「わふっ! わっ!」


 それでも、ここだ、とでもいうように、奥の壁の床に鼻をつけ、前脚で軽く掻く。注意深く壁の様子を見てみると、冷たい風の流れを感じた。


「隠し扉か」

「わっ!」


 どのよう開ければいいのだろう。

 そう思いながら、壁の方々に触れていると、不意に声が届いた。


『その、右下の飾りを、左に……』


 丁度サナトが壁の彫刻を触っていた辺りで、幽鬼のように冷たい声が耳元で囁いた。

 振り返っても姿は無い。屋敷を守護する精霊の声だろうか。ナギは首を傾げるようにしてサナトを見上げている。

 どちらにせよ、何か手がかりがあるのなら調べてみる必要がある。

 サナトは言葉通りに彫刻をずらすと、カタリ、と仕掛けが外れたような音が響き、壁の一部が開いた。向こう側は闇に飲まれた、細い下りの石の階段がある。冷たい風が流れてくる。


「地下室か」


 一度振り返り、一瞬、居間に残してきた者たちに声を掛けようか迷う。だが、明らかに妖魔の気配があるならまだしも、そこまで慎重になることでもない。

 側にはナギがいる。

 結局はサナトは誰に声を掛けることなく、地下へと足を踏み出した。


 背後ではゆっくりと、隠し扉が閉じていった。






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