7 第87話 贖罪
「サナト様!」
「待て!」
レラとアーニアに呼び止められ、サナトは踏みとどまる。
男は目を見開き顔を引きつらせたまま、向けられた切先とサナトの顔を見比べ、動かずにいた。反撃の様子はない。その間にアーニアはサナトの腕を掴んだ。
「落ち着け、何があった。この男に戦意は無い」
気配を読むまでも無く、男は降伏の意を示している。
サナトは噛みしめた歯の隙間から息を吸い、吐いて、ゆっくりと剣を下ろした。
アーニアが間に入り、さらに一歩、距離を置く。
考えるより先に体が動いていた。
戦意の在る無しなど、
森の
目の前で、私利私欲による魔法を使っていたのならわかる。
妖魔を生む
けれど、今は違う。
いきなり斬りつけていい道理などない。
サナトはクタナ村で、兵士は無事ベスタリアへ帰ったと耳にした時、「よかった」と口にしていたというのに。
未熟なのだ。
サナトは未だ、自分の
「すまなかった」
「あ……あぁ、いえ……」
男がゆっくりと上げていた両腕を下ろす。
そしてサナトからレラに、アーニアを始めとした面々へと顔を向けた。
「あの……おれは、以前、南の領主、ザビリス様の私兵をしていました。ティム・グリアゼフと申します」
「ザビリス・ベン・レオネッティ卿のか?」
「はい……それで、その……ひと月ほど前、ザビリス様に
「侵入し、レラの脚を斬った」
「はい……」
重いサナトの声に、ティム・グリアゼフと名乗った男は視線を落とした。
取り囲む者たちが顔を見合わせる。「本当に?」とファビオに問われたレラは、静かに頷き答えた。
「
声を掛けたアーニアは、皆に場を整えるよう指示を出した。
◆
念のため、ダルセルとパウルで周囲の偵察に出た。
残った面々は火を囲み、ニノは川の水で沸かした湯を使って茶を振る舞う。
重い空気が漂う。
まだ陽が落ちるには早い時間であったが、雲はますます厚く、辺りは薄暗さを増していた。初夏でありながら川が近いせいか肌寒い。ファビオが、「今夜は荒れるかもしれない」とひとりごちた。
「レオネッティ卿の私兵と聞いたが、この国の者か?」
火を挟んで、サナトと向かい合う席に座したティムに、アーニアは話の口火を切った。
「ベスタリアの者です。おれは南と西の領地の境にある、カリィゴの森よりニナライ山脈側に登った小さな村の生まれです。六年ほど前に……村が、魔物にやられてダメになっちまって……皆は、亡くなりました」
「そなただけが生き残ったと?」
「そうです。それで行き場が無くて……当時、ザビリス様がいらしたカヴァレの町に流れ着いて、そこで、お声を掛けられたんです。おれは少し、精霊の声が聞こえて魔法が使えたから」
薪の具合を見ながら話を聞いていたジーノが、「三年ほど前、魔物に飲まれて廃墟となった南の町だ」と説明を加えた。
「おれは……ザビリス様の下で働いていたから、あの方がどれだけ怖い人か、よく知っている」
細い体と腕を自分で抱くようにして、ティムは言う。
「命令は絶対で逆らえば血を見た。逃げられる者は皆、他の領地に逃げたけれど、昔から南に住む者は、土地を捨てられず……残る人も多く居た」
「それは、どうしてですか?」
サナトの隣で話を聞いていたレラが、声を掛けた。
レラは深淵の森の沢で斬られた時から、この目の前の男を恨んでいない。ただの不運な出来事なのだと、言っていた通りである。
ティムはレラを見て、それから険しい表情を崩せないでいるサナトを見て、視線を落とした。
「西や……特に南は、長く続いた争いで、やっと手に入れた土地だから。先祖の、多くの血が流された場所だから、受け継いだ子孫は……簡単に捨てられない」
妖魔が
そうして人々は心と姿を歪めて暮らしていたのかもしれない。
「南の領主の先代が魔物討伐で亡くなられて、魔法も使えないザビリス様が継いでも未来はないと、もぅ……南は魔境と呼んでいいのだと皆は言って、言われていて、ザビリス様はずっといろいろ考えていたようです」
息を継ぐ。
覚悟を決めるように、話を続ける。
「それである日、誰から聞いたか知らないけれど……北の果ての深淵の森に、ものすごい魔法具があると耳にしたようで、それを手に入れに行くと」
「計画したのだな?」
合いの手を入れるアーニアに男は頷く。
「おれ、深淵の森の詳しいことは何も知らなかったんです。ただ魔物が棲んでいて、ものすごいお宝を隠し持っている……魔法に溢れた禁断の森なのだと」
禁断の森であるのは間違いない。
精霊の気配の濃い森では、強い魔法を使えば暴走してしまう。不用意に踏み込めば形を保つことも難しくなる。だから封じて、侵入を防いでいたのだ。魔法具を奪われまいとしていたわけではない。
「ザビリス様は魔法具さえあれば、魔法が使えるようになると思い込んでいました。おれは……そうではないと、感じていたのに止められなかった」
結果はサナトも知るところである。
深淵の森の結界を破ったところで迎え撃ちに遭い、追い立てられることになった。ティムは恐怖心から正気を失い、森の奥へと入り込み、遭遇したレラを出会い頭に斬ってしまったのだ。
そして追いついたサナトに叩き伏せられ、意識を失った。
「あの時のおれは、おかしくなっていた。まともじゃなかった。でも、斬ったのは間違いない。止められなかったなんて言い訳です。おれは……」
膝の上で拳を握る。
「……ちゃんと戻って、もう一度会って、お詫びをして、罰を受けなきゃならなかったのに」
「それでも、戻らなかったのは理由があるのね?」
レラが問う。
ティムは頷く。
「気を失って目を覚ましたら、変った形の建物の中にいました。精霊に言われるまま山の中の白い道を歩いて行くと、クタナの人たちに会ったんです。そして案内された村で……一人のお婆さんにお会いしました。全てを話すと、先ずはザビリス様をお止めしなさいと」
クタナ村の声聴き、グルナラだ。
「このままではベスタリア王国に災厄を招きかねないから。ザビリス様をお止めした上で、時が来れば森の人と、おれが傷付けた旅人に、お詫びをする日が来るからと……罪を償う時は来るからと、そう言われました」
クタナ村を出たティムはザビリスを探した。精霊に行方を聞き、やがて王都の北にある小さな村で追いついたのだ。
ザビリスは王都に向かっているところだった。国王に進言したうえで兵を増強して、体勢を整え、再び深淵の森へ挑もうとしていたのだ。
領主とあろう者が、ありえない行いである。私兵を使って、廃墟の宝さがしや魔物討伐という話ではない。深淵の森は「国」と定めた場所ではないが、事前の話し合いも無く、兵を動かせる場所ではない。
国は、お宝を狙う山賊のそれではないのだ。
既にザビリスは、正常な判断を失っている状態にあった。
妄執に囚われている。
ティムは南の領地に居た頃から、ザビリスには濁った黒い霧がまとわりついているように感じていた。ずっと気のせいだろうかと思っていたが、再会したザビリスは、既に
人が魔物化――もしくは妖魔と堕ちる時の予兆だった。
きっと秋を迎える前に、ザビリスは人の形を失う。
それなのに霧は周囲の者たちには見えず、ティムの言葉は無視された。
更に裏切り者と罵られ、私兵の隊から追われたのだ。
「おれには力がありませんでした。多少精霊の声を聞き留められても、剣ひとつまともに振るえるわけじゃない。結局、足を止めることもできず、ただ……王都までザビリス様の後を追いました。夏至の祭りの数日前のことです」
そして王都でザビリスは妖魔となり、討ち滅ぼされたのだ。
サナトたちの知らないところで、必死に災厄を止めようとしていた者がいた。
「おれは、国王陛下が国にいないとは知らず……エルネスト殿下と西の領主のバンニステール様にお会いして、全てをお伝えしました。そこで西に向かうよう、新たに、ご命令を受けたのです」
「兄上に?」
アーニアが訊き返した。どうやら伝えられていなかったようで、ジーノも首を横に振る。
頷いたティムは、話を続けた。
「おれは元々、ニナライ山脈の麓にある村の出です。山のこと、そして西の砦付近の土地に詳しい。その西の砦やカリィゴの森で、
サナトは思った。
西の領主が予兆し、精霊たちが企んでいたことは、これだったのではないかと。
「……そう、命じられておれは、ここに来ていたのです」
一気に話したティムは、大きく息を継いだ。
西の砦は五年前に、王妃と騎士団が妖魔を倒し、澱を戻した場所だ。そして南と西の領地の境にあるというカリィゴの森。バルクで、ジーノが魔物の気配を感知したと言っていた場所とも近い。
「昨日から……やけに精霊が騒いで、おれは何かあると思いました。いつもは濃い霧で、探すことも難しい川が見えていたものだから。だからこれはきっと、大変なことが起こったのだと……そう、思って川沿いに歩いて来たんです」
そしてサナトたちと遭遇した。
「ずっと、深淵の森での出来事を悔いていました。クタナ村のお婆さんは、時が来たらお詫びをする日が来るからと……罪を償う時は来ると言ったけれど、とても信じられなくて……」
ティムは地面に膝を付き頭を下げる。
「理由が何であろうと剣で斬りつけた……下手すれば命を奪っていた。相応の罰は受けて当然だ。ここで斬られてもしょうがないんだ。けど――」
声が震える。
「もし、生きていてもいいと言ってもらえるのなら、おれは、お二人の役に立ちたい。奴隷でも何でもいい、おれを、使ってください」
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