6 第84話 常磐の指輪
薄暗い地下の部屋にあって、時間の流れは分かりにくい。
それでも体の感覚で、おそらく夜明けになるのでは……と思う頃に、石の人のイゴールは声を掛けてきた。
目をこすりながらアーニアが起き上がる。
ナギは目覚めの時間と悟ってぱっと立ち上がり、身体を大きく震わせた。
「魔法具が……できたのか?」
「うむ、とびきり上等なものがな」
寝ぼけ声のアーニアが問う。
鼻を鳴らし自慢げに返すイゴールに、サナトは視線を逸らして笑いを隠した。
とうの昔にできていたと知っているが、ゆっくり休む時間をとるために敢えて時間をかけていた。そんな本人に気取らせない思慮を見て、無骨に見える石の人の、人となりを思う。
さっそく見せてくれ、と声を上げるアーニアの前に、一つの、緑の石がはまった指輪を出した。
濃い、精霊の気配が、光の粒となって纏わりついている。
光が当たる角度によって夏の深い
「これは……すごいな」
「わかるか?」
思わず声を漏らしたサナトに、イゴールがにやりと笑う。
深淵の森でも様々な鉱石を見て触ってきたサナトだが、今手にしている翠石は、それらの比ではない力を秘めていた。更に石だけではない。細やかな
サナトの育ての親、サナカが作った魔法具を思い起こさせる懐かしさがある。横から覗き込むアーニアも感じる所があるのか、感嘆の声を漏らした。
「護符とするなら
美麗の良し悪しは分からないサナトだが、魔法具としては確かに、力の有る物だ。イゴールにしても満足のいく品となったのだろう、口の端を上げる表情のまま自慢げに答える。
「この若造はよほど精霊に好かれていると見える。自分を使ってくれと、あまりに
「サナト、さっそくはめてみろ!」
アーニアが自分のことのように声を弾ませて言う。
サナトはしげしげと眺めてから、戸惑いつつ訊き返した。
「こういう物は、どの指にはめればいいのだ?」
「あぁ……男性なら、中指や人差し指が多い」
言われて試すが、どちらの指にも入らない。
順番に見ていくと薬指にちょうどいい大きさのようだ。
「サナト……」
「何だ?」
「左の薬指はやめておけ」
首を傾げる。
「何か危険でもあるのか?」
聞き返す声にアーニアは顔を僅かに引きつらせて、視線を逸らす。
「いや、そうではない。まぁ、場合によっては危険でもあるのだが……そこは、少し特別な意味があるのだ。聞いたことは無いか?」
「深淵の森で指輪をしている者は殆どいなかった。そもそも人のような形の指を残している者も少なかったし……聞いたことは無いな。どういう
尋ねるサナトにアーニアは顔を赤くする。
側で見上げるナギが、尾を振りながら首を傾げた。
「あぁ……まぁ、その、そうだな……生涯共に歩むと決めた相手……と交換する指輪をはめる場所……というか、誓いというか」
「なるほど」
誓いの指か。
そのような習わしや作法があるということは、魔法具に何らかの作用を及ぼす可能性がある。ここは素直に従う方がいい。そう考えたサナトは、取り合えず右手にはめるが、これはこれでは剣の柄を握った時に当りそうだ。
どうにも居心地の悪いサナトの表情を見て、アーニアは側の椅子で一服している石の人に声をかけた。
「イゴール殿よ、少し大きさを調整することはできないのか?」
「面倒じゃ。どれかの指には入るだろ」
繊細な仕事をして見せるのに、
サナトは苦笑しながら肩を震わせる。
「まぁ、いい。そのうち慣れるだろう」
「やはり何か違うか?」
「あぁ……こう、身体の中で偏っていた
「よく分かるの」
やれやれと、息をついて立ち上がる。
そして初めて会った時に手にしていた重そうな
「これで多少は肉体にかかる魔法の影響を抑えられるだろうが、完全に、ではないからの。その辺りは肝に銘じておくのだぞ」
「感謝する」
「ふん、なるほど精霊に好かれるわけか。……さて、そろそろ夜明けじゃ。上の連中もいつ這い出てくるかと待っておろう。行くかの」
歩き出す。イゴールの後に、手早く荷物を整えたサナトたちが続く。
アーニアは無骨な石の人の背を見つめ、声をかけた。
「イゴール殿、改めて言おう。我らベスタリアと同盟の件、考えてくれぬか?」
「父王を差し置き、そのようなことを勝手に口にしていいのか?」
「勝手に、ではない。同じ地の上と下、共に手を取り合わずどうする。妖魔は言葉の通じる相手ではない。澱を戻す竜が見つからぬ限り、人と獣は滅びの道を歩むことになる」
ふん、とイゴールは鼻を鳴らす。
そのまま微かな明かりが灯る薄暗い地下空洞に出て、長い地下道を突き進む。
道沿いの壁際には、割れた樽や錆びた鎧。折れた剣がそこここに捨て置かれていた。中には、使われなくなって久しい杯や皿、鍋や布地の類もある。
かつてこの地には多くの石の人がいたのだ。
それらは今、埃を被り、土に帰ろうとしている。深淵の森の樹々に飲み込まれる古い家々や
朽ちかけ、今は風だけが吹き抜ける
いつの日か、ここに新たな石の人が訪れ、暮らし始めるかどうかは分からない。そんな遠い未来のことは分からなくとも、この地、この世界を、歪みや澱が満ちるままにはしていられない。
妖魔の巣にすることはできない。
「――地上に出たなら」
不意に、前を行くイゴールが呟いた。
「地上に出たならば、
そう呟き、辿り着いた鉄の扉の前で足を止め、振り向いた。
昨夜、アーニアに言われた時からずっと考えていたのだろう。
「我らと手を」と言ったアーニアに「今更か?」と応えるような断絶があったのだ。その上で最後の一人となった石の人としての
「ありがたい。嬉しい! 是非!」
「ふん、また下らない見栄や驕りで利を貪ろうとするならば、直ぐに席を蹴り倒してくれる」
破顔するアーニアにぶっきらぼうな声で答えて、イゴールは重い扉を開けた。
◆
朝露を含んだ涼やかな風が流れる。
遠く、夜明けを告げる鳥の
まだ日が昇る前の白む空が眩しく見えて、アーニアとサナトは瞳を細めた。
ナギが嬉しそうに声を上げて走り出す。ややして、声を聞きつけたファビオたちが駆けつけてきた。
「アーニア様!」
「皆、無事か?」
「無事です。大丈夫です。アーニア様こそご無事で、妖魔との遭遇はありませんでしたか!?」
ニノが、パウルが、次々と駆け寄り取り囲む。
ジーノとダルセルは見守る石の人に、礼儀正しく頭を垂れた。
「そこなじゃじゃ馬姫の手綱はしっかり掴んでおくがいい。命が幾つあっても足らんぞ」
「まだ言うか?」
アーニアは振り返り、笑いながらイゴールに言う。
サナトはもう見慣れた景色のように眺めてから、駆けつけた者たちの後ろで、息を詰めるように立っているレラに顔を向けた。
「無事だったか?」
「……はい」
泣きそうな顔をしている。
心配をかけたのだ。
そう思うと、なぜかサナトの胸の奥が
「サナト様も……」
「一人ではなかったからな、無事だ。ナギの鼻を頼りに進んで石の人とも出会えた。地下の妖魔を倒して澱を戻した礼にと、魔法具を頂いたのだ」
自慢げにはめたままの指輪を見せると、レラはおずおずと手を伸ばした。
精霊の声を聞き留めるレラなら、この魔法具に宿る力を感じ取れるはずだ。破顔して、「素敵です!」と答えるだろうと思ったサナトだったが、レラの眼差しは変わらなかった。
「よかった……本当に、ご無事で……」
「あ、あぁ……」
「サナト!」
アーニアに声を掛けられ顔を上げる。
レラと二人で足を向けると、ジーノが僅かに緊張した面持ちで告げた。
「アーニア様が地下に居る間、近辺を調査した所……ここより南西の方角に魔物の気配を感知した。状況から鑑みて妖魔の可能性が高い。かつて、西の砦と呼ばれていた場所の近くにある、ニナライ山脈の麓の森だ」
「妖魔……」
アーニアの母親であるベスタリア王妃が、命を賭して澱を戻した砦だ。
完全に戻しきれていなかったのか、新たな妖魔が流れ着いたのかは分からない。ただ、夜明けを渡る風の精霊に問えば、まだ不穏な気配は残っているのだと告げている。
「わかった。西の砦、そして麓の森へと向かおう。いいか?」
アーニアの方に向いて問いかける。
夕べ、心の内を吐露したことで多少気持ちの整理はできたはずだが、哀しい記憶のある場所に変わりは無い。だがサナトの心配をよそに、アーニアは力強く頷いた。
「憂いは払わねばならん。サナト、力を貸してくれ」
「もちろんだ」
同じく、力強く頷く。
「くれぐれも、人であることを忘れるでないぞ」
見送るイゴールの忠告を胸に、石の人と別れたサナトたちは南西へと出立した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます